――2つ合わせて調和
互いに妥協はしていない
曖昧な調和
アイマイナ ハーモニー
酒場。その入口から死角になる席で女性が果汁を啜っている。
入口が扉が開き、客が入って来た。
その男に対するいたずら心でわざと分かり難い席を移動していたのだが、彼は辺りを見渡しもせず彼女のもとにやって来た。
間一髪入れず彼女は口を開く。
「待ちくたびれたの」
「知らねーよ」
誰でも皮肉ととるだろう台詞をあっさり流す。
「もう3杯目だよ」
彼女は負けまいと果汁の入った硝子杯を掲げて見せる。
「腹壊すぞ」
彼女は諦めた。この男から侘びの言葉など出るはずがない。
特に謝ってほしかった訳でもなかったらしく、彼女は話題を切り出す。
「良い仕事、あった?」
「どれも半端だ。面倒な割に安い」
つまり何も引き受けては来なかったという訳だ。
何となく予想していたが、独りで待ち続けた甲斐がなかったので、彼女は一応落胆した。
「待った甲斐なし」
「しつこい」
再び先程の話題に戻った彼女を一蹴する。
「今日はもう戻るぞ」
「うん。ここ暑くて汗かいちゃった。早くお風呂入りたいかも」
彼女は肩につかない長さの金髪を掻き揚げると、伝票を持って立ち上がった。
その時。
「嬢ちゃん、こんなところに何の用だい?」
入り口付近で16、7歳の少女が昼間からの酔っ払い2人にからまれていた。
「やめてっ…、やだ、離してください!」
「そういわねぇで…ちょっとお酌をしてくれるだけでいいんだ」
ベタな情景だった。
「やめなさい!嫌がってるじゃない!」
そんな情景に割って入ったのは先刻の女性だった。伝票は男に預けてきたようだ。
その彼女を見て、誰かが口笛を吹く。
「すげぇ…いい女…」
何処からともなくそんな声も聞こえる。
「何だ?あんたが変わりに付き合ってくれるのか?」
「そういう事を言ってるんじゃなくて…」
酔っ払いは少女の方はもう眼中に入ってないらしく、突然現われた美女にターゲットを変えた。
1人が彼女の方に手を伸ばす。
しかし、酔っ払いの手は空を掴んだ。
いつの間にか女性の背後に立っていた男が彼女を手前に引き寄せた所為だった。
「あっ、ファイ…」
特に意味もなく彼女は男の名前を呼ぶ。
「さっさと戻るぞ、レタリス」
「うん、解ってるけど‥・」
そう言いながらレタリスは辺りを見渡した。
先刻の少女は既にその場にはいない。
どうやら、混乱に乗じて逃げ出せたようだった。
それだけ確認すると、彼女は歩き出したファイの後を追う。
「お、おい…ちょっと待てよ!」
黙ってなかったのは酔っ払いの1人だった。
「やめろ!」
しかし、背中を見せた2人に掴み掛かろうとした仲間を別の男が止めた。
酔いが完璧に醒めた必死の声だった。
「何だよ…あんないい女、滅多に拝めねぇぜ?男の1人や2人‥・」
そこで言葉を止めた。仲間の顔が恐怖に引き攣っている。
「ファイ…ファイって呼びやがったんだ‥・。そ、それにレタリスって言ったら…」
「何だ?知り合いか?」
仲間の意図が解らず、とりあえずそんなことを言ってみた。
「馬鹿!せ…せんこう…“閃光”のファイ、と…“弦月”のレタリスだ…」
「ねえねえ、あそこのパン屋さん寄って良い?宿でおやつにしようよ」
「お前、先刻のとこでパスタ食ったろ」
伝票で知ったらしい。特に非難している訳でもなさそうだが。
「お腹空いてるんだもん、しょうがないでしょ」
そんなどうでもいいような会話をしている男女を見つけて、1人の少女が近付いて行く。
その娘は先刻レタリスと呼ばれた女性の前に立って頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「あっ、先刻の…。大丈夫だった?」
「はい、お蔭様で」
少女は顔にかかる栗色の前髪を気にしながら頭を上げた。
背が低いので何となく見上げるようにレタリスと目を合わせる。
少女は、先刻は余裕が無くて自分を助けてくれた人をまともに観察していなかった。
それほど長くない外はねの金髪に濃紺の瞳。
素直に、綺麗だなぁと思った。
「それにしても何であんな所に?何か、あなたが来るような店じゃないと思うんだけど…」
実際、少女はレタリスとそう歳が離れている訳ではないが、雰囲気が完全に平凡な村娘だ。
酒場の周りをうろつく感じではない。
「あ、あたし‥・お仕事頼める人を探してて…、ギルドではお金足りなくて…」
「ギルドより安い金額で依頼採っている人ってそういないと思うけど…」
