――黒い黄昏は残酷な小夜曲
混沌からの愛の証
混沌からの小夜曲
カオス カラノ セレナーデ
「踏出せば後戻り出来ない。振り返り進んでも、それはまた新しい一歩…」
澄んだ少女の声が響く。
魔導士養成学校アルフガナ王国立リヴァーサルド学園に在学するシャレオ=レマージュ。
淡い金髪と紫の眼を持つ、人形のような少女だ。
「ディクタ=サーバントの『運命論』か」
彼女の次に口を開いたのは、銀髪と鮮やかな緑の眼を持つ女顔の少年、ゼア=ラティカル。
「ええ。詩って結構好きなの」
「あ、そういえば部屋にたくさん詩集ありましたね」
丁寧な口調で話し掛けるのは黒髪と茶色の眼を持つ学園長の孫、レアト=ロート。
「ロート…お前シャレオの部屋に入ったのか?」
ゼアが軽蔑した眼で見ながら行った。
彼は外見とは裏腹に口が悪い。
「勝手にじゃないぞ!魔力構成論の参考書を返しに行った時だ!」
この2人は犬猿の仲だ。
互いに相手にけちをつける機会を探っている。
「兄が送ってくれるの…手紙と一緒に」
「…お前の郵便受け、いつも何か入ってるよな…」
「ほとんど兄よ」
少しげんなりした感じで彼女は言う。
「お兄さんって確かユーザでしたね。
海の向こうにシャレオさんのような可愛い妹がいれば心配もしますよ」
「ま、確かに遠いよな、ユーザは」
男2人のんびり言う。
ユーザことユーザ帝国は海の向こうのミラルカス大陸にある。
隣の大陸にあるといってもビクス王国とデヒェット王国を越えたこところ。
3つの属国と6つの自治領、皇室直轄領からなるその規模はミラルカス大陸の半分以上を占める。
2人ともあまり詳しく聞いた話ではないがシャレオはユーザの出身で、叔父夫婦と共にこの国にやってきたらしい。
「ユーザからの郵便物を積んだ船は3日に1度しか来ないのに、毎日書いてるのよ…」
しかも1日分の便箋の量は半端ではない。
学生時代からの兄の友人によると、書き終わった後必ず可笑しいところがないか確認させられていたらしい。
寮で兄と同室になってしまった彼には謝る他ない。
なので、学生時代の兄の手紙は言いたい事が確実にまとめられた文だったのに、
卒業後の手紙は記録文のように1日の出来事が何枚にも渡って綴られている。
「過保護なのか、ただの淋しがり屋なのか」
「両方よ、多分」
本当に何気ない日常会話。
しかし、これから彼らが向かうところはちょっとした戦場だ。
彼らの学園には特待生制度、通称“優等生”がある。
筆記、実技科目共に優秀な者が学費免除されるというもので、今年の新入生ではこの3人が選ばれた。
しかし、この制度、義務もしっかり付いており、
成績を落とさない事はもとより臨時戦闘員として魔物討伐に駆り出されるのである。
1年生の彼らはまだ魔法実技の授業は受けていないが、
優等生である条件には入学当時から魔法が使える事が含まれている。
魔導士養成学校といえども卒業できるまでに魔法が使えない生徒も少なくない中、
彼らはまさに“優等生”だ。
普段はほとんど出番はないが、今回複数の場所で魔物が村や町を襲い、
たまたま課外授業に出ていた彼らに近隣の村に出た魔物退治が言い渡された。
そのため、戦闘服ではなく学園の制服だ。
動きやすく作ってあるので支障はないが。
「もうそろそろだな」
「そうだな…って何か煙出てないか?」
村があると思われる方向から細い煙が何本か上がっていた。
「魔物は一匹と聞いていたけど…急ぎましょう」
シャレオがそう言うと後の2人も頷いて3人は走り出した。
村は木々の少ない草原にぽつんと存在している。
そんなに大きくない村の周りを風除けなのか雑木林が申し訳程度に囲んでいた。
「何…これ…」
村のあちこちで小火のような煙が出ていたことは遠目に見ても解った。
しかし、その原因は魔物の出現に驚いた住人が夕食の始末もそこそこに避難した為と思っていた。
しかし、火は住宅以外のものからも出ている。
「壊れた納屋…空地…に、あそこの林も燃えてるな」
ゼアが辺りを見つめる。
「誰が何の為に…?」
それを受けてレアトが呟いた。
「それが解りゃ苦労しねぇよ」
「うるさいな!」
一触即発な2人を無視してシャレオは地面を調べる。
「…魔物の足跡?それに煤…」
よく見ないといけないが大きなものが通った跡と、あちこちに黒い汚れがある。
ふっと鼻を嫌な匂いがかすめた。その後を追うように異質な熱気が纏わりつく。
「何か…」
彼女はその違和感を伝えようと地面から視線を上げ、口を開きかけた。
しかし、一点を見つめたまま固まっている2人を見て自分も言葉を失った。
そこには彼らが倒すべきものがいた。
この村を襲ったであろうものが。
