――思わぬず飛び出した噪音。
     作為も悪意もなかったけれど。



予想外の噪音
   ヨソウガイ ノ ノイズ



 傭兵になる事を認めてもらう条件として、彼女は幾つかの約束事を交わした。
 その内の1つは常に「命を奪う覚悟をする事」。
 自分はまだ、油断出来る程強くはない。
 そして「自らの正義を疑え」。
 どうにも落ち着いて見えるらしいが、勢いで行動しがちだし、流され易い。
 考えなしの言動は、彼女の悪い癖だ。







 今や傭兵と呼ばれる者の大半が所属する帝国公認傭兵ギルド。
 10階級に分けられ合法に管理される所属傭兵。
 有事の際には帝国から直接指揮のある任務も与えられる準公僕的存在。
 そこには10階級の何処にも属さない特級階級がある。
 「帝国公認」で時折法律も超越した権利を有したその階級に属している者はせいぜい10人程度。
 帝国公認ギルド特別指定階級、通称特級。 
 彼らはギルドの象徴であり、大半の傭兵の目指す姿でもある。





 振り向きもせず淡々と歩いて行く“閃光”に早歩きどころか小走りで着いて行く。
 始めは何か急いでいるのかと思ったが、スィザナは足元を見て納得した。
 歩幅が違い過ぎるのだ。
 ギルド特級所属のファイとレタリスと契約を交わしたスィザナは、
 比較的大きな街に着くや否やギルドの支店へと向かった。
 正確には向かわされた。
 ギルドは基本仲介をしているが、個人的に結んだ契約でも合法な物は
 手数料を払えばギルドの業務の一環として行っている事だと申請しておく事が可能だ。
 その制度を利用して、スィザナが行っているラクナルトの護衛を、
 ラクナルト本人から依頼をされた仕事としてギルドに報告しろと言って来たのはファイだった。

「痕跡を残すのは危険かと」

 数度ラクナルトの父であるムーンラル国王に危機を知らせる手紙も送ったが状況は芳しくない。
 彼をスィザナに引き合わせた男は国政にかなり深く携わっている者らしく、
 ほぼすべての書簡は国王の前に検閲されてしまっているのだ。
 その結果も踏まえて思い切って彼女も意見してはみた。

「そうでなくてもすでに補足されてるんだろ。
 お前が誘拐したと吹聴されて公的な追手が来る方が面倒だ」

 速攻で返された内容は考えもしてなかった事だった。
 しかし確かに冷静に考えると、敵であろう相手は一国の大臣。
 一方的に誘拐だと騒がれると一介の傭兵がどうにか言った所で信じてもらえず
 ラクナルトを奪われる可能性はある。

 仲介してない契約書の名前など地方のギルドなら深く検めないと軽く告げられ、
 言われるがままにラクナルトとの間で交わした書面を提出したのはつい先ほど。
 今は本名で結ばれた契約書を何の質問も咎めもなく受け取られ、
 こんな程度の審査で良いのかと疑問に思いつつ支店の建物から出て来た所だった。

 さすがに厳つい男達がたむろしているギルドに連れて行きにくかったので、
 ムーンラルの王子はレタリスと一緒に揚げ菓子で有名だと言う喫茶で待っている。
 少年は久しぶりのゆったりとしたおやつの時間を満喫しているはずだ。

 ギルド最強と名高い閃光ことファイの足は迷いなく2人が待つその店へと向かっている。
 何だか後ろを追っているだけとは言え、閃光と供に街を歩いていると言うだけでも不思議な気分だった。

「そういえばどうしてラクトがムーンラルの王子だと解ったのですか」

 彼女は護衛を依頼する時でさえ、少年の身分や本名は明かしていなかったし、彼らも訊ねはしなかったはずだ。
 ファイはその問いに振り返りもせず淡々と答える。

「帯がムーンラル独特の織物。
 愛称でも名くらいは想定出来る。
 目立つ銀髪に年齢。命を狙われるような立場を考えれば明白だ」

 その解答に彼女はあからさまにぎょっとした。
 属国とは言え他国の王子だ。
 大国過ぎるユーザでは皇帝の名前すら意識せず過ごしている者も多いのだ。
 スィザナはさすがに皇帝の名は覚えていても、属国の国王は解らない。

(いや、本当は目に映した事くらいはあるはずなんですが)

 帝国公認ギルドに所属する際に渡される資料の中に、要人を網羅した物が含まれているからだ。
 政治的に重要な位置にいる人間は、本人が事件に巻き込まれたり、その名を悪用されたりする可能性が高い。
 ギルド所属の傭兵が請け負った仕事の中で要人が係わっていれば、保護する義務が課せられているのだ。

