――手と手を繋いで協奏曲
     まだ見ぬ外へ飛び出そう



箱の中の協奏曲
   ハコノナカ ノ コンツェルト



 カラン…――小気味良い鈴の音が、騒がしい店内で控えめに響いた。
 その音に続いて数人の男達が入って来る。

 ここは傭兵ギルド経営の酒場。
 そこで豪快に酒を飲み交わす客はほとんどが傭兵のはずである。
 入って来た男達は辺りをざっと見渡してから店の隅に歩いていった。
 そこでは1人の少女が遅めの夕食を取っている。
「君もここに属している傭兵かな?」
 丁寧に話し掛ける。
「ええ、それが何か?」
 少女は男を見上げた。
 品の良い服を着た初老の男だ。
「仕事を頼みたいのだが…引き受けてくれないかな」
「内容にもよりますが」
 少女がそう言うと、男は顔を隠した、10歳くらいの銀髪の子供を前に出した。
「この方をある場所まで連れて行って頂きたいのです」
 別の男が言った。
 もう1人の男より幾分か若い。
「護衛…と言う訳ですね」
 少女はその子供については何も訊かない。
「前金はこれで…」
 他の客からは死角になる位置で金貨を5枚見せる。
「解りました。引き受けましょう」
 一般市民はめったに拝めないような額を見ても、少女は少しも動じずに答える。
 男は満足そうに笑みを浮かべて言った。
「君の名前を伺ったおこうかな」
 その言葉に少女の金色の瞳は興味深げな光を灯した。
「スィザナ=カーシルト」


 ここ数十年、各国の領土は落ち着き、大きな戦争は極めて稀になった。
 その代わり、王室、貴族の後継ぎや相続問題での暗殺、土地のいざこざの鎮圧など多方面で、傭兵が活躍している。
 特にこの帝国公認のギルドでは毎日依頼が絶える事はない。
 今回スィザナが受けた依頼はこうだ。
 ――少年を帝国首都へ無事送り届ける事。


 少年の名はラクナルト。
 帝国の属国“ムーンラル”の第一王子である。
 国の後継ぎなのは言うまでもないが、彼は最近亡くなった前皇帝の甥、つまり現皇帝の従姉弟にあたり、
 次期皇帝の問題にも携わって来る重要な人物なのだ。
 そして彼がいないほうが都合の良い者も決して少なくはない。
 不穏な動きがあるムーンラルでは身の安全が保障されないと判断されたらしい。


「王子…ではまずいのですね。ラクナルト様で宜しいのでしょうか?」
 身分は隠せと言われていたので、スィザナはまずそんな事から訊いてみた。
 「様」など付けて呼んだら人目を引く事限りないが、まさか一国の王子を勝手に呼び捨てに出来る訳もない。
 ラクナルトは不機嫌そうに顔を背けただけだった。
 スィザナは彼の反応を特に気にしなかった。
 2人分の荷物を背負いながら彼女は足早に宿に向かっている。
 ラクナルトは黙々としかし必死でその速さに付いて行く。
「明日隣町へ向かいます。徒歩ですので恐らく明日中に着くのは無理です。野宿のご経験は?」
 彼女は止まって――ラクナルトとの距離が開いていたので――再び問いを発した。
「徒歩!?馬車で行けば良いだろ…!」
 息を整えるのも忘れて叫んだ為に彼の言葉はそこで途切れた。
「隣町までは山を越えなければなりません。残念ながら馬車や馬での移動は無理です」
 実際には馬車は出でいるのだが、山を迂回する為、余計な時間が掛かってしまう。
 それに逃げ場がない馬車は安全とは言いがたい。
「私に山を歩いて越えろと言うのか?」
 改めて確認しなくても解った事だが、彼は訊かずにはいられなかった。
「そうです。山小屋などがあれば野宿は免れるかもしれませんが…」
 ここで彼女は気が付いた。
「もしかして、ご自分の足で長距離を移動したことがない…と?」
 ラクナルトは一瞬顔を紅潮させる。
「ばっ、馬鹿にするな…!そのくらい歩ける!」
 酒場と同じ区画にある宿までを早歩きで移動しただけで息を切らしている少年は虚勢を張った。
「そうですか。なら、問題ありませんね」
 彼女はそれだけ言うと、少し速度を落として歩き始めた。ラクナルトもその後ろに続く。
 日付がそろそろかわる頃だった…――