その姿は見上げるほどの巨大な岩の塊を背負った何かとしかいいようがない。
岩から飛び出している4本の脚と顔の部分はあるが、今まで見たことない生き物。
思わず、と言った感じで3人は絶句したまま放心していた。
足元から煙を上げ、熱い空気を撒き散らすそれはあまりにも異様だった。
次の瞬間、それが動いた。
我に返り、3人は素早く戦闘体勢に切り替える。
魔物は誰に襲いかかるか決めかねるように、ゆっくりと3人の方に近づく。
魔物の正面に立っていたシャレオが真っ先に行動に出た。
「ライトニング!」
詠唱なしに放った雷の魔法は彼女の最も得意とするものだ。
加えて彼女の魔力なら、並の魔物の頭を砕く程の威力がある。
電撃は正確に魔物に激しい音と共に炸裂した。
しかし、それだけだった。
何も変る事無く、むしろ速さを増して彼女に近づく。
「おい、嘘だろ!?」
彼女に続き魔法を唱えようとしていたゼアは思わず叫ぶ。
シャレオは何とか動揺を抑えて、両手に持った彼女愛用のトンファーを構えた。
魔法を唱えている余裕はなかった。
逆に横に跳びながら一歩前に出て、魔物の側頭部を打った。
やはり並みの魔物なら確実に致命傷であるはずの攻撃に、それはびくともしなかった。
逆にシャレオの武器が弾かれ、彼女は驚きの表情を浮かべた。
そして次の瞬間、魔物はその巨体に見合わぬ速さでシャレオに突っ込んだ。
「シャレオ!」
「シャレオさん!」
2人は同時に叫んだ。
彼女の体は宙を舞った。
あまりの衝撃に一瞬気が遠くなり、雑木林に突っ込んだ時は受身もとれず、地面に叩きつけられた。
そのまま地面を滑り木の幹に顔をぶつける。
口の中に広がる血の味で何とか気を取り直し、起き上がる。
しかし、激痛に顔をしかめた。
「熱い…」
体当たりされた腹部の制服が焼け焦げて彼女の肌が見えている。
火傷をおって血で真っ赤だった。
「あの魔物、皮膚が…高熱を帯びている?そんなものが生きていられるの…?」
男2人は呪文の構成に入る。
「大気の流れよ、刃とかせ…クロス・ウィンドウ」
ゼアが簡略化した詠唱の後、静かに風を解き放つ。
「地獄の業火よ、我手に宿れ…ヘル・ファイア!」
レアトもそれに続く。
魔物を直撃した炎と風はその場で竜巻のように燃え上がった。
この2人、仲の悪さに反比例するかの如く、皮肉なほど息がぴったり合う。
「ロート!シャレオを!」
「解ってる!」
レアトがシャレオの飛んだ方へ走る。
2人の呪文の威力はかなりあったはずだが、ゼアは火柱のほうに構えて言った。
「でも、シャレオの電撃が効かないって事は…」
シャレオは3人の中でも魔法の精度、魔力の高さにおいてずば抜けていた。
電撃に耐性があったとかならともかく、魔法そのものに耐性があるなら今の攻撃もほぼ無意味かもしれない。
「せめてメイ姉かラジウス先輩あたりがいれば…」
いずれも同じ学園の3年生で、ゼアの知っている範囲でシャレオにかなう魔力を持つのはこの2人くらいである。
彼ら達と同じく優等生であるその先輩達も、今日はどこかに派遣されているはずだ。
彼の目の前で煙が晴れていく。
そして予感通り、巨大な影は不動だった。
「やっぱり…刃と化した鋭き風の…」
彼は駄目もとでもう1度詠唱に入ろうとした。
シャレオを助けるだけの時間くらいは稼がなければならない。
しかし、その時ゼアと駆けていたレアトが吹き飛んだ。
何の前置きもなく。
ゼアは視界の端で煙から出て来た魔物が、声もなく嘶くのを見た。
何の事はない。
それは鳴いたのだ――人間の聴覚では捉えられなかったが。
そして、彼らはその振動で吹き飛んだ。
村の道にうつ伏せた状態でゼアは意識を取り戻した。
視界が赤い。
石で切ったらしく、割れた額から流れる血で顔半分が染まっていた。
そう長い間、意識を手放していた訳ではないらしい。
状況を把握しようと痛みを堪えて顔を上げた。
「――…うわあぁぁ!」
「ロート!?」
尋常ではない悪友の悲鳴に彼は立ち上がった。
くらくらするのを何とか絶えて四方を見渡した。
村の外れに黒い影が確認された。
先刻の魔物がレアトに乗り掛かっていた。
魔物の前足が彼の右肩を押さえつけている。
魔法を唱えようとしているのか自由な左手を魔物にかざそうとしているが、
彼の口からは苦痛に満ちた悲鳴しか出てこない。
左肩からは煙が上がり、肉が焼け焦げる嫌な匂いが立ち込めた。
ゼアは慌てて呪文を唱える。
「大気の流れよ…刃と化せ、クロスウィンドウ」
「クロスウィンドウ」
彼が唱えたのと同時に呪文が放たれた。
倍化した魔法は魔物に直撃した。
驚いてゼアが声の方を振り返った。
「シャレオ!?」
「遅れてごめんなさい」
