「美しい棺」
幻影魔女
その依頼は言葉としてまとめてしまえばとても単純だった。
国民という以外帝国と何も関係ない彼女に白羽の矢が立った意味も理解した。
彼女は依頼主にすら驚きを与えるくらい簡単にその依頼を受ける事を了承したが、
報酬面で首を縦に振らずにいた。
「法外過ぎます。そこまで無粋なものは必要ありません」
提示された金額は、お金持ちならあっさり出す、という程度よりも莫大だった。
「期間も決まっていないし、経費も含まれている。
内容を考えれば妥当だろう。
もちろん個人的な資産だ。財源は気にしなくて良い。
半端に安い金額で、借りを作るのは性に合わない」
そう言って譲らない元皇帝と平行線を辿る。
先程から机に置かれた1枚の紙は、何度も金額が書き直されて行き来していた。
それにしても、いちいち紙を滑らせる彼の所作に艶っぽさを感じる。
お互い無言のまま、目の前に置かれた紙切れの数字を見つめていたが、
視線を上げてルディウを瞳に映したルリはふっと息を吐いた。
「では、金銭以外に1つだけ権利を下さい」
そう言って提示された報酬の桁を下げる。
「いつか何か、1つだけ願い事をさせて頂きますので、
その時はそれを叶えて下さい」
何となく思い付いた事だったのだが、
まるでしっかり考えた事の様にすらりと言葉は流れた。
「願い事?」
「何か贈り物が欲しいとかかもしれませんし、
何か知りたい事があるとかかもしれません。
首が飛ぶくらい失礼な事や
漏らしたら国が転覆しそうな重要機密を訊いてしまうかもしれません」
「今ではいけないのか?」
何となく釈然としないように彼は聞き返す。
金額を下げる為の方便だと思われたのかもしれない。
「今はまだ、それが何か良く解らなのですよ。
今欲しくない物を無理に頂いても、価値にはなりません」
「何だそれは?魔女と言うのは予言でも出来るのか」
ますます解らなくなったと言う様に、彼は何度か目を瞬かせた。
そんな彼に、彼女は妙に悠然と答える。
「何となく、予感です」
「魔女殿。相変わらず評判は上々の様だな」
その日定期連絡の為に屋敷を訪れると、偶然にも側近を連れたマクルと鉢合わせた。
彼女が行っているのはルディウからの依頼だが、マクルにも十分関係のある事だ。
何かしら耳に入れているらしく、労うような言葉を掛けられた。
この屋敷に初めてきた時より数年。
現皇帝や前皇帝とは甥と唯一似ている部分と認識していた前皇帝の瞳の色が、
漆黒ではなかったと気付けるくらいの距離にはなっていた。
「空を舞い、雷と供に現れ、氷の如き非情で捌き、炎に紛れて去る。
時と時の間を渡る美しい魔女。
本当に肩書以上の仕事っぷりだ」
ルリ本人以外からも情報網を張り巡らせているルディウもマクルに賛同する。
しかしながら自分を飾っている言葉のくどさに、彼女自身は胸やけしそうだった。
空も飛んだし、雷も落とした事があるし、大地を凍てつかせた事もあるし、
炎を背負って退場した事もあったが、色々混ざって噂はすごい事になっていた。
意図的に噂にしたのだが、それにしたって尾鰭背鰭も良い所だ。
どうして世間は女と言うとすぐに美しいという幻想を抱くのだろうかと半眼になった。
そう、「美しい」。
国をもっと美しくしたい。
それが前皇帝ルディウが「余生の趣味」と呼んだ物だった。
趣味に付き合う事にした彼女に振られた役割は、
平たく言えば「帝国公認傭兵ギルドを使える組織に仕立てる」事だ。
帝国は法をもって1人が治めるには広過ぎる。
象徴的な新皇帝が誕生したと言うだけでは統制出来ない部分はあまりにも多い。
皇位を退いて、政治には一切関わらないとした彼は今、裏社会の統制を目論んでいた。
その策の一つとして重要なのが、大規模な傭兵ギルドの存在だった。
光があれば必ず影が生まれる。
影の部分は徹底的に排除すべき、がもちろん国としての姿勢ではあるが、
排除すればするほど、闇の部分は濃く深く、高みからは底が見えない状態に追いやられてしまう。
ルディウ帝時代、程良く国の端々を管理する為の緩衝材として、
彼は特に大きかった傭兵ギルドを帝国公認として様々な権限を持たせていた。
しかし所属人数は増えつつあるものの、今一つ彼が思い描いていた様には機能していない。
需要と供給が成り立たない地域による仕事や傭兵の極端な偏り。