 スィザナはおぼろげな記憶を辿る。
 皇族はもちろん、国の中枢に居る大臣達、実質的に一国の長である自治領領主、そして属国の王。
 確かその資料には本人に加え、伴侶や息子の名前はもちろん、
 王に至っては三、四親等くらいまでびっしりと身体的特徴や年齢等が載っていた。
 ユーザ帝国の属国であるムーンラル王国、その第一王子の名は必ず記載されているはずだ。
 しかも毎年更新されてその度に再支給されるので古くて載ってないなんて事はない。

「ファイさん、あれしっかり持ってたりするんですか?
 ギルドから支給される要人辞典みたいなの」

 自分が要人等に係わる事なんてを考えていなかったので、記憶にとどめる価値を考えた事がまずなかった。
 王の息子となれば覚えるだろう可能性すら皆無だ。
 どちらかというと組織に所属している事に違和感を覚えるような男が、
 支給された資料をきちんと熟読している事に驚きを隠せない。
 同業者すら恐れる閃光が、意外と真面目で律儀なのかと。
 思わず訊いてみたが、彼はこちらをやはり見る事もなく即答する。

「渡された初日に捨ててる」

 彼女はすぐに考えを改めた。
 目の前の男はただの天才だった。
 戦闘の才だけではなく頭の出来も良いなんて、つくづく世の中不公平だと内心不満に思う。
 因みにスィザナが受け取った分厚い資料は実家の本棚で埃を被っている。
 彼女が勝手に不機嫌になりつつある事などまるで構わず、ファイは話を唐突に戻した。

「ムーンラル国内の奴が手引きをしているなら、
 そいつの国から遠ざかってもなお刺客が減らないというのは可笑しい」
「でも現に刺客は減ってません」

 2人と出会った時の刺客以外に、この街に来るまでに更に1度襲われている。
 明らかに初期の頃よりも頻度も敵の強さも上がっていた。

「だから、ムーンラルの国外に指揮系統があるんだろ」
「でも、始めにラクトを連れて来たのは、
 確かにムーンラルで大臣をしている人だったんです」

 ラクナルトが言っていたのでそれは確かだ。
 年齢から言っても古参の重臣だろう。

「始めはムーンラル国内の奴が係わっているからと言って、
 帝国内に敵がいないと考えられる意味が解らん」
「ムーンラル、帝国。協力関係にある人物が居ると言う事ですか…」

 ラクナルトはムーンラル王国の第一王子。
 現王には弟がいるらしいが、すでに無用な争いを避ける為に王位継承権を返上しているという。
 何事もなければ次の王位は彼の物になるはずだ。
 そもそも現王はまだ健在だ。年齢も若いらしい。
 世の中何があるか解らないとは言え、その息子が王位を巡って争うような時期でもない。

「一体何故今…」
「知らん。
 ただ帝都に近付くにつれ刺客が増えたなら、本命は皇位関係だろ。
 道楽程度にしては動きが早いし、動かしている人数の規模が大きい」

 ラクナルトの母、マロツィアは前皇帝の妹だ。
 賢帝と言われたマクル・カル・セドニーの孫という肩書を持った男子として、
 ラクナルトは皇帝に強く推された1人だった。
 結果的に皇位は前皇帝の娘が継いだものの、女帝は未だ賛否両論。
 未だに問題視して混乱を招く前に正式な新皇帝を、と女帝を認めない者もいると言う。
 そう言う人間に取っては、ラクナルトはまだ皇帝の可能性を秘めた者だ。
 すなわちそう言う者と対立する側としては、彼は邪魔な存在となる。

「では帝国側の協力者は現皇帝側の人間と言う事ですか?」

 流れでまた質問してしまった。
 丁度目的の店に付いて扉を開ける為に立ち止った所だったので、ようやく彼はこちらを見たが、
 さほど表情がなくても理解できるほど呆れた気配で、極端な、と呟かれた。
 どう考えても馬鹿と言われた気がしたが、本当に解らないので何も言い返せない。

「それ以上訊くな。仕事に含まれてない」





 てきぱきと、だが丁寧に包帯を解いて傷の様子を伺う。

「化膿はしてないね。身体を洗ったら薬塗るから」

 この街に滞在中に抜糸だね、と告げる医師の顔の彼女をまじまじと見つめる。
 金色の睫毛に縁取られた深い紺色の瞳がスィザナを捉える。
 感性は人それぞれだろうが、同姓である彼女の目から見ても、溜息を吐きたくなるような美しさだ。

「レタリスさんって、なんで傭兵やってるんですか?」

 その美しさはもちろんだが、医師の免許まで持っているのに何故傭兵などやっているのか。
 宝の持ち腐れな気がしてならない。
 ん?と魅力的な笑みを浮かべて、彼女は即答する。