 次の日。
 ラクナルトの銀髪は汗でぐっしょり濡れていた。
 30分程登っただけだが、彼はもう一生分歩いたような顔をしている。
 対して、前を歩くスィザナは、やはり2人分の荷物を持ちながら呼吸の乱れすらない。
「ま…まだ頂上に着かないのか…?」
 彼のその言葉に彼女は気の毒そうに答える。
「残念ながら。1日中歩いても、この調子では中腹辺りがやっとかと」
 その言葉を聞くや否や、彼はそこに座り込んでしまった。
「――もう嫌だ!私はもう一歩も動けない!!」
 彼女も立ち止まった。
「大体何で…何でお前みたいな大人でもない…女なんかに偉そうに指図されなきゃならないんだ!」
 目の前で微妙に謂れのない中傷を浴びせられても、彼女は特に動じる訳でも何でもない。
「…ああ、不機嫌だったのはその所為だったんですね」
 小さな発見でもしたかのような反応だ。
「臣下の者に言われていたから大人しくしていたが…もう嫌だ!私は…独りで行く!」
 そういうが早いが、彼は立ち上がると道を逸れて走り去ってしまった。
「何だ、まだ動けるじゃないですか…」
 まるで彼の背を見送るように、それだけ彼女は呟いた。


 木々が疎らに生える山の中。
 薄暗く、視界は決して良いとは言えない。
 そんな場所を少年は走っていた。
 1度振り返ったが、追ってくる気配はない。
 息を切らしながら必死で、がむしゃらに走っていた彼の前に突如として障害物が現れた。
「…っ痛、何なん…」
 思い切りぶつかり、尻餅をついた彼はその障害に非難を浴びせようと顔を上げた。
 しかし次の瞬間、表情も体も強張ることになる。
「何処に行くのかな王子様?」
 30前後の、どう見ても悪人面の男達が5、6人が彼を取り囲んでいたのだ。
 もちろん友好的な雰囲気は微塵もない。
 かなり嫌な予感がした。
「まさか標的からのこのこやって来てくれるとはな。
 まぁ、小娘1人いたところでどうなる訳でもなかったが…思ったよりも楽な仕事だったぜ」
 疑う余地もない、彼は思った。
 自分を殺しに来たのだ。恐らく祖国の誰かの依頼で。
 男達はこちらの心情も関係なしに話している。
「おいっ!一応あの女の方も殺る事になってんだ。見失わねぇうちに始末しに行けよ」
 彼の正面に立っている男が指示した。
 あっという間に、ラクナルトとその男の2人を残して暗殺者達は木々の陰に消える。
 あの女…ラクナルトの脳裏にらしくない護衛の姿が過ぎる。
 後悔の念がうずいた。
 結果は同じでも、彼女がいれば幾分かこの心細さもましだったかもしれない。
「さて、殺るか…」
 残った男はそう言うと、事も無げに手にした長剣を振り上げた。
 絶望や悲しみや、とにかくそう言ったものがラクナルトを飲み込もうとする。
「う…こ、このお!」
 ラクナルトは何とか勇気を振り絞ると、腰の短剣を抜いた。
 がむしゃらに振り回す。
「うわぁっ!?」
 しかし軽くあしらわれる。
 短剣は離れたところに転がった。
「はっ、勇ましいねぇ」
 男は鼻で笑うと、改めて剣を振るう。


 その時、暗殺者達がスィザナを探しに行った方が騒がしくなった。
「ぎやあぁぁ!?」
「なっ、何…」
 誰のとも言えない悲鳴や叫び声が響く。
「ん?どうした?」
 警戒して男はラクナルトから視線を放す。
 そこに足元のふらついた男がやって来た。
「あ、の女…女が…」
 うわ言のようにように呟きながら倒れる。
「何があった?おいっ!他の奴らはどうしたんだ!?」
 男は倒れた同胞を揺さぶったが、既に事切れていた。
「くそ…、何があったんだ…」
 毒づきながらふと、顔を上げる。
 そこに少女が1人立っていた。
 それは特に何の変哲もない少女だ。
 肩に付かない程度に切り揃えられた茶髪。
 金色の瞳は珍しいが街で出くわしても気にも留めないだろう。
 ただ、ここは山の中――今は戦場だ。
 おまけに彼女の服には鮮やかな色の血痕が付着している。
「貴様が殺ったのか…他の奴らも…?」
「その子を返してください」
 投げかけられた問いを無視して、少女は要求した。
 ちなみに、男の前で座り込んでいるラクナルトには状況は飲み込めていない。
 何と言うか、全く予想していなかった事が起こっているという事くらいにしか。
 てっきり、殺されたと思っていた少女が彼を助けに来たのだから。
「狙いはこのガキなんだ!渡すわけねぇだろ!」
 3度目の正直。
 自分に向かって来る剣を前にラクナルトは恐怖から目を瞑った。
 それとほぼ同時。彼は、パンッ…と弾ける音とスィザナの声を聞いた。
「ヘル・ファイア」


