――闇に刻まれた叙事詩
     謳われる絶望と惨劇



叙事詩の余韻
   エピック ノ ヨイン



 中心市街地からは外れた、灯りのない寂れた公園。
 そのベンチに1人の男が座っている。
 男は4本目の煙草に火を点けてから、苛立たしげに煙を吐いた。
「遅いぞ。呼び出しといて待たせるな、レマージュ」
「悪い、予想以上に手惑った」
 いつの間にか公園の入り口に別の男――アスィード・レマージュが立っている。
 深い青を基調とした帝国兵の標準装備に身を包んだ、淡い金髪の綺麗な青年だ。
 アスィードは紫水晶を思わせる瞳を細めた。
「でも、ウェル。いつもは僕が待つ方なんだから。
 たまには君も待たされる方の気持ちを知らなきゃ」
「あー…解った、解った。で、何の用だ?」
 ウェル――ウェルストは本題を振って非難を遮った。
「え、あ…僕は後で良いよ。君の用件を先に聴かせてくれ」
 そう切り替えされ、彼は煙草の火を消した。
 そして、自分の横に立つ友人を一瞥してから口を開いた。
「帝国立魔導研究所の資料館に入りたい。
 あの馬鹿みたいな“古代文化保護法”によって帝国内の貴重な文書が集まってるはずだ」
「確かにあそこに保管されているが…何をする気だ」
 ウェルストの隣に腰掛けながらアスィードは訊いた。

 帝国立魔導研究所はユーザ帝国立学院の1つ、帝国立魔法研究学院の付属施設。
 魔法が廃れてきた今、主に魔法に関連する歴史や書物の研究が行われている。
 古代の歴史は魔法に溢れている。
 国中から集められた書物は、関係者以外出入りが禁止されている資料館に収められている。

「別に仕事じゃねぇよ。ちょっと調べたいことがあるんだ」
「調べたい事?君の興味が動く事なんて気になるじゃないか。
 もったいぶらないで教えてくれよ」
 しつこく問われ、ウェルストは溜息を吐いた。
 そして、彼は意図的に垂らしていた前髪をかき上げた。
 くすんだ赤い髪が隠していた左目が見えた。
 左目の左右に傷跡がある。濃い灰色の瞳も何処となく焦点が合っていない。
 目尻から、目頭。鋭い刃物が彼の目を切り裂いた痕。
 アスィードは、信じられないという驚きの表情を隠さなかった。
「…何があったんだ?君が傷を…ましてや顔に負うなんて。左、見えてるのか?」
「まったく見えないって訳でもないんだがな…。一体どう説明すれば良いんだか」
 取り敢えず、彼は順を追って話した。

 盗掘の為雇われた傭兵達。
 森の奥の遺跡。
 最深部の不気味な部屋。
 狂って逝く男達。

「何が起こったかは何となく解ったが…それで良く生きて帰れたね」
 アスィードの最もな言葉を聞いて、ウェルストは笑みを浮かべた。
 彼が何かに好奇心を持った時にだけ見せる、珍しい笑い方。
「女が…女が立ってたんだ。いつの間にかな」






