――予想できない綺想曲
     ある時は流され ある時は奏でる



毎日が綺想曲
   マイニチ ガ キソウキョク



 そこは入る者を蝕む魔性の森。視界を覆う霧は前に進む事さえ許さない。
 森を徘徊する魔物達はそんな事もお構いなしに容赦なく襲い掛かる。
 そこはファントムという名の森だった。
――そして、ファントムの中心にいつ頃からか家がある。


「えぇっと…これと、これが…」
 何やら熱心に書類を作成している女性はこの森の住人。
 彼女の目の前には古いのから新しいものまで様々な種類、大きさの本が山積みにされている。
 女性は、艶やかな長い茶髪を後ろで束ね、耳飾りをしている以外は特に飾り気はない。
 とりたてて特徴のない赤みがかった茶色の瞳を何を思い出したのか不満そうに細めた。
「全く…かってに人の本を…危うく没収されるところだったじゃない」
 ぶつぶつ呟きながらも作業は止めない。
「うー…よし、これで全部」
 ほっとした様子で伸びをする。
「帝国にも困ったものだわ。何が“貴重な文化財の保護”よ。欲しけりゃ欲しいなりの態度取りなさいよ」
 ここ最近帝国政府はやりたい放題だ。
 何でも、前皇帝が急死し皇女が皇位を継いだとかで周りの家臣が実権を握ったらしい。
 先刻も貴重な文書を寄付しろとか言い強制的に家宅捜索されそうになっていたのだ。
「何とかならないものかしら…」
 ため息混じりにそう呟いたりしながら書類をまとめて机の端に置き、彼女は飲みかけの珈琲に手を付けようとした。
 その時…――

「たのもー!!」

 馬鹿でかい声が彼女の鼓膜を直撃した。
 彼女は反射的に玄関の扉を蹴り開ける。
「うるさいわよ!人ぐらい静かに呼べないの!?」
 扉の向こうにはまだ十分少年と呼べるくらいの年の男が仁王立ちで立っていた。
「俺様はルザ。知る人ぞ知る悪魔だ!」
 こちらの質問を全く無視してくれた少年は名乗った。
「知る人ぞっ…て、何人くらい?」
「えーと、友達と近所の…って、そ、そんな事はどうでも良いんだ!」
 数を数えていた指をなかった事にするかのように振り回して叫んだ。
「えらく内にしか知られてない様だけど…」
 あっさりと彼女は言ってのける。


(しかし、悪魔…か)
 ざっと少年を観察してみる。
 額には“悪魔”の印“黒い月”。
 体格は華奢で顔も可愛らしい。
 緑の瞳に黄緑がかった金という不思議な色の髪。
 概ね“悪魔”の標準的な容姿と言える。
(今時まだ“悪魔”を吊名乗っている“精霊”がいるとわね)
 彼女は珍しいものを見る時の目でルザを見つめた。


「それで、何の用?」
「あっ。今、何言ってんだこのガキって思ったろ。こう見えても俺様はとっても長く生きてるんだぞ」
 何故か踏ん反り返って見下すように言うルザ。
「知ってるって。だから私の質問に答えなさい」


 悪魔は精霊の一種である。
 そもそも精霊というのは魔力であり、それが集中するところに意志が生まれる。
 意志といってもかなり曖昧なものらしいが。
 意志が更に力を纏うと、ある程度自由に実態を形成できるようになる。
 それには長い年月が必要な為、若い精霊でも普通は意志を持ってから百歳くらいは生きている。
 大抵、実体を維持する以上の魔力を持っているので、実体を持ったばかりだろうと何十年生きようと外見は1、20代だ。
 もちろん変わり種はいるが。
 一般的には精霊と悪魔は魔力源の違いで分けられていた。
 しかし、基本は同じだ。