彼女は気の毒そうに言った。
ギルドは基本的に法外でない料金を設定している。
依頼人は身分を明かして書類を製作しなければならないが、人に知られてはまずいような依頼でない限り、
ギルドの窓口を使うのが1番安いし、信頼が置ける。
「そ、そうなんですか!?どうしよう…」
少女はあからさまに動揺した。瞳が潤んでいる。
「えーと…いくらくらい持ってるの?」
レタリスは一応訊いてみた。
少女はポケットから銀貨を数枚出した。
普通に生活している分にはなかなかの大金だ。
しかし、傭兵を雇うには桁が違う。
「えーと…何のために傭兵が必要なの?」
「魔物を退治してほしくって…。最近、私の村を集団で、何と言うか…意図的に襲うんです。
今までそんな事なかったんですけど。
父の話では魔物の親玉みたいのがいるせいじゃないかって…。それで…」
弱々しく説明する少女にやはり悩むレタリス。
魔物討伐は最も高い部類に入る。
彼女は少し悩み続けたが、唐突に思いついたように言った。
「そっか、私が引き受ければ良いんじゃない」
「へっ?」
間抜けな声を出したのは少女だ。彼女の台詞の意味がいまいち解らない。
「いつものお節介癖が出ないと思ったら…お前、自分が傭兵だって事忘れていただろ」
今までの会話に参加していなかった感情のない声がした。
少女はそちらを向く。
鈍い茶髪にそれより明るい色の瞳。背が高く、無表情な男だった。
何となく怖いというか、取っ付き難い印象を受ける。
「あはは…だっていまいちぴんと来ないよね」
「それはどうでも良いが、俺はあんな金では引き受けないぞ」
「うー、やっぱり?でも集団だもんね、魔物。私1人じゃ…」
「あ、あの…」
1人会話に置いてきぼりを食らった少女は、色々確認したい事があったので声を掛けたが、彼女は聞いてはいなかった。
「あ、じゃあ、私がファイの分出すよ。うん」
「ええ!?」
少女は更に困惑した。解らない事が多すぎた。ことは当事者を無視して進行している。
「ギルドの2倍だ。それなら引き受ける」
「解った。交渉成立だね」
「あの、す、すいませーん」
負けずに少女は存在を示す為に話しかける。
その声に反応してかどうかは解らないが、レタリスは少女の方を向いた。
「そういえば、まだ名前訊いてなかったよね?」
ターシャと名乗ってから、少女は2人を自分の村まで案内した。
先程の大きい繁華街から郊外に出て、意外と近くに目的地はある。
「でも本当に良いんですか?銀貨4枚で…2人で…魔物数十匹を相手にするなんて…」
ターシャの父親は説明を受けてからそう返した。多少は傭兵と言うものを知っているらしい。
「大丈夫ですよ。ファイ強いから、私がいなくても良いくらいですから」
レタリスは機嫌良く言った。微妙にずれた会話である。
何にしてもこんな安価で魔物を退治してくれるなら願ったりだが、目の前の緊張感のない美女を見ていると不安にもなる。
ましてや自分の娘とそう歳が変わるとは思えない。
「ターシャから、魔物が来るのは満月の日が多いって聞いて。ほら、今日満月じゃないですか」
結局、断わる理由もなかった。
彼は、話が出来すぎている事も、緊張感がないのも、来るかもしれない平和の前には、大したことがない気がしてきたのだ。
魔物の住処は村の西南にそびえる山だと聞いて、ファイとレタリスはそこに向かっていた。
何故かその後ろにはターシャが着いて来ている。
曰く「自分が頼んだのにじっとしていられない」だそうだ。
要するに、いざとなると彼女も、この2人で大丈夫か?と思い始めたのだろう。
2人は特に止めもしなかった。
「ねぇ、ターシャ。魔物の親玉ってどんなのかな?」
「よく見てる村の人によると、群れの中にいつも必ず1匹、青い目の奴がいるそうなんです。
どちらかというと後方に、群れ全体を眺めるみたいに」
「へー、何か凄そうだね」
彼女は隣を歩くファイに同意を求めるように顔を向けた。
「…そうだな」
彼はちょっと間を置いてから呟いた。
相変わらず、感情のない棒読み口調。
(何か…かみ合ってない)
唐突にターシャの頭にそんな事が浮かぶ。
会話が、とかいう話ではない。人間的にずれている。
彼女はこの2人に「何で一緒にいるんですか?」と衝動的に訊きそうになった。
しかしその考えは、レタリスの言葉で中断された。
「あっ、来た」
彼女が声を上げたのにもかかわらずターシャが焦らなかったのは、それがまるで待ち合わせの友達を見つけたような軽いものだったからだ。