「うわぁ、酷い怪我ね。ほっといたら死んじゃうわよ」
 いきなり目の前で声がして、血だまりの中のウェルストは驚いた。
 顔を上げると、長い茶髪の女が彼の前に立っている。
 足音どころか、気配さえも感じなかった。
 血が頭に回らなくてしばらくぼーとしていたが、彼は何とか声を出す。
「どうにも出来ねぇから…ほっといてんだよ…」
 手当て出来るならとっくにしている。
「気にしないで、わざと言っただけだから」
 まったく悪びれもせずそんな事を言いながら、彼女は彼に手を翳した。
 左のわき腹と、左目。
 もともと血が流れ過ぎて痛みはあまりなかったが、それでも僅かにあった鈍い感覚が消えていくのが解る。
 彼は彼女が魔法を使っているのだと、何となく気が付いた。
 しかも今はほとんど使い手がいないとされる白魔法をだ。
「随分時間が経ってたし、残念だけど痕が残っちゃったわ。
 この様子じゃ視力も完璧には戻らないわね。もともと視力は良かった方かしら?
 でも、先刻のままだと目玉を取り出さなきゃいけなかっただろうし。まぁ、許して」
 彼女は言いながら、取り出した布を湿らせた。
 それで彼の顔の半分を覆う、乾いた血を拭う。
「あら、結構男前ね」
 のん気にそんな事も呟いたりする。
 拭き終わると立ち上がって辺りを見渡した。
「それにしても凄い事になっているわね。これ、あなたが皆殺ったの?」
 その場に相応しい言葉は、凄惨。
 そして、その部屋には似合わない、小奇麗さとけろりとした表情。
「さぁ。全部じゃないことは確かだが…連鎖反応みたいに、とち狂って行きやがった」
「狂う、ね。まぁ、こんなところにいたら、そうなるのは必然ね」
「どういう事だ?いや、それよりお前は何だ?」
 傷が治っても、酷い貧血状態で動けないウェルストが問うた。
 少なくとも公式には誰も見つけていない遺跡の最深部。
 そこに通りすがりのただの人間がいるはずない。
「何って、そうねぇ…。今は、お助け魔導士?」
 彼は怪訝そうな顔をしたが、それには構わず彼女は続けた。
「古代の有難くない余韻とでも呼ぼうかしら、ここは。
 ほら、そこの壁とかにもいろいろ書いてあるでしょ?」
 彼女は優雅な仕草で彼の後ろの壁を指した。
 その石の壁に、黒い文字と紋様が描かれている。
「読めてりゃとっくに読んでるよ。
 こんな字、帝国の図書館でも、教会の中央図書館でも見たことねぇ」
「当たり前よ。これは古代の邪神崇拝者達が用いていた、いわば秘密の暗号だから」
「…秘密なのに何で知ってるんだ?」
「それは、古代語翻訳家と古代文化研究者としての努力の賜物よ」
「さっきは、魔導士って…」
 彼女は取り敢えず彼の半眼は無視した。
「とにかくここは“邪神降臨”の為の神殿よ。
 気の流れから、月の魔力、後は…まぁ、生命とか。
 そう言うものを集めて邪神を誕生させる場所。
 これだけ大きな力が渦巻いているのだもの。
 あからさまな欲望なんかを抱えた者は、あっと言う間にこの気に中てられるわ」
「邪神なんて、邪教徒の妄想だろ」
「神って呼べるかどうかは解らないけれども、彼らがそう呼ぶ者は居るわ。
 私達が知らないところで、しっかりたっぷり働いていくれているのよ」
 皮肉たっぷりに言った。
「そう言う訳だから、急ぐわね。あなた1人で帰れるかしら?」
「ちょっ、そういう訳って何だよ?」
「だ、か、ら。邪神を誕生させる為に魔力が集中させてあったのに、
 それが簡単に雑魚に入るって事は、もうその必要がなくなった。
 つまり、既に邪神が誕生してしまったって事!」
 ぴしっと指を突き立ててそう言った。
 彼はと言うと、呆気に取られた顔をしている。
 彼は自分の想像力をすべて終結させて、邪神誕生の図を脳内に描こうとした。
――よく解らない黒外套の男が高笑いをしながら現われ、全世界に向けて宣戦布告をしている。
 あまりにも現実味を帯びない。
「解れって言う方が無理ね。
 でも多分、これから各地でやっかいな事が起こり始めるわ。
 あなた腕が立ちそうだけど、用心に越した事はないわよ」
 それじゃあ、と行こうとした彼女を、彼は呼び止めた。
「それで、結局お前は誰なんだ?」
「しつこいわね、あなたも。うーん…魔女、が1番有名かしら。
“ファントムの魔女”って聞いた事ない?」
 彼女は面白がるような、見下すような、何とも言いがたい不敵な笑みで答えた。
 ウェルストの記憶は、そこで途絶えた。






