――真っ直ぐ突き進む行進曲。
例え乗り気でない目的地でも。
予定調和の行進曲
ヨテイチョウワ ノ マーチ
恐らくその街ではその仄暗い雰囲気が常なのだろう。
素性の知れない人々が行き交う道も。
夜の間に赤黒い体液で汚れる石畳も。
路地裏で息を潜めて目標を狙っている不審な人物も。
誰も、何も気に留めない。
喧騒が行き交う深夜の酒場で、酔い潰れていると思った男が刃物で絶命して居たとしても。
その男の元から楽しそうな笑みを浮かべた痩せすぎた女が立ち去ったとしても。
誰も、何も気に留めない。
まるですべてが予定調和の様に。
酒の匂い、煙草の匂い、化粧の匂い、人の匂い、
それらが充満した空間では、その男の血の匂いなど、微々たるものに違いなかった。
「なんつーか、地味な仕事だな」
酒場から出て来た女に突然、言葉が投げられた。
亜麻色の髪の彼女は、昼間では直視できないほど派手な化粧を施し
水商売風の露出の高い衣装に身を包んでいる。
気配なく近付いて来た赤毛の彼に初めて気が付いたが、彼女は驚きなどしなかった。
「あらぁ、ウェル…。
あの男はねぇ、遺産の問題で身内に殺されたのよぉ」
甘ったるい口調で言い終わり、何が可笑しいのかくすくす笑う。
他人事として話しているが、実際に殺したのは彼女に違いない。
「やらしい眼で近付いて来た所で、心臓を一突き。
すぐに衝撃で力尽きたわぁ」
彼女は親しげに呼んだ男、ウェル――ウェルストに近付く。
そして掌に隠れるくらいの短剣を彼に投げた。
「相変わらずだな、ユラ」
「あなたこそ、相変わらずでぇ…ますます楽しい」
半歩でその短剣を避けた彼に、彼女は言葉通りますます嬉しそうに笑った。
先程まで武器を向けて来たと思えないくらい、友好的な雰囲気で腕を絡める。
「そっちは、派手にやってきたんじゃないのぉ。
煙草の香りで隠せてないわよぉ」
顔を寄せてわざとらしく鼻をすんすんと鳴らす彼女に、
適当な事を言っているのだろうとこちらも適当にあしらう。
「お前が血の匂いに敏感なんだろ」
「ふふ、そーね。うん、そーだったとしてもそんなコトどうでもいいしねぇ。
最近はどーしてたのぉ?最近この辺りに居ないじゃなぁい」
「お前がいる領域ならうろうろしなくてもいいだろうよ。
馬鹿やってる連中なんて勝手に潰れるからな。
殺し過ぎないようにたまに顔見せで十分だろ」
彼女とは大した頻度で会う事はないが、
彼女にとってはその回数でも同じ人物に会う事は珍しいのだった。
「アタシ信頼されてるぅ。
じゃあ、今回のお願いは別のお仕事なのぉ?」
「俺の趣味半分、本業半分だよ」
「そのめんどくさそーな本業、やってる理由とか、まだ教えてくれなぁい?」
「まだどころか、いつまでも教える気はねぇよ」
それはそれで楽しいわよねぇ、と怪しい笑みを絶やさない彼女は、彼の腕を引っ張りながら歩き始める。
居酒屋の前を通れば時折陽気な歌の1つも響くものの、街はそれすらも仄暗く霞ませている。
「で、俺の言ってたような依頼はあったか?」
細い路地へと足を進めると、聞こえるのは2人の話し声と足音ばかりだ。
「ああ、たぁくさん、着てたわよぅ。
何でかあたしを暗殺者か何かだと思ってる連中から色々と」
1度会った者と、2度会うことなどほとんどない。
彼女は暗殺者ではなく“殺戮者”だ。
暗殺と言うには殺し過ぎる。
それこそ悪人だろうと善人だろうと、子供だろうと老人だろうと。
自分なりに法則を作ってそこに準じているようだが、
そうでないと本当に街1つくらい殺しつくしてしまう様だった。
危険な存在過ぎて指名手配すらされていない。
殺す所に立ち会った者がほぼ死んでいる為、手配書が作れないらしい。
それ故、ユラリと現れる殺人者「首狩りのユラ」。