傭兵というものの粗暴な印象からくる周囲との軋轢。
実際、国の名前を冠している事など気にも留めない傭兵の振る舞い。
討伐対象である魔物や賊、指名手配犯等から返り討ちにあうと言う危険への対応力のなさ。
総じて、国民からの信頼度が限りなく低くなっている。
有事の時は準公僕の兵士として戦わせる事まで考えていたが、
今のままでは裏社会と均衡を保つ所までもいかない。
内部の制度についてはマクルが公務の一環として口を出しているが、
印象向上の方はルリが荒療法を行っていた。
時にひっそり傭兵として混じり功績を上げ、
時に堂々と賊に返り討ちに在っている傭兵を掻っ攫う。
東に現れ工事中の道路を塞ぐ大岩を吹っ飛ばしたかと思えば、
西で傍若無人な若者を説教して問答無用でギルドに突っ込む。
凶暴化した魔物の群れを一瞬で灰に変えた後に、
死を覚悟した重症者を奇跡の様に治してしまう。
魔女として名を広げられているが、傭兵達の仕事の間に突如現れ、
忽然と消えるその様は、狭間に見える幻影などとも呼ばれていた。
彼女の携わった数年で、傭兵は公共事業などへの助力と言った従来の荒事以外の印象も強くなり、
安定的に仕事を受けられるようになり、敵に回してはいけない組織と噂され、
身近だが非常に強いと一般の人々からの好感度や信頼度が一気に上昇した。
少し前なら盗賊でもやろうかという様な力を持て余した者達も、
自分達の腕を振るう場として所属するようになり、
人数面はもちろん、賊の減少へも効果を発揮しているようだった。
「まぁ、思った通りに事が運んでいるのでしたら良いのですけどね」
一通り思い返し、溜息交じりに評価を受け入れる。
席を勧められ、歩き出すと、マクルが空の青さに気付き、窓を示した。
「良い陽気だから、窓を開けておこうか」
その言葉ですっと側近の一人であるツォーサが動く。
「あ。窓くらい、私が」
ツォーサが向かうのを制し、ルリは一歩も動かず窓を開ける様な仕草をした。
誰にも触れられていない窓は音を立てて開くと、ついでと言うように季節を感じる花の花弁が舞う。
部屋が微かに甘い香りに包まれた。
もちろん魔女と呼ばれる彼女が、魔法で起こした事だった。
ルディウは目の前に降って来た花弁を摘まむと、しみじみと言葉を紡ぐ。
「もう、魔女なんて生易しいものじゃなくて、
気紛れな女神、と言った所か」
一瞬外の小鳥の鳴き声がはっきりと聞こえるほど静かになった。
居た堪れなくて苦く言葉を紡ぐ。
「……美男美女が目の前にいる状況で女神とか言われると、
この上なく当て付けっぽいのですが」
宝石と呼ばれる美しいマクル、絶世の、や傾国の、と形容しても差し支えないだろうツォーサ、
ついでに病床でも渋い魅力を発しているルディウを見渡し大げさに頭を抱えてみた。
視界の外から、俺の方は見てくれないのかよ、とキラの声が聞こえたがそこは流した。
するとルディウは面白そうに否定する。
「いや、容姿がどうとかじゃなくて」
「ひょっとして喧嘩売っておられます?」
他人に否定されるとそれはそれでむっとしてしまい不機嫌な声を上げたが、彼は構わず続ける。
「運命の女神の左側」
運命の神を崇めるアストライア教。
その一派で信仰されるのは、右と左の2人の女神。
運命の内、必然を司る右の女神。
そして偶然を司る左の女神。
その司っているものから、右は揺らぎない静謐な性格で、
左は気紛れであるという何となくの認識が在る。
それ故左は「気紛れな女神」。
しかし。
「それ、禁止されたのルディウ様ですよね」
ルディウの治世の後半で、
アストライア教は一神教であり神の姿を人の形とする事を禁止する派閥へ統合され、
女神は像を作る事はもちろん、存在を語る事すら宗派内で禁止される事となった。
「別に好き好んで禁止した訳じゃないからな」
「じゃあなんで今の一神教に統一して女神崇拝が禁止になったんです?」
「国教として指定する為に宗派の統一と言う目的が先にあったんだ。
それを今の一神教したのは偶像を禁止しているから、
彫像を作らない分予算が減ると思っただけだ」
想像していた以上に合理的な理由で、思わず黙り込んでしまった。
経費削減の為に禁句とまでになってしまった女神達に思わず同情する。
「でも信仰が禁忌の女神、ってより一層あんたっぽいな」
マクルの後ろからキラが声を上げて笑う。
「確かに、何か納得」