「気が付いたら、宿の寝台の上だった。どうやって運んだんだかな。
 ご丁寧に持ってた鍵から俺が取ってた宿の部屋まで割り出したらしい」
 かれはそこまで話すと、また煙草を取り出した。
 静かに彼の話を聴いていたアスィードは、ちょっと考えるようにしてから口を開く。
「その…邪神だとかそういう話は解らないが。その女性、君の好みだったんじゃないか?」
 予想していなかった言葉に、火を点けようとしていたウェルストは少しぎょっとした。
「君は学生時代から、来る者は拒まない、とか言ってやたら女の子と付き合ってたけど、
 そんなに嬉しそうに女性の話をすることがなかったし、図星だろ?」
「その学生時代に、同性愛者だと噂が立ったお前に言われたくねぇ」
「っ!!!まさか、あの根の葉もない噂、君の仕業じゃないだろうな!?」
「根も葉もないって事はないだろう。
 お前、その顔で浮いた噂がなかったら、そんな噂も立つって」
 アスィードは表情豊かなので人形という表現は当てはまらないが、男装の麗人でした、と言われれば、納得しそうな容姿である。
「まぁ、寮で同室だった俺にもとばっちりが来そうな噂だったからな。
 ちゃんと誤解は解いてやったぜ。同性愛者じゃなくて妹絶対主義だってな」
「妹絶対主義!?」
 彼は真っ赤になって叫んだ。
「毎日毎日、遠く離れた妹に手紙を書くのが忙しく、女に構ってる間がなかったんだろ」
「た、たった1人の家族なんだ。当たり前だろ!」
 むきになって言ったが、ウェルストは素知らぬ振りで煙草をふかした。
「とにかく…随分話が逸れたけど。その邪神というのは気になるな」
「ああ、一応各地の動きを調べたんだが、魔物の襲来が多発している。
 帝国内だけじゃない、他の国でもな。
 傭兵もギルド内外問わず、仕事が溢れかえってるほどだ」
 静寂が辺りを包んだ。
 それを破るように、アスィードが呟く。
「揺らいでいるのは、国だけじゃないって事か…」
「ん?そう言えば、お前の話をまだ聴いてないな」
「…実は」
 彼は自分の鞄から金属片を取り出した。
 菱形のそれは、金で出来ているようだ。
 金属片を覗き込んで、ウェルストは口笛を吹いた。
「出世したな…隊長か?」
 それは帝国に所属する兵士の階級を記すもの。
 アスィードはこの間まで、城内出入りを許された一般の近衛兵の赤銅を着けていた。
「皇室親衛隊隊長に任命されてしまった」
 大した出世にも関わらず、彼は浮かない顔をしている。
「急な皇帝の崩御に合わせて急な人事異動だな。
 だが、女帝だろ?そういう時は女で固めるんじゃないのか」
「普通はそうなんだろうな。それに、僕みたいな若輩者が隊長に就任することもない。ただ…」
 アスィードは一瞬躊躇したが、先を続けた。
「ただ、信用の置ける人間が少ないそうだ。
 その、親衛隊を組織した人は近衛兵の隊長なんだが、
 前皇帝とは親しく、勿論その娘にも無事に国を治めてほしい。
 しかし、皇位の相続というのは厄介ごとが付き纏う。
 サティル様が即位なされたが、まだ従姉弟のラクナルト様を推す声や、
 そもそも世襲制に拘る事はないなどと言う大臣や、貴族もいるんだ。
 兵士も誰の息が掛かっているかもしれないと、心配なされている」
 急死した前皇帝に代わり即位したのは、彼の一人娘。
 セドニー家4代目皇帝サティル・セレスティナ・カル・セドニー。
 18という年齢で女性。
 下克上を狙う者にとっては、恰好の非難材料がそろっている。
 千載一遇の機会とばかりに、帝国内には幾つかの派閥が出来ていた。
「なるほど。それで、馬鹿が付くほど真面目なお前が隊長か」
「馬鹿はないだろう…」
「そうだな、学園を主席で卒業したお前には失礼だったかな?」
 ウェルストは短くなった煙草を捨てて、わざとらしく言った。
「何言ってるんだ。学園統一卒業試験の大陸史の答案、