 そしてしばしの沈黙。ラクナルトはそっと目を開いた。
「え…」
 思わず、そんな間抜けな声を上げる。
 彼から少し離れた場所に血を流して倒れている。
 スィザナの方はと言うと、先刻から変らない位置に立っている。
 変っているのは左肩に白い翼が生えている事。
「き、貴様は…“片翼”の…ぐっ――」
 何か言う前に、スィザナは男の襟首を掴んで訊いた。
「誰の差し金ですか?」
「言う、と思う、か…?」
 吐血をしながら男は不敵に笑った。
「まぁ、いいです。見当は付いていますから」
 そう言うと、彼女は手を放す。
 崩れ落ちた男は絶命していた。


「大丈夫ですか?」
 軽く2、3度手を掃ってから、彼女はラクナルトの方にやって来た。
 彼はまだ地面にへたり込んだままだった。
 ただ、何か言いたいらしく、口をパクパクさせている。
「…深呼吸を1度なさってみては?」
 スィザナが提案すると、彼は素直に従った。
 しかし、息を大きく吸い込んだ後の彼の声は震えていた。
 恐る恐る指を指して言う。
「は、羽根…」
「ああ、これですか」
 彼女がやや左を向くと同時に、翼は音と共に消えた。
「普段は見えないようにしているんですが、魔法を使うとどうしても…」
「な…何で羽根…、それに、こ、こいつら皆…」
「羽根は遺伝です。この方達はあなたに危害を加えようとしたので…申し訳ないですけど。
 それに私の事も勘付かれましたし、少々面倒なので…」
 少し顔を曇らせて言った。
「差し金…見当付いているって…」
「…あなたを私のところに連れてきた方…あなた臣下ですか?彼らですよ」
 彼女の答えの意味が彼には解らなかった。
「幾つか不信な事はありました。
 まず、彼らはギルドで依頼をせず、個人的に契約を結びに来ました。
 記録に残したくなかったのでしょう。
 それに彼らは私の名前を知らなかった。
 私の実力を知って依頼に来たのではない事は明らかです。
 それなのに迷わず私に話し掛けた…。
 あなたが先刻言ったように、一国の王子を私のような女に預けるのは正気じゃない。
 後で始末しやすそうなのを選んだのですよ」
 彼女は淡々と話す。
 そして、少し笑って付け足した。
「それに、護衛の依頼で前金…金貨5枚は安すぎるんです」
 ラクナルトはぽかんとしている。
 目の前の少女が今朝までと違った人のように見えた。
「そ、それで結局…お前は何なんだ…?」
「スィザナ…スィザナ=カーシルトです。これでも傭兵の中では有名なんですよ」
 彼女は答えになっているような、なっていないような返答をした。
「さぁ行きましょう、ラクナルト様。ここを早く抜けないと」
 彼女は彼の方に手を伸ばした。
「金貨5枚は安過ぎるんじゃなかったのか?」
「私が有名なのは、引き受けた依頼を必ずやり遂げる事で、です」
 彼女は自分の台詞に付け足してみた。
 間を置いて、ラクナルトは少し躊躇うようにその手を握って言った。
「ラクト…でいい」
「え…?」
「母様がそう呼んでたんだ…、わた…」
 そこで1度言葉を切って、思い直すようにうつむいてから続ける。
「僕の事を…。スィ…スィザナもそう呼べば良い…」
 少し顔を赤らめてそういう彼の姿は何だか微笑ましい感じでもあった。
 スィザナは軽く頷いた。
「ではラクト。…急がないと明日中に街に着きませんよ」


 帝都まではかなり遠い。つまりこれは、多くの話のまだほんの一握り。




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