「ファイが傭兵だから」
「ではファイさんってなんで傭兵やってるんです?」

 ここ数日供に過ごす事になって疑問を抱いた事だ。
 さほど好戦的な男と言う訳ではない。
 どちらかと言うと合理主義者で面倒事を嫌うようだ。
 あれだけ頭の回転も速いなら、別の生き方でも十分地位を築けるだろう。
 帝国公認のギルドとはいえ、所属傭兵には一昔前なら盗賊になっていたような粗暴な者も多いのが現実だ。
 特級に属している他の人物の事も解らないが、一般的な傭兵と印象は随分違う。

「ん…?それは知らないからファイに直接訊いてほしいな」
「え?」

 入浴後の治療に備えて薬などを準備している彼女の言葉に耳を疑う。

「知らない?」
「うん」
「え、何で知らないんです?」

 あまりに予想していなかった反応に、当初の問いの目的など吹っ飛んでしまった。

「それって知らなきゃいけない事なの?」

 あまりにもきょとんとした表情で逆に問われてしまい、スィザナは軽く混乱した。

「え、ちょっと待って下さい…。
 ファイさんとレタリスさんってどういう関係なんですか?」

 実はそれもずっと気になっていた事だった。
 そもそも特級階級の閃光と弦月の事は、噂なら幾らでも聴いている。
 2人きりで旅などしているから単純に恋人だろうと始めは思っていたが、
 ファイの淡々とした受け答えはレタリスに対しても徹底していた。
 スィザナが思い浮かべる恋人関係と言うものと齟齬もある。
 どさくさに紛れて訊ねてみた。

「スィザナちゃんは同業者からの質問って事になるのかな…」

 彼女は首を傾げたが、さほど実際には考えた風でもなく、簡単に返す。

「仕事の相棒だよ」

 普通ならそうですか、と終われば良かったのだろうが、
 スィザナはレタリスの先程の言葉をしっかり覚えてしまっていた。

「じゃあ傭兵になる前はなんだったんです?
 ファイさんが傭兵だったから傭兵になったんですよね?」

 その問いに初めて、彼女は本当に少し悩んだように首を傾げた。

「そっか、えっと、どうしよう。
「閃光の弱みを探しているような人」に伝わるなら恋人っていうと面倒だから、相棒。
 「色恋目当てで聞いて来る人」にはすぐに引いてもらう為に
 恋人って言うように言われていたんだけど…。
 この流れから言ったら、恋人の方がいいのかな」

 レタリスの言葉を待っても、新しい疑問が芽生えるばかりで何も腑に落ちない。
 始めから用意された回答を捻りもなく公開しています、という感じだ。

「言われてるからって…。実際には何なんです?」
「私はファイのもの、だよ」

 彼女はそうにこやかに答えた。
 先程までの読み上げていた様な言葉ではなく、自分の言葉として自信を持っての発言の様だ。

「モノ?」
「所有物だよ」

 その硬質な響きの単語とは裏腹に、訊き返された彼女は妙に満足げに頷いた。

「モノ扱いって事です?それはちょっと酷くないですか」

 ファイの合理的で淡白な様子を思い返す。
 確かに人を物扱いしても意外ではない気はした。
 しかし意外ではないというのは、それが人道的に問題ではないという意味にはならない。

「酷くないよ。
 だって、お金の代わりに連れて来てもらったんだもん」
「お金!?」

 とうとう素っ頓狂な声を上げてしまった。
 しかしレタリスは気を悪くする訳でもなく頷く。

「それに、ファイのものって事は、ファイに必要とされているって事だから」

 二の句が継げないとはこの事だろう。
 彼女は心底自分の立場に疑問や不満を持っていない様だった。

「じゃあ、モノじゃなくなったらどうするんです?」

 彼女は今度は疑問の意味が解らないと言うように何度か瞬きをした。
 一体どうしたらそんな事になるのだろう、と心底不思議そうですらある。

「万が一、万が一ですよ、ファイさんが死んだりしたら…」

 幾ら最強と言われる男でも人間である以上不死身ではありえない。
 彼より強い相手に出会うかもしれないし、あっさりと病死何て事がないとは言えない。

「その時は私も死ぬから大丈夫」

 すごい笑顔だった。
 もはや何が大丈夫なのか解らない。
 だがそう答える時も、まったく迷いなく誇らしそうですらある。

「じゃあ例えば……ほら、浮気とか。
 いや、この場合浮気って言わないのですかね?
 とにかくファイさんが別の誰か変わりを見つけて、
 その…レタリスさんが必要なくなってしまったらどうするんですか?」

 言いながらファイがどういうつもりで彼女を物として所有しているかは知らないが、
 この目の前の女性よりも容姿や能力が優れた人物なんてそうそう居ないだろう事から、
 そんな事態にはならなさそうだなと1人で自己完結してしまった。
 もう何も解決しなさそうなので、質問も忘れてもらおうと言葉を続けようとして、スィザナは固まった。

