「美しい棺」
黒き宝石
「あなたは本当に変わらないな…」
最近は会う度に、第一声がそれだった。
実際ルリ・カーシルトの容貌はマクル・カル・セドニーと初めて会った時から変化がない。
「皇帝陛下は益々渋くなって良い味出していますよ」
賢帝マクルは在位30年の歳月に相応しい貫禄と、元々持っている美貌も合わせて、
年上好きの女性でなくても心をときめかせる様な壮年の男性に仕上がっていた。
しかしその面には明らかな疲労の色が浮かんでいる。
彼があからさまに彼女に疲れを見せるのは最後の側近が命を失って以来、顕著だった。
「新しい側近、付けるつもりにはなりませんか」
彼の体調を慮って答えの解りきった提案をしてみる。
案の定、マクルは首を横に振った。
「ならないな。あの2人だけが唯一私の安らげる所だったから」
キラの棺に縋るように、1人声を上げずに泣いていた彼を見た時、
そんな物は無いし無駄だと解っていても
死者を蘇らせるような魔法を研究した事がなかったのを深く後悔した。
それほど痛ましい光景だった。
「あなたが仕えてくれると言うなら話は別だがな」
すっかり常識の感覚を失っている彼の「側近」とはもはや自分の一部なのだろう。
それとは逆に情は持っているのに彼は自分で作った家族にはそこまで心を開いてはいない。
あくまで皇帝として、施政者として、彼は仕事の延長線上に家族の存在を置いていた。
「私は私の家族がいますからね…。
出来る限り式典何かでは影から護衛の真似ごとくらいはさせて頂きますが。
でも、そう言う事ではないんでしょうしね」
彼が欲しているのは、亡き側近達の面影だ。
彼らの素性も、素顔すら知る者はほとんどいない。
3人の関係性を知る者は、もっと少ないだろう。
その稀有な存在である彼女を通して、在りし日の思い出を確認しているのだ。
「友人として、って事なら、出来る限り駆けつけますから。
いつでも仰ってください」
文字通り飛んできますから、と彼女は馴染みになった言葉を、
空気を変える為に冗談っぽく付け足した。
それを聞いて、彼はふっと力の抜けた様な表情を浮かべる。
「魔女殿は、この先もずっと、魔女殿なのだろうな」
ずっと、ずっと、となおも言い募る様子に、彼女は呆れ半分に口出す。
「マクル陛下。一応私も人間なので、不老不死の化物じゃないですよ」
「…そうなのか?」
本気なのか冗談なのか不審な目を向けられる。
「え、なんです?その眼は?化物だと疑ってます?
まぁ私自身も魔力の影響って事くらいしかよく解らないんですけどね。
明日死ぬかも知れないし、あと100年後かもしれないし」
魔力と不老は因果関係が在るようだが、正式に記録された様な資料がない為、
その末路は良く解っていないのだ。
急死も長生きも不思議ではない。
しかし彼は腑に落ちないように首を傾げた後、何が面白いのか笑みを浮かべた。
「いや、あなたは100年経っても死んでいる気がしない」
少年のようなその笑顔は、何十年経っても変わらないものだった。
「次はご自分だと、解っていたでしょうに」
ルリ・カーシルトは薄い黒い布を被り同じ色のドレスを着ていた。
手には甘い香りの純白の百合。
目の前の豪勢な棺には、先日まで皇帝だった人の姿が収められている。
貴いその身は既に氷で冷やされていたが、
彼女はせっかくだからとツォーサとキラと同じように、魔法で髪の1本まで凍らせておいた。
「きっと一緒の方が喜ぶはずですよね」
もっと死に抗えたはずだと思う。
ただ、最後になりたくなかったのかもしれない。
もしくは側近2人に置いて行かれた様に感じていた様だから早く追い駆けたかったのか。
きっと何かに縛られて生きて来た彼なりの最後で最大の我儘だ。