噂上の人物として存在している。
その彼女の特例が、ウェルストだった。
別に特別な感情で見逃した訳ではない。
ただ、会う度に殺せなかっただけで。
「ウェルからのお願いなんて珍しくて、はりきっちゃったのよぉ」
「張り切るなよ、余計な死人が増える」
2人は多少なりと人の声がするところからも離れて行く。
いかにも商売女が客を捕まえてえるように、路地の一番暗い所へと一直線へ進んでいる。
ウェルストは最近「邪神」の事が気になりあちらこちらに飛んでいたが、
友人からの依頼を忘れていた訳ではない。
皇帝暗殺に関係のありそうな事はきちんと探りを入れていた。
その情報源の1つが、暗殺を受ける方の「首狩りのユラ」だった。
「皇帝ちゃん、だけじゃなくて要人暗殺は相当数溢れてるわよぅ。
ムーンラル王国国王メイジアス・トリート・イキ・ムーンラル。
第一王子のラクナルト・ルナーセン・イキ・ムーンラル。
カルベルシュ領領主ライフェル・イクラム・カルベルシュ。
クナンセス領領主…。リエラ、リエラなんとか…クナンセス。
…何件か依頼が着たのはそれくらいかしらぁ。
1回は省いておくわ、めんどくさーい」
「がっつり皇帝候補に名前が挙がった者ばかりだな」
属国ムーンラル王国の現国王メイジアスの妻は賢帝と称えられる先々代皇帝マクルの娘。
その妻の存在を利用して、属国から帝国へ下剋上するのではと言うのは、
政治に携わっていたり興味が在ったりする者の間では、
婚約が成立してからずっと言われて来た事だ。
結局その様な動きは一切なかったが、
先代皇帝の元には生まれなかった男子が2人も生まれた事から
未だムーンラル王国から皇帝が出るのではとは囁かれている。
しかしながら現在の帝国領内では法律上、領地を統治する上では既定の帝王学を学び、
後見人なしで即位出来る能力が必要だと定められている。
それは州長や領主だけではなく皇位でも同様の為、
異国の幼い王子は実際には皇帝の椅子を争う所まで行かなかった。
豊かな領土に恵まれたカルベルシュ領主であるカルベルシュ家は
セドニー家がまだ公爵家であった時に所縁のあった家系である事から有力視されており、
しかも現領主が未婚であることから、サティルとの結婚話も何度も出ていたようだ。
リエラ・クル・クナンセスは帝国学院の2学科を十代で卒業した秀才にして、
養子として破たん寸前だったクナンセス家を立て直した政治の天才だ。
更に工学に見識が広く、最先端の技術力で今や自領だけではなく帝国の工業分野を牽引している。
彼女の場合、どうせ女性が皇帝となるなら、こちらの方が実績のある分良いのではないかと、
何故か折に名前が挙がっていた。
「依頼主の身元は割れてるのか?」
「殺しつくしちゃって辿れないのもあったけどねぇ」
そう言うと彼女は胸元から折り畳んだ紙を取り出した。
特にもったいぶりもせず、それをウェルストへと手渡す。
「まぁ皇帝ちゃん絡みはそれ以外の勢力のお偉いさんが絡んでるって感じよねぇ。
ただ、少し気になるのは」
彼女はそこでようやく彼の腕を放した。
「妙に手の込んだ仲介で来てる仕事がね、多いのよぅ。
もちろん要人暗殺だから、
ホントの出資者に辿り着かないようにって言うのはあるんだろうけどぉ。
こう、辿って行くと別の人物に当たるんだけどぉ、
その過程と言うか工作が似通ってる物がいくつかあったのよぅ」
密談と言える会話が続くのは完全に人目を避けるような路地裏の更に裏。
しかも元々治安の良くない街のそんな場所では、
たとえ何か起こったとしても、例え何か目撃したとしても、皆目を背けるだけだろう。
「…小細工までしての同じ筋からの依頼、か」
眼で続きを促すと、彼女はにんまりと笑った。
「もちろん、ウェルの為に頑張っちゃったわぁ」