「必要、なくなったら……?」

 質問の内容を反芻していたレタリスは、先程の笑顔の片鱗が一切なかった。
 しかし、怒っている訳でも、悲しんでいる訳でもない。

「私は……」

 痛そうでも、辛そうでもない。

「もう……息の仕方も、忘れてしまう」

 告げられた言葉に思わずスィザナの方が息を飲む。
 何処も見ていないような彼女の表情は、まるでぽっかりと空いた穴の様に、何もないように見えたのだ。
 言葉通り、息さえしないモノの様に。





 ほんの一瞬訪れた静寂は、近付いて来る足音と開いた扉の音で破られた。

「スィザナ、お風呂空いたよ」

 この日の宿は一般のものよりも随分高級だった。
 寝室2部屋と、風呂まで付いている。
 一番に入浴を済ませた濡れた髪のラクナルトの後ろには、念の為に風呂の前で護衛に付いていたファイの姿もあった。
 彼はこちらを見ると僅かに眉を動かした。
 何か考えるようにぼんやりとしているレタリスは、入って来た2人に気付いた素振りすらしない。

「レタリス」

 自然な足取りで近付いて来たファイは、名を呼び彼女の顎を掴んだ。
 無理やりに目を合わせる。
 一瞬、状況も忘れて口付けでも交わそうとしているのかと思い、慌てて眼を塞ごうとした。
 しかし、それは当たり前だが杞憂だった。
 思いっきり指の隙間に広がる視界の向こうで、彼はとても普通の事を言った。

「風呂、入ってこい」

 前のめりに転びそうになる。
 しかし彼女は先程までの表情が嘘のように、蕩ける様な笑みで頷いた。
 すくっと立ち上がり、着換えを持って真っ直ぐ浴室へ向かう。

「あれ、次、スィザナじゃなかった?」

 ラクナルトの素朴な言葉に我に返り、スィザナは慌てて応える。

「あ、良いんです。先、入ってもらって」

 2人で居る間に順番が変わったのだろうと、特に疑問に思わなかったラクナルトは、
 そっか、と答えると、髪を乾かして来る、ともう一部屋の方へ出て行った。
 本日2度目の閃光と2人きりになると、すぐさまファイはスィザナに視線やった。

「あいつに余計な事を言うな」

 彼女の様子で心当たりでもあったのか、見ていたかの様な警告だった。

「でも、その…レタリスさんが、これじゃ報われないんじゃないかと…」

 先程までのやり取りを知らない者にとっては明らかに言葉が不足していたのだろう、
 目の前の男は怪訝そうな色を浮かべている。
 今日は一体この男に何度呆れられたのだろうか。
 しかしそれだけでもスィザナの言おうとした事が伝わったらしい。

「あいつが色恋の感情で俺に尽くしているとでも思っているのか」
「違うんですか?」

 モノと言われても満たされる事。
 相手が死んだら自分も死ねるほどの献身。
 それが愛や恋でなくて何だと言うのだろうか。
 聡い彼が彼女の気持ちに気付いていない、と言う事とも思えない。
 疑問だらけのスィザナに、しかし彼は理解できる答えを与えてはくれなかった。

「何も恐れる物がないから……か」

 彼にしか解らない事を確認してから、明確な拒絶をされる。

「理解する必要はない。仕事以上に係わるな」

 いつもよりも幾分強い調子で告げられ、さすがにそれ以上何も言えなかった。
 押し黙ったスィザナに、それ以上言葉を掛ける事もなく背を向ける。

「ただでさえ、あれから不安定なのに」

 独り言を珍しく呟き、ファイは扉を閉じた。





 姿が見えなくなって彼女は息を吐き出す。
 気のせいではない。
 明らかに一瞬だが殺気を感じた。
 今日は何度思い込みを改めなければならないだろう。
 どうやら見える範囲より遥かに、ファイのレタリスへの執着は強いらしい。

 そもそもどうして思い至らなかったのだろう。
 歩く速度で到底追いつけない彼に、どうして今まで普通に付いていけていたか。
 レタリスは小柄なラクナルトと負傷したスィザナに気遣ってゆっくりと歩いていた。
 彼はそんな彼女の歩幅に合わせて歩いていたのだ。

「考えなしな言動は悪い癖だとは解ってるんですが…」

 正直、係わる事など思っていなかった特級階級職と供に出来る事で浮足立っていた。
 そして性分から正しい事、本当の事に拘り過ぎて、つい突っ走ってしまう。
 世の中には暴いてはいけない事もある、と何度も忠告されていたのに。

――自らの正義を疑え、か。

 目的地までの道のりは、まだ少し長い。







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