棺の中の帝だった人の安らかな死に顔とは裏腹に、皇宮は未曽有の混乱に陥っている。
偉大なる賢帝の突然の崩御ももちろんだが、問題はその死の真相だ。
その犯人はこの後どう言う扱いになるのだろうか。
もちろん公には出来ないだろうし、処刑をすれば良いというものではない。
皇妃が己の夫を殺したなどと。
皇帝は別に、妻をないがしろにしていた訳では決してない。
妾の類も持たず、忙しいさなか顔を見に行っていたはずだ。
政略結婚と言う名で現される以上の情を注いでいただろう。
けれども彼女はそれでは物足りなかった。
――私だけを見て。
嫉妬の心は常に供にあり、彼が唯一心を許した側近達に向けられ、
そしてとうとう、本人の命まで欲してしまった。
妻に愛されなければ。
側近達以上に妻を求めていられたなら。
もっと早くに妻を諫めておければ。
そもそも、そんな嫉妬深い女性を娶らなければ。
彼の後悔が、安易に刃を受け入れると言う選択を選んでしまったのだろう。
妻への謝罪の意ではなく、その為に命を落とした側近達への後悔だろうけど。
それもまた妃は察して、心を歪めて行ったのかもしれない。
少しやり切れない思いで、執務室が在る方向に目を向けた。
彼の娘は確か属国へ嫁ぐ事が決まっている。
彼の息子は次期皇帝としての教育を受け、もう子供もいる青年だ。
それでも、こういう形で父と母を失うなど思ってもみないはずだ。
しかし彼の子供達とは面識がない。
もう、誰もこの城での、皇帝と魔女の関係。
そして魔女が暗躍した事実など知る者は居ない。
彼女が唯一仕えた相手の晩年の様に、そのまま歴史の裏に消えて行くだけだ。
「本当に、私の事を非人間的に扱って、
自分は当り前みたいに、あっさり死んじゃって…」
死後の世界などあるとも思った事などなかったが、
死んで再び見合う頃があれば、自分も死ぬものなんだと指を突き付けてやりたい所だ。
込み上げて来た物を誤魔化すように、彼女はまるで張り切った様に宣言する。
「生き急いだ事をあなたが悔しがるくらい、
何かとびきり面白い事でも見つけて、
明日か、100年後か、絶えるその日まで、
皆で創ったこの国を謳歌させてもらいますよ」
そう最後の言葉と手にした花を贈り、彼女はマクルへと背を向けた。
見ていたら、いつまでも語り掛けてしまいそうだったから。
この場所はここ数代の皇帝が使っていた部屋らしい。
城下の様子を一望出来るその景色は雄大だ。
しかし登る朝日ではなく、沈む夕日が見える部屋、と言うのは権力者としてどうなのだろうか。
そう言う験を担ぐ様な事には興味がなかっただけなのかもしれないが。
西向きの大きな窓を開け放つと同時に、太陽の光が橙から赤へと変化した。
この国が、落ち行く夕日によって色付いて行く。
沢山の人の何かを、奪って、踏み躙って、創られた理想郷。
アルメリーア・リリ・ソマティールが壊し、
ルディウ・スカラ・セドニーが更地にし、
マクル・カル・セドニーが築いた艶やかな国。
そして、皆が命を落としていった、恐ろしい国。
それが、ぞっとするほど深い紅に染まる。
身から溢れ出る血の様に。
弔いの鮮やかな花の様に。
激しく燃え逝く命の様に。
思わず、感嘆の溜息が洩れる。
――ああ、
「なんて、美しい棺でしょうね」
そして何故だろう、唐突に。
一度くらい名前を呼んでもらえば良かったと、遅過ぎる少しの後悔をした。
憔悴した新しい皇帝が扉を開けて、見知らぬ女が佇んでいるのに目を見開いた。
けれども彼女は取り乱しもせず、唇に人差し指をそっとあてる仕草をしてみせると、
まるで始めから居なかったかのように、その姿をかき消した。
<帝の虎狼 美しい棺top 女帝散華>