随分遠くにある彼女の視線を追って、そこに数え切れないほどの魔物を目にしたターシャは、さすがに冷静ではいられなかった。
ひっ、と呻き声を上げて後ずさる。
「わー、思ったより多いね。飛んでるのもいるし」
「百…はいないな。上の奴狙え」
「うん、解った。ファイも頑張ってね」
「ちょ…あ、あの数、あんなに沢山なのい、今までなかっ…。ふ、2人じゃ…」
ターシャが言い終わらない内にファイは魔物の群れの方に走って行った。
恐ろしく速い。
「レ、レタリスさん…止めてください、いくら、何でも…」
そこでまたターシャは言葉を切らざるを得なかった。
レタリスは弓を構えていた。そして前方を見据える彼女の濃紺の瞳は、先刻からは考えられないほど、鋭く冷たかった。
「せんこう…?」
「な、何言ってんだ?あの“閃光”だ。数十人の野党を1人で切り倒した、あいつだよ!」
「…ああ!あれか。確かその剣技があまりにも速いんで、剣に血も着かないって奴だろ?噂が一人歩きしてんじゃねぇのか?」
「いや、そんな事はない。知ってる奴が見た事あるんだ。あれはマジだぜ」
「あの女…げんげつ、だっけ?あっちは何なんだ?聞いた事ないが」
「“弦月”の事は俺も良く知らねぇ。
ちょっと前から“閃光”と行動を共にしてるらしいが…弓の使い手でとびきりの美女だって事ぐらいしか…。
でも知らなくても察しはつくだろ?誰とも組んだことがなかったあの男がつれて歩いてる女だぞ。普通な訳がない」
レタリスが放った矢は相当な距離をあっけなく飛び、簡単に飛行系の魔物を仕留めた。
彼女はそれからも休む事なく矢を射続ける。しかもほぼ100%の命中率だ。
呆然と落ちて行く魔物たちを見ていたターシャは大きい塊が沢山倒れているのに気が付いた。
どうやらファイが切り倒したものらしい。1匹もこちらに来る様子はない。
「あ、レタリスさん!きっ、右か、っら!」
いくら確実に落としてもあれだけの数だ。正面から来なかった奴は仕留め切れない。
しかし彼女は冷静だった。
右手に持っていた矢を捨て、腰に留めていた片手で引き金を引くボーガンに持ち替える。
すぐさま引き金を引き、接近していた数匹を貫いた。
見えるところに動く魔物がいなくなった頃、ファイが戻って来た。
何十匹の魔物を切ってきたはずなのに息の乱れすらない。
「青い眼の魔物は?」
「殺し損ねた。鱗が硬くて俺の剣じゃ切れん。こっちに来るだろうから、あれ使え」
「あの違法品?」
レタリスの確認にファイは頷いた。
その間に彼が言った通り青い眼の魔物は来た。
爬虫類と獣を掛け合わせたよう容貌をしている。
そいつがこちらに向かって走って来る。
ファイが間合いを詰めて剣の柄で魔物の額を打った。
魔物の注意が彼に向けられているその瞬間、レタリスが腰のポーチから黒い塊を取り出す。
手のひら程度の大きさのそれは普通めったに見ることはない拳銃だった。
ぱぁん、と簡単な音が2回響く。
どさ、とあっさり魔物は倒れた。
「死んだ?」
「ああ。2発とも頭に当たってる」
それを聞いて彼女は、帰ろっか、とにこやかに言った。
この2人のやり取りを、やはりぽかんとターシャは眺めていた。
「本当に、ありがとうございました」
村のはずれでターシャは2人に頭を下げていた。
「どういたしまして。役に立てたのならなによりだわ」
愛想良くレタリスは言った。
その横では愛想悪く、ファイが既に歩き出そうとしている。
ふと、ターシャは最後までこの男と話さなかったことに気付いて少し可笑しくなった。
彼の服をつかんで引き止めつつ、レタリスは続ける。
「それじゃあね。今度またここに寄ったときは、名物のお料理紹介してね」
「はい、必ず」
レタリスは少し歩いてから振り返って手を振った。ターシャもそれに応える。
背を向けたレタリスは何かを思い出したらしく、ファイに必死に話し掛けた。
「あ、そうだ。ねぇ、パン屋さん。宿の近くのパン屋さん、寄ってね。動いたからお腹がすいた…」
「パン屋なんてやってねぇだろ。晩飯だぞ」
それを見て改めてターシャは、ずれた2人だと思った。
本当に正反対だ。
でも…――どこか、あの2人でなければいけないような気がした。
無茶苦茶な中にほんの少し、確かなハーモニーが奏でられている感じがあったのだ。
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