腹部に血塗れの布を巻いたシャレオが立っていた。
しかしその事よりも、彼は自分が最も得意とする風の魔法を詠唱なしで、
しかもまったく同時に放った彼女に内心舌を巻いた。
「ファ…イア・アロウ!」
彼らの魔法で魔物の体が一瞬浮いた隙に、レアトは何とか呪文を唱えた。
煙に紛れて、必死に魔物から離れる。
「目が見えていないんだわ。動きも素早いけど単調だし…」
レアトが合流して、シャレオは呟いた。
魔物は一定の距離を置くと攻撃を止めていた。
人の皮膚を焦がし、納屋を焼くほどの熱である。
生物としての、粘膜などもろい細胞がまともな状態でいるはずはなかった。
「くそっ!」
ゼアが額の傷口を押さえながら地を蹴った。
「直接攻撃も効かない、魔法も効かない。じゃあどうすりゃ良い!」
「たぶん魔法は効かない訳ではないわ」
シャレオはゼアをなだめるように静かに言った。
「皮膚が異常なまでに頑丈なのよ。内臓まで衝撃が届けば…」
「お前の電撃が効かないんだぞ!それ以上の衝撃なんて学園中探してもないぞ!」
「押しつぶすのよ」
彼女がさらりと口にした言葉を二人が理解するのには時間がかかった。
「だからどうやって…?」
それが解らないのにとでも言いたげに、遠慮がちにレアトが問う。
「一番威力のある爆破の魔法、皆で放つの」
静かに話しているのは何も落ち着いている為ではないらしい。
彼女は腹部を気づかうように言葉を切り、一呼吸置いて続けた。
「三方向からね」
彼女は地面に三角形を描き、中心を指した。
「あれははっきり言って生きているのがおかしい。
今でさえきっと、ぎりぎりの均衡を保ってるんだわ。
亀裂の一つでも入れられれば勝機はある」
今度は一気に言って、苦しげに息を吐いた。
「何か意見はある?」
「そろいもそろって、こうもぼろぼろだと、いっそ清々しいな」
ゼアは所定の位置に付くと皮肉気に呟いた。
「これで駄目だったら、逃げるのも難しいかも…」
レアトは右肩を撫でながら目を閉じた。
「極限だからこそ思いつく事もある。この極限すらも我が物にすれば…」
シャレオは昔聞いた言葉を思い返していた。
「最悪の状態を快楽にすることが出来る、か」
回想から現実に戻り、彼女は魔物に注意を向けた。
魔物は離れたため気配を感じないのか、気配がばらばらで混乱しているのか、動こうとはしなかった。
初めからこの性質を理解していれば、満身創痍も免れただろうに。
シャレオは二人に手を上げて合図とした。
シャレオは詠唱を用いない。
彼らが唱えているだろう言葉をなぞり、最後に叫んだ。
「「「エア・ブレイク」」」
魔物の周りで爆発が起きる。
魔物は吹き飛びこそしなかったが、爆風に揉みくちゃにされると可笑しな格好で地面に叩き付けられた。
そして、砂埃が止む前に痙攣しながら 生臭い蒸気のようなものを噴出し、動かなくなった。
亀裂から体液や内臓が蒸発したその残骸はまるで、握り潰されたようにも見えた。
シャレオは前に構えていた右手を力強く握った。
「この極限、病み付きになるかも…危ない事だわ」
誰にも気取られないように微笑を浮かべると、彼女は仲間の元へと向かった。
「取り敢えず、学園に戻らなきゃね」
各々簡単な応急処置だけで、帰路に着く。
「本当、死ぬかと思いましたよ」
他人事のような台詞を吐いたレアトを睨み付けながらゼアが口を開く。
「…絶対、今日だけで4年間の授業料分は働いたぞ。お前のじいさんにそう言っとけ」
「でも、本当にあれは何だったのかしら。どこから、何の為に生まれてきたのかしら」
未知の生き物はまだ始まりに過ぎない事を予感することは難しかった。
学園に着くと、他の討伐隊もいつも以上に憔悴しきっていた。
学生は無事だったが、正式な国の部隊からは死人もでたという話だ。
治療の後、山のように報告書の宿題を出され、3人はそれぞれ寮へ向かった。
寮に帰り、シャレオはいつものように入口にある自分の郵便受けを覗く。
予想に反さず分厚い封筒が何枚か入っていた。
学内広告や新聞と共に取り出して1枚ずつ差出人を確認しながら部屋に向かう。
何枚目かの封筒を目にした彼女の足が一瞬止まる。
そして次の瞬間走り出した。
一直線に自分の部屋に駆け込むと、机の上の小刀で一枚の封を切る。
他のものより格段に薄く、筆跡も違う封筒の中身に目を通す。
そして、嬉しそうに、にっこりと笑った。
「私はもう、踏出してしまったのかしら…」
懐かしい人を思い出し、手紙に問い掛けるように1人呟いた。
混沌は未だ密やかに染み渡る。
まるで秘めた恋心のように。
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