――作者不明の楽譜集。
     誰にも読めない記号の羅列。



来歴のない楽譜
   ライレキノナイ スコア



 ユーザ帝国より海を隔てた西、魔法王国と呼ばれるアルフガナ。
 王都郊外に居を構える魔導士養成学校リヴァーサルド学園。
 その人気のない校舎裏に1組の男女の影があった。

「……動物の名前?」

 特待制度優等生の1人であるシャレオは、同じく優等生のゼアから受取った紙切れを見て呟いた。

 そこにはそっけなく数個の単語だけが並んでいる。
 断言できないのは、どれも聞き覚えのない名称だった為。
 蛇や蜥蜴といった単語が付いているので動物の名前なのだろうと漠然と思っただけだった。
 しばらくその意味を理解しようと文字を眺めていたが、それはやはり数種の動物の名前でしかない。

 自らその謎を解く放棄して、彼女はゼアを無言で見つめた。
 そうだろうなという感じですぐに彼が話し始める。

「魔物の誕生には諸説あるけど、
 今有力なのが、その辺にいる動物からの突然変異って奴だ」
「講師によってはそう言うけど…」

 シャレオが口を挟んだのを、まぁ最後まで聞けと彼は続ける。

「その紙に書いてあるのは、
 あの日に現れた特殊な魔物の、元になったと思われる動物の名前だ」

 あの日――多数の死傷者を出した魔物がアルフガナに現れてもう1月以上は経っただろうか。
 異形の魔物達は複数個所に同日に現れ、彼女もその討伐に参加していた。

「聞いた事もない名前なのだけど…」

 突然変異説を元にした仮説なのならば、その元の動物がこの辺りにいたはずである。

「そりゃそうだろうな。
 どちらもこっちの方には生息してない動物らしい」
「こっち?」

 こっち、と再度言葉にして彼は自分の足元を指した。

「アルフガナやサイレーン、あと、ビクスとかにもな。
 どれもタクハ共和国とユーザ帝国の一部…つってもタクハみたいなもんだな。
 タフェル領にしかいないとされてる動物だ」

 彼の言葉に沿って脳内に広域地図を思い浮かべる。
 タクハ共和国とユーザ帝国タフェル領が存在するのは、アルフガナから東へ海を越え、
 更にビクス王国とビュフェット王国を経てたどり着くユーザ帝国の首都から、
 南に海を隔てた先にある小さな大陸である。

「ちょっと遠すぎてぴんと来ないのだけれど…。
 要は魔物が海を越えてきたって事?」
「動物園だとか愛玩用に持ち込まれてるのもいるだろうけど、
 一応その辺は調査されたらしい。
 近隣の動物を集めてるような施設や金持ちの所有してた動物で
 行方が分からなくなってるってことはないとさ」
「じゃあやっぱり魔物がわざわざやって着たって事になる訳?」
「わざわざ遠く離れたこの国に攻め込んでやろうって?
 俺にはあの魔物にそんな事考えられるようなまともな思考があるとは思えなかった」

 そう言われてしまえば確かにわざわざこの国に来る意味は感じられない。
 そもそも彼女たちが倒した魔物にいたっては、目が見えてないようだったのだ。

「蜥蜴やら蛇やら、海を渡ってくるってのもめちゃくちゃな気もするしな」
「じゃあ…」

 何の脈略もなくこの国に現れた事になってしまう。
 この小さな紙に書かれている動物たちは、何の由縁もなく集まったとでもいうのだろうか。
 唐突に白紙から染みが現れたかのような違和感。

「届け出なしに持ち込まれてたものなのか、何かしらの方法で意図的に集められたか」
「何かしらの方法って何…?」
「それは知らねぇよ。
 知ってたらなんか論文書いて賞でも取ってるし。
 まぁ後は突然変異説とは全く関係ないかだな」

 ゼアの言葉を受けて、もう一度渡された紙に目を落とす。

 レアトにそれとなく探りを入れた所、
 彼女の想い人ウェルストはシャレオ達も討伐に参加した特殊な魔物について色々と訊いてきたらしい。
 彼女の中で長期連休を利用しての帝国への帰省は決定している。
 それならばウェルストに少しでも手土産になる情報を持って帰りたい。