すると珍しくほとんど言葉を発しないツォーサまでに賛同されてしまった。
「まるで魔女殿の為にあつらえた通称にすら感じるな」
マクルはうんうんとやたらと頷いている。
「喜ぶべきか怒るべきか反応に困るわ…」
その5人で集まれた最後の時は、そんな風に過ぎて行った。
相変わらず公務が忙しいマクル達を見送り、
現在の傭兵ギルドの様子や、見聞きした国内外の情勢の報告に加え、
趣味半分で訪れた遺跡や他国の風景等も話に交えてルディウへ語る。
仕事以外でほぼ遠出をした事がないと言うルディウは、
報告以外の話もいつも興味深そうに聴いていた。
「この身体ではもう、そこまで旅は出来ないな」
一通り聞き終わり、彼は吐息をこぼしながら呟く。
いつも面会の時は応接室で堂々と座っていた彼だが、
最近は病状が悪化してきているのか
日によっては寝台から起き上がるのもやっとの状態になっていた。
寝台で耳を傾けている彼が彼女の語る彼方の地に赴くなど出来る筈がない。
「飛びましょうか?」
色濃く迫る死期から目をそらさせるように、ルリは妙に軽い調子で訊ねた。
その短い言葉に彼は不思議そうに彼女を見つめた。
「奥様が許してくれませんかねぇ。
あ、良ければ奥様とお子さん2人、皆さんお連れする事もたぶん出来ますよ」
飛べば脚も使わないし、近場の遺跡ならあっという間ですから、と付け足すと、
ルディウは力を抜いた様に笑った。
「あれは異国だ遺跡だと言った事に興味は持たんよ。
ただ、息子はお前からの受け売り話を妙に気に入っている」
彼は笑みのままいつか息子と一緒に連れて行ってもらおうか、と続けた。
「ではお加減が宜しい時にお声掛けください」
「本当に、簡単に言ってのけるな。いや、やってのける、か」
浮かべていた笑みを少々苦い物に変えて、彼は切れ長の瞳を細めた。
「お前を見ていると、馬鹿な事だと実行に移さなかった様々な事柄を後悔するな」
どうにも含む所がある表現に、口を挟みたくなる。
「…それは私が馬鹿みたいな事をしていると仰ってますか?」
「褒め言葉だ。気紛れな女神よ」
先程の話題を蒸し返す様にそう呼ばれた。
しかし、ふと気付く。
その女神、という言葉を発した彼の瞳が遠い。
間近の彼女等見てはいない。
禁句の女神。
ああ、今か、と唐突に想う。
数年前の自分の予感。
「始めに頂いた権利、使用させてもらっても宜しいですか?」
「…ようやくか。正直借りを作ったまま死ぬかと思った」
彼にとっては脈略なく告げられ、しかし妙にほっとしたように呟いた。
――それでも、良かったんですけどねぇ。
心残りと言う存在も悪くない。
けど彼にとって彼女は魔女だ。
彼女にとって彼は仕えるべき存在だ。
ルリ・カーシルトである事よりも、必要とされる役割である事を彼女自身が望んだのだ。
だからまるですべてを見透かす様な、
心の奥底に刺さる棘を刺す様な、抜く様な、そんな魔女らしい短い言葉を選ぶ。
「アルメリーア・リリ・ソマティールは、どんな方でしたか」
それぞまさしく「禁句の女神」に相応しい実在した者の名。
マクルの父と祖父――ルディウの兄と父を含むあらゆる皇帝候補を殺しつくし帝位を手に入れ、
気紛れにこの国を崩壊させようと目論んだとされる、狂気の美女。
死後十数年たった今でも、名を呼ぶ事すら憚る存在。
帝国史上最も残忍で美しく短く散った、ソマティール家最後の皇帝アルメリーア。
さすがにその問いに、ルディウは僅かに目を見開いた。
かつて親衛隊として仕え、愛人の1人と噂され、仇討と皇位簒奪の為、
彼が手にかけたと公然と憶測が飛び交った、
その貴人の名を彼に向って告げる者などいなかっただろう。
数え切れない者を断頭台へ送った彼にとって、まさに首が飛んでも可笑しくない問い。
しかし、彼はそれが約束だったからか、厳しい言葉は吐かなかった。
「魔女…いや、神が相手だと言うなら、
心の端くらい知られても不思議ではないか」
まるで瞼に焼き付けた事を確認するようそっと目を閉じる。
訪れた長い沈黙。
「美しい女だ」
紡がれた静かで冷徹な声音。
それが声を揺らさない様に努めている故である事など、すぐに解る。
「哀れなほどに美しい、そんな女だった」
たったそれだけで。
処刑人とまで言われた絶対的王の心の奥を垣間見た気がした。
<唯一の王 美しい棺top 帝の虎狼>