その言葉が終わるか終わらないかと言う瞬間に、彼女の手から短刀が放たれる。
しかし今度はそれを彼は避けなかった。
避けるまでもなく、彼の横を通過した凶器は、彼の後ろに現れた黒い影に突き刺さる。
「その頑張りを認めてもらえたのか、最近熱烈な追っかけが後を絶たないのぉ」
「本職か」
ワザとらしく誘導された挙句不意打ちを喰らったにも関わらず、
動揺の声もうめき声も上げずにいた「追っかけ」を確認して呟く。
ただの殺し屋ではない。訓練を受け尽くした暗殺者。
相手はユラの凶器を抜いて向かってこようとしたようだが、
当たり前のように塗られていた毒が一瞬で回ったらしく、2、3歩でよろけて前のめりに倒れる。
ウェルストはその首元を容赦なく鉄板の仕込まれた靴で踏み砕いた。
生々しい音も感触も、倒れる寸前まで相手が向けていた凶器にも目は向けない。
視界に入れるのは入れ替わるように影から現れた者。
両手に仕込まれた刃物がわずかに除く月明かりを反射する。
あと2人その背後に見えていたが、
笑いながらこちら側の殺戮者が向かっていったので一旦意識から外した。
素早く繰り出された両刀の攻撃を、取り出していた短刀で1度受ける。
それを予測済み相手が反対側の刃先を死角から狙って来るのを、
更に読み切っていた彼は利き手と逆の腕に付けている小手で
攻撃を流した瞬間に暗殺者の手首を掴んで捻りあげる。
淀みない動作で相手の関節を砕くと、その勢いのまま地面に叩き付けた。
それでも何とか首を動かしてこちらを見ようとする敵だったが、
口に暗器が含まれている可能性があるので、すぐに足裏で後頭部を押さえつけた。
「捕まえて吐かせる…は、やったか?」
ほんの数秒の出来事だったが
こちらと同じくあっさりと先ほどの背後の2人を血の海に沈めていたユラへ、
一応という感じで訊いてみる。
「試みなかった訳じゃないんだけどぉ」
思わせぶりに彼女は指で示す。
その指の先。地べたに這い蹲らされている暗殺者。
ほんの少し身じろぎをして、何やら言葉を発した。
それは聞き取れはしなかったが、聞きとれた所で意味などなかっただろう。
――魔法使いか。
瞬時に踏みつけていた後頭部を起点にしてその場から跳び去る。
耳元で、すさまじい風圧とともに、古びた建物の壁面が割れる音がした。
自分で放った魔法の威力と、実質蹴り飛ばされた事により、反対側の壁へと叩き付けられた暗殺者。
その瞳と暗い中なのに妙にはっきりと目があった。
強烈な既視感。
ただ、それが何に由来する物か一瞬解らず、とりあえず目の前に対処する。
口を割る事を諦めて止めを確実に刺そうとした所で、その行動が無駄だった事を悟った。
相手は眼球や耳、口といった穴という穴から体液をぶちまけると、ぐしゃりとその場に潰れた。
「その限界突破した系のやばそーな奴は、大体そうやって死んじゃうのよぅ。
なんか、自分で殺したって感じが味わえなくてすっきりしないのぉ」
わずかなりとも困った風な口調で告げたユラを見ると、彼女が殺した者の1人も、似たような状態になっている。
で、さっきの続きだけどぉ、と彼女が返り血を適当に拭いながら近付いて来る。
「邪教徒、って言って、通じるぅ?」
その言葉があまりにも意外で、ウェルストは思わず長い溜息を吐いた。
「……ここでまた邪神かよ」
心当たりがあるのぉ、と眼を丸くしたが、彼女はそのまま続けた。
「何かねぇ、そういうのの組織?っぽいのぉ。
必ず使い捨てっぽいので行き止まりになっちゃうんだけどぉ。
あと、さっき渡した紙のお偉方の中にも心酔してる層がいるらしいわよぉ」
「そこと絡んで来るとは思わなかったよ、正直。
確かに邪教徒の事件は合法も非合法もちょっと目立ってはきてるが…」
「そーよねぇ。1年くらい前だっけぇ?
