「美しい棺」





唯一の王



 指定された屋敷に付くと、砂糖菓子の様に愛苦しい女性に出迎えられた。
 帝国直轄領の外れの外れ。
 他国他領に近いこの屋敷は、館の主の位を思うとあまりに小さく、
 しかし人があまり寄りつない場所に在る事を思うと立派だった。

 出迎えてくれた女性と先導してくれた侍女は下がり、
 許しを得て彼女は自らの手で案内された部屋の扉を開ける。

 中には既に役者が揃っていた。
 その内の1人マクルが呆れたように口を開く。

「至急、とは記したものの、さすがに早過ぎやしないか」

 ルリ・カーシルトは赤茶色の瞳を細め印象深い笑みを浮かべて答える。

「文字通り、飛んで参りましたので」

 マクルは冗談と受け取って良いか判断しかねて微妙な表情を作った。
 黒髪に黒い瞳、若さと美しさを兼ね備えたマクル・カル・セドニーは
 大陸の半分を占める帝国、ユーザの皇帝である。

 その傍らに立つ2人は彼の側近。
 それは良く知っていたのだが、その面をきちんと確認出来たのは今初めてである。
 側近達が、普段は目元より下を隠している覆面を外していたのだ。

 1人はキラと呼ばれている大柄な男。
 鈍い色の金髪に深い青の瞳は決して特筆するほど鋭い訳でもないが、
 左の頬に大きく走る2本の傷と顎に散らばる無精髭の為か、野性味も胡散臭さも醸し出しだしている。
 皇帝の側近と言うよりも、盗賊の頭目、とでも言われた方がしっくりくるかもしれない。
 どう考えても守るよりも奪う側の容貌だ。
 覆面をしていなければ、賊だと思われて攻撃されそうな気さえする。

 もう1人はツォーサと呼ばれているすらりとした長身の女。
 その美しさは覆面をしていても伝わっていたのだが、想像以上に美人だった。
 白銀の髪はざっくりと短く切られていて、鮮やかな緑の瞳が際立っていた。
 硬派な達振る舞いと滲み出る妖艶さが絶妙で、護衛する方とは思えないほど貴い美しさだ。
 覆面をしていなければ、公式の場で皇帝に面会する者達が目のやり場に困るだろう。

 一瞬でそんな想像まで至った所で、
 マクルは部屋の最奥にゆったりと座っていた人物にルリを示して告げた。

「こちらが件の魔女殿です」

 紹介される人物はぼかしながらも知らされてはいたが、
 その覚悟を持っていてもそれを上回る衝撃が身体に走る。
 彼女が唯一その中で既知の間柄ではなかった男は30代半ば程だろうか。
 短く刈った金髪に黒に見える瞳。
 精悍で整った顔立ちには闘病中だと匂わせるやつれが見えたが、
 それも含めてもそこらの人間とは一線を隔する鋭利さと威厳が満ち溢れていた。

「ルディウ・スカラ・セドニー。
 私の叔父であり、前ユーザ皇帝であられる」
「引退した身だ。そんな肩書はいらん。ルディウでいい」

 低過ぎない低音で発せられたのは、思ったよりも砕けた言葉だった。
 しかし、その瞳には一瞬の動作すらすべて分析しようとでも言うような強さがある。

「ル……いえ、ただの魔女とお呼び下さい」

 咄嗟に名乗りそうになるのを押さえ、前皇帝とは逆に肩書だけを告げた。
 無礼を指摘されるかと思ったが、彼はそう呼ぼう、と軽く受け止めていた。

「正直、魔女と言う言葉から想像していたのと違うな」
「ご期待に添えず、申し訳ありません」

 目の前に居る甥のマクルとほぼ同じ反応を示した彼に、
 余裕を見せるよう多少冗談めかせて応える。
 彼はやや軽い調子でなるほど、と呟きながら、その瞳からは鋭い観察の光は消えなかった。

「色々興味が付きない所なのだが、時間が…主にこいつにないからな」

 彼が一度だけ視線を送ると、マクルはこちらへ軽く頭を下げる。
 現皇帝の名で呼び出された時から、さすがに要件が会ってみたい程度のものではない事は解っていた。
 主題へ入る気配にやや緊張をはらむ。

「お前に頼みたい事は他でもない――私の余生の趣味に付き合ってくれ」

 かつてこの国の根本を覆すほどの革命を起こした男は、
 その誘い文句を彼女の人生を大きく変える長い話の幕開けとした。





 一通り話を聞き、退室するルリをマクルが追って来た。
 護衛を置いて皇帝自らが見送りに来るのはどうなのだろうかとは思ったが、
 指摘をする前に彼が彼女に声を掛けた。

