「美しい棺」
女帝散華
沈む夕日がとびきり美しく見える部屋だった。
「この為に、私を遠ざけましたか」
影の様に虚ろに佇んでいるのは、彼女の待っていた人物だった。
足元には今まさに彼が首を飛ばした者の身体が転がっている。
「……どう?この様」
その遺体となった男に貫かれて、血濡れの寝台に転がっているのが、彼女の姿だ。
「良い気味だと思っているでしょう」
消え入りそうな声で自嘲気味に呟いた。
――そうだと頷いて。
――違うと否定して。
心の中の相反する気持ちが溢れ出そうになる。
「私は」
彼はどちらとも答えなかった。
「それなりに家族を…父も兄も愛していました。
故郷であり騎士として励んだこの国にも愛着はあります」
その家族は、彼女が殺した。
この国は、彼女が壊した。
最低最悪の女帝、このアルメリーアが。
「けれども。……メリィ」
2人きりの時にはそう呼べと命じていた愛称。
いつも呼び難そうにしているのを見るのが彼女は好きだった。
畏まった話し方を止めろと言っても、敬語だけは止めなかった。
そんな事を走馬灯のように思い返していたから、
次の彼の言葉も現実とは一瞬思えなかった。
「俺は、それ以上にあなたを愛しています」
死の淵でも余裕ぶろうと浮かべていた笑みが消える。
「いや、そんな優しい感情ではなかったかもしれません。
欲していた、と言う方が正しいのか…」
彼は血で汚れる事も厭わず、寝台の傍らに跪くと、
彼女の顔に掛かっていた髪を優しく払った。
「あなたの為を本当に思うなら、どこかで止めるべきだとは思っていました。
だけど俺はただ、あなたの望みを叶えられる自分で居たかった」
例えそれがどんなにあなたを苦しめても、と彼は悲しい目で言った。
「あなたが望むなら、自分の肉親すべてを失う事も、
この国を灰にする事だって厭わない」
そんな言葉を聞くと、今更死ぬのが嫌になると言う恐れ。
どんな自分勝手に酷い事をしても、
側に居てくれた事が彼の誠実な意志だった事への喜び。
思考が滅茶苦茶に掻き乱されて、ただ彼の瞳を見つめる事しか出来ない。
「あなたを癒す事は出来なくても、
あなた以外のすべてを壊す事だって。
一緒に行く事だって、何だって、出来たのに。
俺を、置いて行くの…ですね」
淡々と想いを語っていた彼が、言葉を詰まらせ瞳を揺らす。
貫かれてまともに機能していないはずの胸が、切なく跳ねた気がした。
何もかもやり直して、彼に縋り付きたいと思う。
だがもう、遅過ぎた。
彼女の崩壊への道は、彼と出会った頃にはもう、出来上がっていたから。
やり直すには、すべてが遅過ぎたのだ。
だからいっそ、うんと無様に死にたかった。
彼の心に一生留まって居られるように。
「必要な手続きも、書面も残しているわ。
あなたには、狼とこの国をあげる」
彼はそんな物、望んではいないだろう。
けれども、それ以外に彼女に残せるような物は何もなかった。
苦しげに息を吐き出して、彼女は愛しい人を見つめる。
「ルディウ…」
苛烈な女帝と忠実な騎士。
泣いて喚いて縋っていれば、物語の様に、攫ってくれたかもしれない。
庶子である皇女と皇家の血を引く公爵家の次男。
何か1つでも道が違えば、
当たり前のように婚姻を結んでいた間柄だったかもしれない。
どう言う風に出会おうともきっと、
彼は彼女に身を焦がし、彼女は彼で溺れただろう。
「なんて愛おしい夢…」
けれども、やはり、遅過ぎたのだ。
ここに居るのは、今までの皇帝とこれからの皇帝。
奪った者と奪われた者。
古き時代の残骸と新しき時代の希望だ。
視界が暗くなって行くのに気付き、彼女は彼の名を呼んだ。
もう自分に残された時間が僅かもない事が解る。
残った力を振り絞るように動くと、
知らない間に溜まっていた涙がぽろぽろと零れた。
「最期は、あなたの事だけを思っていたい」
「メリィ…」
弱々しく頬へと伸ばした手。
その意味を察し、彼はそっと唇を寄せた。
息絶えた主人にもう一度だけ口付け、ルディウは顔を上げた。
頬に流れた一筋の跡を拭う事はせず、口を開く。
「狼」
音も色もない。だが確実に存在する者の名だ。
金で雇われている凄腕の暗殺者。
見た事もないその姿は、数年後には別の者に変わってしまうけど。
「アルメリーアの取り巻きだった重臣、すべて処理しろ。方法は問わん」
彼女が色香で惑わし、味方に付けていた者達。
まともな政治に興味がなかった彼女を取り巻いて、
好き勝手に私腹を肥やしていた者達。
いずれにせよ不正を沢山抱え込んでいる、この国の癌その物。
「すべての膿を出すには少々時間がかかる。
だが、お互い惚れた女への手向けだ。積み上がる躯の数、覚悟しておけ」
そう告げると、微かにあった気配が消えた。
「メリィ、あなたから受け取った物だ」
彼女が憎み、壊し、けれども捨てきれなかった物。
「あなたの眠る棺に相応しい、強く美しい国にしてみせます」
――息を飲むほど、美しい棺に。
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