 試験監督が気に喰わないからって白紙で出さなきゃ、君が主席だったんだぞ」
「受けてたってお前に勝てたかは解らないだろ?」
「歴史は君の得意分野じゃないか。あの試験なら満点だろ」
「過大評価だよ」
 アスィードはまだ何かを言いたそうだったが、ウェルストが遮る。
「んで、俺は何をすればいいんだ?」
「え?ああ、まぁ、僕はとにかく新たな皇帝を守る義務が出来た。
 そこでまず、この状況で、親衛隊の僕が気を配らなくてはいけない事は?」
「暗殺の可能性だ」
 ウェルストは即答した。
「毒殺の可能性は、お前の考慮すべき事じゃない。そういうの専門がいるだろうからな。
 しかし、力と技術を持って牙を剥く者は、お前の管轄だ。
 しかも相手がユーザの皇帝となれば…玄人の出番だ」
 彼は自嘲気味に笑って見せた。
 アスィードは頷く。
「君に声を掛けたのは、そう言う訳。まずは情報網の徹底。
 まさか帝国管理のギルドに皇帝暗殺を依頼しにいかないだろうから、
 ギルド外でそういう動きを探ってほしい」
 真剣な表情と真摯な声で国の行く末にも関わる事を頼んだ。
 頼まれて方は、重みを感じない態度で対応する。
「それで?そういう動きを掴んだら、どうすりゃ良い?気を付けろって注意か。
 依頼主まで探し出すか。止めろって説得か。馬鹿な真似する前に殺せばいいか」
 言いながら、また新しい煙草を取り出す。
「危険そうなのはそっちで処理してほしい。
 ほっておいても僕が仕留められそうなのは、君の手を煩わせるまでもないよ。
 依頼主はそうだな…余裕があれば頼む」
 考え込みながらそう言うと、同じような感じでウェルストも続く。
「外でお前の手に余る奴か…。“漆黒”と“緋色の舞姫”…は最近名前を聞かねぇし…
 さし当たってやばいのは、“首狩り”のユラあたりか…」
「それにお前だろ“不規則な鼓動”」
 冗談めかして言ったが、本気の言葉。
 隊長職の任命はまだ一般には明かされてない。
 それを部外者であるウェルストに真っ先に伝えて、協力を仰いだ理由。
 それは、彼が最も怖い敵だから。
 ウサギの世話だろうが、皇帝の暗殺だろうが、気が向けば何でもやってしまうのが彼だから。
 “不規則な鼓動”それはギルド外最凶の傭兵。
 その最凶の傭兵は、彼の言葉を無視して、煙と共に溜息を吐いた。
「それじゃあ、一応調べておいてやるよ。それで俺の方はどうしてくれるんだ?」
「ああ、あそこ、安息日の朝の担当者が甘いんだ。
 高位の神官なら入るのに呼び止められないらしいよ。
 資格は持ってただろ?証を着けて正装して行けば良い」
「解った。まぁ、その程度なら正面からじゃなくても何とでもなりそうだな」
 アスィードは少し嫌な顔をしたが、何も言わなかった。
 空を見上げると曇っていて、星は見えなかったが、恐らく日付は変わっただろう。
 2人は公園を後にした。
 再びそこに静寂が訪れる。






「君を助けた女性…ふぁんとむの魔女、って言ったっけ?
 僕も1回会ってみたいな。結局誰か解らないんだろ?」
 別れ際に突然話が前に戻った。
 ウェルストは先刻の笑みを浮かべて答える。
「いや、聞いた事はある。“ファントムの魔女”“狭間の幻影”。
 …他にも数えられないくらい通り名はある。
 200年以上生きているとか、政府の要求で不老不死の研究をしているとか、
 とにかく訳の解らない噂が絶えない、生きた伝説と呼ばれる女だ。
 あれが本人だという確証もないしな。俺らと同じくらいの歳に見えたけど」
「そうか。また会えるといいな」
 アスィードはそれから特に何を言う訳でもなかった。
「それじゃあな」
 ウェルストが言った。
「うん。よろしく頼むよ」
 アスィードが返すと、既に背を向けていたウェルストは手を上げて応えた。





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