 ただ学園に缶詰の彼女に、彼が手に入れられない様な情報など自力で手に入れる事など不可能だ。
 そこで取引したのが同級生の彼である。

「とにかく、その情報はさすがに知らねぇだろうからな。
 最新情報だし、充分だろ?」

 ウェルストが何を具体的に何を探っていたかまでは解らないが、確かに目新しい話ではあるように思った。

「これ、どれくらい信頼できる情報なの?」
「メイ姉が直接仕入れたらしいから、眉唾ではないだろ。
 少なくとも、国の研究機関はそう結論付けたって事だよ」

 メイ姉――メイ・ラティカルは、目の前の少年、ゼア・ラティカルの姉である。
 美しい容姿と圧倒的な魔法力に次期伯爵と言う権力と人脈を持って、
 この学校の頂点に君臨している学園の女王だ。
 社交の場に出ている彼女はもはや学園をも越えて、国政に近い所までも影響力を持っているらしい。

 と言う事で、今回はゼアを経由して機密を流してもらったのだ。
 持つべきものは情報網の広い友人である。

「んじゃ、次の小論文と国家史の写し、頼んだ。
 メイ姉の方は、帰省した時に帝国でしか流通してない化粧品よろしく、だとさ」

 そっちの紙、と指された2枚目の用紙には、本命の物よりも明らかにみっちりと商品名が記載されていた。
 どれも男にはピンとこないようで、彼は機密と引き換えにする様なものなのかと呆れた顔をしている。
 そんなもう一仕事終えた風な同級生に尋ねたいことがあった。

「ゼア、ねぇ…」
「あ?」
「どうして知り合いってわかったの?」

 突然の話題転換に不可解そうな顔をしたゼアは、しかしすぐに思い当ったようだった。

「お前が自分で思ってる以上に、人見知りだから」
「…は?」
「例え一目惚れをしたとしてもあんな風にはならないだろ。見ただけで解る」

『知り合いだって事どころか、気がある事までバレバレだぞ』

 ウェルストが学園から去った後、そう声をかけられた。
 よほど浮かれていたのだろう。
 平静を意識していただけに、
 まだ供に過ごして半年程度の同級生に見透かされていたとは少々バツが悪い。

「どう考えても堅気の人間じゃなさそうなんだけど。
 てか、マジで何者だよ。あいつ」

 戦争も特筆すべき内乱もない現代。
 あそこまで戦い慣れている人間は何を生業としているのか。
 戦う事を学んでいる者からしたら当然の疑問なのかもしれない。

「兄の友人」

 求められている物ではない事は解っていたが、彼女なりに答えておく。

「そーゆー意味で聞いてない事くらい解ってんだろ」

 すると案の定、ゼアは不満そうに半眼になる。

「私も、知らないもの…」

 別に何かを隠した訳ではない。
 ウェルスト・トゥアトスという名前。
 兄と同じ学園で過ごした友人と言う事。
 本当に彼女はそれ以上の事を何も知らない。
 彼と出会って5年ほどの間、もっと知りたいとは思っていたけれども。

「なんつーか、女から見てどうなんかは解らねぇけど、追い駆けても不毛そう。
 まともに相手してもらえないっつーか」
「解ってるわ」

 友人の妹だからこそ気に留めてもらっている事くらい理解している。

「私なんて、色気もないし、胸もないし」
「いや、お前の身体的な情報がどう影響するか知らんけど…」

 突然自虐を始めたシャレオに、ゼアは自らが地雷を踏んでしまった事に気付いたようだった。

「まぁでも、お前に好かれたら大抵の男は喜ぶんじゃねぇ?」

 恋愛の話など面倒なのだろう。
 慰めと見せかけて半ば話題を打ち切る方向の台詞に、多少むっとする。

「そういう何の根拠もない慰めなんていらないから…。
 何?じゃあゼアも私から好かれたら喜ぶ訳?」

 もちろん幼い時から将来美人になると持て囃されて来た彼女ではあるが、
 万人が自分の事を愛おしく思う訳ではない事くらい重々承知していた。
 一瞬眉を寄せて考えた風だったが、案の定彼はすぐに首を横に振った。