「さすがに、驚かれたか?」
「心臓が止まるかと思いました」

 正直に答えると、意外だったのかきょとんとした表情をみせる。

「あなたでも、驚く事があるのか」

 そう言った彼は少し嬉しそうだった。
 さほど長くない付き合いで何度も自分が驚かされたから、意趣返しが出来たと言う事だろう。
 普段そつなく皇帝と言う任をこなしているが、
 こう言う少年っぽさが残る表情を見ていると彼もまだ20代の若者なのだなと改めて感じる。

「驚くというか…――いえ、驚いたのかしら」

 恐らく彼が言っている驚きと彼女の感じたものは違うだろうが、
 説明する必要も感じられず、軽く首を傾げるだけにしておく。

「それにしても、本当にいいのか?」

 そちらの方が本題であろう。
 館の出口へと向かいながら、彼はもう一つ質問をしてきた。

「自分で言った事を覆す様な人間に見えます?」
「いや…。だが、あくまで個人的な依頼だからな。
 短期で終わらない上に、危険な仕事だ」

 個人的な依頼にしては目指すものが壮大過ぎますよと突っ込みたくなる。
 彼らは見えている範囲が違い過ぎるのだろうけど。

「まぁ、何て言うんですかね」

 この感じている物をどう表現したらいいのだろうかと、言葉が纏まらない内に口を開く。

「良い男って存在したんだなーと…」
「は?」
「いえ、こちらの感動の話ですので、お気になさらず」

 巨大な帝国を見渡すほどの雄大な視点を持つ人達から見たら、
 豆粒ほどの存在感もない女の感想など興味の範疇外だろう。

「とにかく、私が勝手にあの方に仕えて見たいと思ったのです。
 自分の危険については自分で心配しますので、
 マクル陛下も御自分の身の方を大事にしてくださいな」

 他領の視察と言う目的の道中、あの側近2人だけを連れて抜け出して来ているらしい。
 政治的に完全に手を引いたというルディウ前皇帝の建前上、そう頻繁には訪れられないのだ。
 帝国民からの高い支持と好感を持たれている皇帝とは言え政敵だっているだろうし、
 盗賊の類の多く出る郊外は非常に危険である。

「あなたの腕とあのお2人が居れば、私が案じる様な事はないでしょうけど」
「自慢の側近だからな」

 マクルは照れもなく称賛すると、ふと思い出した、というように瞬いた。

「あと、名前」

 脈略がなさ過ぎて、その単語だけで意図が掴めず首を傾げる。

「私は呼んでいた事もあったが、叔父上に名乗らなかっただろう」
「ああ…すごく失礼なのかなとは思いましたけど、要は影っぽい役割なのでしょう。
 個人として認識される必要はないかな的なかっこよさを演出したかったんですが」

 そう言えば、と咄嗟に名乗らない判断をした事を今更のように彼女自身も思い出した。

「なるほど。
 確かにこれからの事を考えると本名が知れるのは良くないかもしれないな」

 自分もこれからは気を付けないと、と彼は納得したように頷く。

「それに名などない方が、私に何かあっても代替が利くじゃないですか。
 魔女ならその肩書に相応しい能力を持つ者くらいいるでしょうからね」
「代替?」

 彼はその言葉をしばらく吟味していた様だが、腑に落ちないように首を傾げた。

「私はあなたを知った以上、
 魔女と呼べるのはあなたしかいない気がするがな」





 マクルが扉の向こうで消えるのを待って長いため息を吐いた。
 仕事は出来るのに意外と天然な皇帝を適当に誤魔化せた事にほっとする。
 同時に先程のルディウとの対面を思い返した。

 心臓が止まりそうなほどの、驚き。
 希望通り、彼は彼女をその後名前ではなく「魔女」と呼んでくれていた。
 しょうがないじゃない、と独り呟く。

「あの声で名前なんて呼ばれたら……」

 軽く地面を蹴る様な動作をすると、彼女の身体はふわりと浮き上がった。
 先程は侍女に預けていた宝飾の付いた杖に腰掛けると、あっという間に上昇する。
 この国で恐らく最も貴さの密度が高い屋敷を眼下に見下ろし、
 彼女は皇帝にはぐらかした言葉をこぼした。

「危うく、恋にでも落ちそうだったんだから」

 ほんの数年の短い期間。
 彼女が生涯唯一仕える事になる人物を想った言葉は、通り過ぎた雲に紛れて消えた。





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