――深き身を斬る夜想曲
絶望と殺意を手土産にして
深き夜想曲
フカキ ノクターン
「ったく…どうしろってんだ…」
月明かりに照らされた壁にもたれ掛かり、彼は絶望的に呟いた。
体がやけに冷えている。
薄着も理由の1つだが、それだけではないだろう。
彼の体を中心に血だまりが広がっていた。
脇腹あたりに深い傷を負っている。
そして左眼からも、鮮血が止まる事なく溢れている。
放って置いて良い傷ではないが、あいにく、自分で治療できるような程度でもなければ、助けを求めにいけるほどの気力もない。
何とか動く右手で服の内側を探る。
箱を取り出し、中の煙草を咥える。
最後の1本だった。
火をつけて煙を吐き出すと、その煙は月明かりが射し込む場所へと昇っていく。
ここはとある遺跡の最深部のはずだが、高度な設計がなされているらしく、凝縮された月の光は松明の比ではなかった。
光は彼――というか、その後ろの壁に描かれた紋様――を照らしている。
黒くて、見ようによっては目のような紋様だ。
周りには文字が書かれているが、何語かという事すら、彼には解らなかった。
解る事は、この文字が現在使われているものではない事と、帝国の図書館にもこの文字が載っている本はないという事。
彼は薄れ行く意識の中で、忌々しいこの出来事を、何となく思い返していた。
「それじゃぁ、2手に分かれろ。俺はここにいるから、何かあったら言いに来い」
彼はその日、未発掘の遺跡の調査をしていた。
今まで森の奥に眠っていたものだった。
彼はギルドに属していない傭兵。
依頼料次第で盗みも殺しでもやる部類だ。
もちろんこの調査も、帝国に許可は取っていない。
立派な遺跡保護法違反である。
今日は、とある成り金の依頼で10人ほどの傭兵が雇われていた
彼は一応その指揮を取っている。
互いに仲間意識何ていうものは持ち合わせてはいないだろうが、遺跡調査は通常このくらいのチームを組む事が多い。
2手に分かれてから数十分後、片方は行き止まりに当たったとかで帰ってきた。
彼らは遺跡の簡単な地図を書き加えてから、もう一方の後を追おうとした。
その時、
「な、何だ…、う…うわぁぁ!」
唯事ではなさそうな悲鳴が狭い壁の間を反射して彼らの元に届いた。
緊張が走る。
それでも彼を先頭にして、慎重に進んでいった。
そして最深部と思しき開けた部屋に出た。
「どうなってんだ…?」
誰かが思わず声を上げた。
彼らの目には先刻まで行動を伴にしていた者達の骸とそこから迸った血が映っている。
傷はどれも刃物でつけられているようだった。
それにしても始めから不自然だった。
部屋に通じる道はどうやら1本だけのようなのにそこにあるべき者――骸を量産した何か――が見当たらない。
全て“元人間”かと思われたが、部屋の真ん中で倒れている男が微かに動いた。
すぐそれに彼は近付いた。
声をかける。
「おい、何にやられた?」
男は顔を上げた。
薄汚れたその顔に彼は一瞬気を取られた。
何が可笑しいと言う訳ではなかったが、その眼に違和感がある。
その間が命取りになった。左目が熱くなる。
彼は自分の愚を呪いながら後ろに下がった。
彼の左目を目頭から目尻まで切り裂いた男は短刀を手に立ち上がる。
「お、お前が…やったのか!?」
部屋の惨状に立ち尽くしていた傭兵達は、自らも武器を振り上げ男に襲い掛かった。
男は短刀を目茶苦茶に振り回し幾人かを斬ったが、多勢に無勢、しばらくして殴り殺された。
しかし事はそれで収まらなかった。
また別の男が狂ったように凶器を隣に居た者の胸に突き立てなのだ。
その後は最後の1人の息を彼が止めるまで、そういう事が繰り返された。
冷たい月の光が部屋に降り注がれる。夜が一層深まった。
気を抜けばもう2度と目覚めぬ眠りに就く事は解っている。
しかし、それが今であろうと、数分、あるいは数秒後であろうと大した差になるのだろうか。
彼は随分短くなった煙草を思い切り吸った。
彼は他の幾人もの血で染まった床に灰が落ちる。
「ったく…どうしろってんだ…」
まるで月に罵るように、彼はもう1度呟いた。
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