表の方でおっきい仕事あったじゃなぁい」
「もちろん知ってる。報告書も取り寄せた」
帝国政府公認の組織の為、ギルドでは機密や顧客情報以外の部分で、
公共性の高い仕事ならその内容を閲覧する事は可能である。
2年ほど前に邪教徒を名乗る集団による大規模な誘拐が起こり、
被害者の親族などが独自に雇った傭兵等の介入で、組織的なものが解散した。
しかし、さらにその1年後に同じ派閥を名乗る集団による破壊行動が行われ始めた。
その後、大規模な自教団の施設に立て籠もったが、
今度は帝国の命を受けたギルドによって殲滅されたのだ。
「その件は、ギルドの閃光と弦月で処理してんだよ。
目を通したけど、最低限の内容と処理完了って事しか書いてねぇし」
仕事の報告書くらい、詳しく書けよな、と溜息交じりに愚痴る。
「あの特級どもはどの仕事も2人で解決しやがるからな。関係者もいないし」
「その傭兵って有名人じゃなぁい?
会って訊いてみれば良いんじゃないのぉ?
あなた個人は別に手配されてないんだしぃ」
まぁそうなんだけどな、と口にしながらもそうしていない簡単すぎる理由を告げる。
「でかい仕事を渡り歩いてるみたいで足取りがよく解らん」
「うんうん。さすがに私も名前くらいは聞くけど、会った事はないわぁ」
「会ってたらどっちかが死んでんだろ」
閃光と弦月はギルド最強と名高い傭兵。
その主な功績は、指名手配及び犯罪組織構成員の殺害である。
殺戮者と出会ったらどうなるか、想像するまでもない。
彼女はしかし相変わらずきゃらきゃらと楽しそうに笑う。
「ギルドの主な傭兵は皆首都に集まるんじゃないのぉ。
行って待ってたらいいじゃなぁい」
「まぁそれが確実か」
ギルドの傭兵は階級によって様々な権限が与えられている代わりに、
いくつかの義務にも縛られている。
そのうちの1つが、定期的にギルドの集会に顔を出す事だった。
少し考える仕草をしていたウェルストを覗き込みながらそういえばぁ、とユラが口を開く。
「その目はどうしたのぉ?」
傷跡が残る左目をまじまじと見つめながら問うてきた。
「ちょっとヘマした」
「へぇ。強敵だったぁ?」
「いや、状況的に」
その情景を脳裏に過らせた時に、既視感の正体に思い至る。
目の前で狂って行った、盗掘業の男達。
自分が遅れを取ったその瞬間。
思わず、堕ちて行きそうな奇妙な感覚を起こさせる、目の前の瞳。
――あの時の目と一緒か。
思い至った所で、彼女に告げても意味があるとは思わなかったので、
その話題を打ち切るために懐から用意していたものを取り出した。
「情報料」
彼女の手に渡された皮袋からは金属音が響く。
重さですぐに金額が分かったのか、ふふっ、と笑みを浮かべて彼に寄り添った。
「あらぁ、こんなにぃ?
別にお金なんてくれなくても、ウェルの頼みだもの。
…身体で払ってくれてもいいのよぅ?」
しなを作って再び彼の腕へと絡みつく。
「…死線を潜る数を数えるのに手いっぱいになりそうだから、遠慮しとく」
いつの間にか彼の死角に現れた針の暗器を取り上げながら苦笑する。
「あらぁ、残念」
彼女はまったく残念さを感じないように残念がると、返された暗器を胸元へとしまった。
「ウェルならいつでも大歓迎だから、またあたしと遊んでねぇ」
「とりあえずお前は、羽目を外し過ぎないようにな」
彼にそう言われると今日一番可笑しいとでもいうように、
今日一番楽しげな笑い声をあげながら「首狩り」は、
この街の仄暗さへと消え去っていった。
その様を見届けた後、煙草へと火をつける。
香りを体に纏わりつかせるように深く息を吐いた。
「予想以上に、深い所に来てるな。
てか、趣味半分だったのが、いつの間にか仕事の領域かよ」
気楽に遊びも楽しめないとは、と独り語散つつも、どこか面白そうに、
まるで過ぎ去った殺戮者を真似るように彼は笑った。
「首都、ね。レマージュへの報告もあるし、一旦戻るか」
かくしてすべては邪神への進みに進む。
まるですべてが予定調和の様に。
どす黒い路地を見返しもせずに目立つ返り血だけ拭うと、彼もまた闇へと溶けていく。
今この場で流れた血も、これまで流れた血やこれから流れる血に呑まれてしまえば、
微々たるものに違いなかった。
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