「俺の好みはもっと素朴で、魔法の魔の字も使えない、
 戦闘力の皆無な、む……女だから」

 余計な事を言わない様に、言葉を選んだ後、彼はしみじみと呟く。

「顔が良い上に、頭も良くて強い女なんて御免だよ」
「私も次期伯爵でもないのに伯爵家の長男とかいう大層な肩書が付いた人は嫌」

 面と向かって好みではないと言われた事が何となく癪に障ったので、彼女としても拒否しておいた。

「そっちから訊いてきたのに!?」

 彼は「シャレオさん、それは無いっスわー」と棒読みでささやかな反論を試みていたが、
 完全無視する事に決めておく。
 すると普段「顔も頭も良く強い」姉の尻に敷かれまくっている弟は、
 いつも不機嫌そうな眉を一層顰めて溜息を吐いた。

「好みには自尊心が高過ぎない控え目な子、ってのも付け足しとくわ」





 シャレオの姿が完全に見えなくなったのを確認して、彼も寮に戻るために歩き出した。
 しかし建物の陰から出た瞬間、そこで思わず立ち止まる。
 目の前に立ち塞がっていたのはシャレオとゼアと同じく優等生制度利用者かつ学園長の孫、レアト・ロートだ。

 なんだか身体をわなわなとふるわせている。
 面倒臭いのに見つかった、とゼアはあからさまな舌打ちをした。

「な、何を…」

 レアトは口をパクパクさせながらゼアとの距離を一気に詰めてきた。

「シャレオさんと2人きりで何を話していたんだ!」

 何とかそこまで言葉にするのと、胸倉を掴み上げられるのは同時だった。
 いつもだったらそんな事をされる前に逃れる所だが、
 今回ばかりは後々更に面倒な事になりそうだったので、ゼアは甘んじてされるがままだった。

「次の課題の事だよ。
 構成理論の証明がどうたらとか言うのの答え合わせ」
「そんなの教室ですればいい話だろ!?」

 立場でも容姿でもそれなりに学園内では目立ってしまう2人が話していたのは、
 どう考えても人目を憚っているとしか思えない校舎の裏手だった。
 人に見られる可能性は低くても、見られたら何かあるとしか思われないだろう。
 多感年頃の学生達。
 まさか国家機密のやり取りをする為とも予想されない。
 そりゃそうだよなと心の中では思いつつ、盛大に話を逸らす。

「何度も言うけどな。
 俺、別にシャレオ狙ってねぇし…」

 先ほど本人を目の前にしても宣言して着たばかりだった。
 するとあまりにも素直に、逸らした路線にレアトは乗り込んでくる。

「あの可憐で美しいシャレオさんの側に居て、
 好きにならない男など居る訳ないだろ!?
 貴様男として終わっているとでも言うのか!」

 彼女に気が在っても無くても文句を言われるとは一体どうしろと言うのだろうか。
 男も女も恋愛事が絡むと本当に厄介だ、と今日2度目の溜息を吐く。

「そりゃ、お前の好みだからそう思うかもしれないけどな」

 壊れてしまいそうなほど繊細で愛らしく美しい容姿。
 それとは裏腹に中身は気が強く、能力もそんじょそこらの男では並べないほど高い。
 容姿端麗、文武両道。
 盲目的に尊ぶ、もしくは高めあって行くには素晴らしい女性だろう。

 しかし、系統が同じ姉に頭を押さえつけられ続けたゼアには荷が重すぎる。
 1人でも頭が上がらないのに、2人なんて地べたに這いつくばれとでもいうのだろうか。

「俺の好みは素朴で魔法の魔の字も使えない、戦闘力皆無な…」
「そんな条件シャレオさんの愛らしさの前では無意味だ!」
「胸のそこそこあるコだから」

 先ほど本人の目の前では殺されそうだったので呑み込んだ言葉を告げてみる。
 すっと場の温度が下がった。
 レアトは掴んでいたゼアの制服を放すと、勿体ぶった間を取った後、乱れた前髪を整える。
 更に一呼吸置いてから妙にいい笑顔を向けてきた。

「ゼアとはこれからも文武で切磋琢磨できる良き好敵手だな!」
「そこは納得すんのかよっ!?」

 何故だか固い握手を求めて来た悪友の手を、彼は突っ込みがてら振り払った。





 まったくの由来のない場所に現れた魔物に騒動。
 誰も拾わない散らばる音の破片。
 その邪なる出来事の意味を、まだ誰も知る事はない。








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