(人間と精霊の違いを判る人はそういないから、精霊を名乗る奴もほとんどいないのに)
 もう一度ルザを見る。
 相変わらず自身ありげに立っている。
 彼はやっと答える気になったようで、ふっと不敵な笑みを携えてから口を開いた。
「何故わざわざ俺様が出向いたというのはだなぁ…。ここに物凄い魔導士がいると聞いたからだ」
 必要以上に大声で話すルザを前に、彼女は予想通りの答えに頭を痛めた。
「何でもそいつは何十年も前からこの当りを仕切っているから、そいつを倒せば一気に名が上がる…
 じゃない、い、今の名声に更に磨きがか、かるって訳だ!」
 焦ったのか、最後の方は台詞を噛んだりしている。
 彼女は少し考え、そして明後日の方向を向いて喋った。
「その人なら今留守よ」
「なにぃ!」
 一々うるさい奴である。
「さては俺様に恐れをなして逃げ出したな!」
(何て典型的な…)
 どうしたものか…と悩む間もなく、ルザが急に彼女の方へ歩いてくる。
「さぁどけ、女。俺様は今から戦利品を…」
 そう言ってかってに家に入ろうとした彼を止めたのは一発のボディブローだった。


「おぐっ!?」
「ごっこは外でやって頂戴…」
 先刻までと違ってその声は人が殺せそうなくらい鋭い。
「――…うぅ…」
 もろに入って呻きを上げるしか出来ないルザに、そんな事は気付けなかった。
「く…くそぉ、お、俺様を…嘗めるなぁ…!」
 痛みを堪え意識を集中する。
 彼の目の前には炎のイメージ。
「ヘル・ファイア!」
 彼女との距離は僅か、避ける間もない筈だった。
 しかし…
 パンッ――軽い音を立てて炎は彼女の前で弾けた。
「え…何で…!?」
 手で払い除けられるような威力ではなかったし、魔法を使ったにしても、呪文を唱えていなかった。
 何が起こったか解らずに口をパクパクしていると、彼女はまるで講義でもするように言った。
「魔法っていうのは色々勘違いをしている人もいるようだけど、呪文なんて必要ないのよ。
 勿論詠唱なんてのは初心者か…もしくは余程難しい魔法にしか用いない。
 こつを掴めば詠唱が要らなくなるように、呪文も慣れれば必要ないわ」
 ルザは総毛立った。
 目の前に立つ女に何か言いようのない恐怖を感じる。
 この場を逃れようと再び意識を集中するが、混乱しきっている為上手くいかない。
「ヘ…ヘル・ファイア!!」


 炎は全く見当違い場所で炸裂。
 だがその威力は地面に軽い振動をもたらした。
 揺れには構わず彼女はやはり講義口調で続ける。
「駄目ね。常に冷静さを保つのが魔導士の…」
 そこまで言ってから、何か嫌な予感がして彼女は玄関を揺り返った。
 珈琲がカップから溢れていた――今の振動で倒れたのだ――書類の上に…
「あー!!!」
 取り敢えず叫びながら家の中に飛び込み書類を手に取る。
 茶色く汚れインクもすっかり滲んでいる。
「あ…あぁ……」
 目に涙まで溜めて呟く。
「11時間37分…」
「え…?」
 意味の解らない事を言われ、逃げる事も忘れたルザは思わず聞き返した。
「11時間37分よ…これにかけた時間…。
 依頼受けて…こんな埃被ってるような古代文字を一生懸命現代語訳したのよ…。
 11時間…」
 ここで彼女はルザの胸倉を掴んだ。
「11時間37分よ!?解る!?星が約174、25度も動いちゃうのよ!」
 一息吐き、きっと睨む。
「11時間37分の仇ぃ!!」
「ぎやああぁ!!」(後は想像にお任せします)


 悪魔のルザが、魔法研究者でトレジャーハンターで薬師、神話学者その他諸々でもあるこの女性こそ、
 魔導士ルリ=カーシルトだということに気付いたのは翌日、意識を取り戻した時だった。





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