アッサラームの話----------



 崇高。愚か。2つの言葉で語られる男がいる。





9話.ある僧侶の話@





 かれこれ10年も前。

 この街の出身で、各地を放浪していた僧侶の青年が、久しぶりに帰郷した。
 馴染みの顔を見ようと彼の元に挨拶にきた彼女は、扉を開けて絶句した。

 気の抜けるような笑顔を浮かべる頼りない青年は記憶とあまり大差ない。
 その傍には見知らぬ顔。
 輝く水面のような青銀の髪に、
 ルビーの如き赤い瞳を携える陶器人形のような美しさの少女。
 それら1人1人にさしたる問題はない。
 だた、その少女の服のボタンに青年が手をかけていた。
 彼女は青年を問答無用でぶん殴った。

 その後少女が、青年は自分の傷を治療してくれていた旨を詳細に話すまで、
 彼は言い訳すら出来ぬまま、ぼこぼこにされていた。





「そういう趣味があったのかと思ったわよ」
「僕はあのまま死ぬかと思ったね」

 視線を自らの呪文で傷を治す青年から少女へ移す。
 心配そうな瞳を青年に向けた少女は、
 彼女が見ていることに気付いて顔を上げる。
 何年かすれば誰もが振り返る美女になるに違いない少女は、
 彼女と目が合い柔らかく微笑んだ。

 身内をすべて殺された後とは思えないほどに。
 その微笑みは、切なくなるほど穏やかだった。





 青年は少女を宝物のように大切にしていた。

「僕が連れて行こうと思っているんだ」

 青年は心持ち表情を引き締めて決意を表明した。
 父親になるんだと言う青年に、
 あんたじゃ頼りないお兄ちゃんがせいぜいだと水を差す。
 大討論の末、少女は青年を先生と呼んだ。

「先生、行きましょう」

 手をつないで街を去る2人の姿はとても幸せそうであった。
 家族を得た優しい空気だった。





 世界のどこか。
 どこかを旅する2人。
 気の弱そうな青年が平和の教えを説く。
 傍らで微笑む見習い僧侶の少女。
 それは青年が血の海に沈んだその日まで平和に続いた。





 静かな昼。
 むせ返るような赤の中。
 1枚の絵のようにその光景に納まった少女。

「おそろい、ですね」

 あの時の少女の姿を、忘れることは決してないだろう。
 必死につなぎとめていたものが、壊れた瞬間を。

――傷はまだ消えてない。





 ラゼリアが2階へ上がると、
 荷物の整理中だったようで3人が一同に会していた。

「今なら大浴場が貸し切りよ」
「大浴場!?おっきいお風呂?」

 何故か異様に興奮して荷物を放り出してクラムが立ち上がる。
 確かに宿に大きな浴場が備わっているのは珍しい。
 大抵は個室のシャワー室だ。

「ラズ一緒に入ろーね!
 あ、僧侶さんは人にあんまり肌見せたらいけないんだっけ?
 でも内緒にしてたらいいよね!?一緒に入ろーね!!」

 滅茶苦茶なことを言うクラムにラゼリアは苦笑気味に手を引かれていく。
 そんな2人を見送っていたストロフィスとブラウ。
 まったく同じタイミングでお互いの方を向き、目が合う。
 ストロフィスが真剣な顔で口を開いた。

「俺は一緒に入らないぞ」
「こっちの台詞だ!」

 2階にブラウの怒声が響いた。





 脱ぎ捨てた埃っぽい服もそのままに、
 クラムはタイル張りの浴室の扉を開ける。
 雨があまり降らない土地だからだろうか。
 途中から屋根がなく、半屋外の風呂だった。

「広い広い〜」

 後ろでラゼリアが滑ることを警告していたが、
 あまり耳に入っていないようだ。
 彼女は小走りで浴槽まで近付いた。

「わーい!」

 かけ湯をしてから浴槽に飛び込む。
 顔をあつい湯から上げると、ラゼリアも浴室に入ってきた。
 はたと、目が釘付けになる。
 彼女は大き目のタオルを体に巻いていたが、
 そこから伸びる白い脚や腕が何とも色っぽい。
 湯気に包まれたその姿は女神の肖像を思わせる。

「さすがセクシーギャル…」
「クラム?」

 湯に沈む自分の体をちらりと見て、彼女に羨望の眼差しを向ける。

「どうしたらラズみたいに綺麗になれるのかな?」

 その言葉に、逆にラゼリアは不思議そうにクラムを見つめた。

「全然綺麗じゃないわよ。ほら」

 彼女はそういうとタオルをとって後ろを向いた。
 あらわになったのは、完璧な美しさの肢体ではなかった。
 白い肌には右肩から左の腰にかけて4本の筋が走る。
 皮膚が引きつったそれはよく見ると傷だった。

「怪我…?」

 大きくて酷い傷跡だが、醜い感じはしなかった。
 白い湯気の間から見上げてクラムは首を傾げる。

「魔物の爪跡よ」

 彼女はそう言うとタオルで髪をまとめ上げ、
 湯を被ってから湯船に身を沈めた。
 クラムはパシャパシャと音を立て彼女の後ろに回り込むと、
 その傷を間近で眺める。
 触れるとそれが確かに皮膚と肉を裂かれ、出来たものだと判った。

「ずいぶん昔のものなのだけどね」
「昔?」
「10年ほど前かしら」

 左手を伸ばし自らも肩の傷に触れる。
 その表情は嫌なことを思い出すと言うよりも、懐かしむよう。

「ラズは、だから僧侶になったの?」

 消えない傷を負い、尼僧になる人もいるという話を思い出しクラムは訊ねた。

――私僧侶になりたいです。

 幼い自分が、希望に満ちた瞳を向けている。

「いえ…きっかけではあったけど理由ではないわ」

 傷跡は出会いだった。
 そして出会いが理由だ。

「何だか難しいね」

 良く解らなくて、クラムが真剣な顔をして悩む
 そのままのぼせてしまいそうな彼女にラゼリアは言う。

「きっと、解らない方が良いことよ」





 同時刻。
 夜も本格的になり、マロンの店には客が入っていた。
 そこそこの賑わいを見せる店内に銀髪の盗賊の姿があった。

「あいつ、ここの出身なのか?」

 カウンターに座りグラスを傾けてブラウはマロンに訊ねた。

「出身って言うか、チェス…あの子の、育ての親の故郷なのよ。
 チェスナットっていう僧侶でね。
 ちなみに男。私の昔馴染みだったわ」

 マロンは彼に簡単なつまみを出す。
 それを受け取りながら彼は怪訝な表情を見せた。

「育ての親?」
「言ってないとは思っていたけど…」

 彼女は別段驚いた風もなく告げる。

「ラズはね、肉親すべてを魔物に殺されているの」

 彼が顔を上げる。
 口に入れようとしていた揚げジャガがこぼれ落ちた。

「チェスは生き残っていたラズを助けたらしいの。
 直接訊いたことはないから詳しく知らないんだけどね。
 あまりに壮絶な現場だったらしく、
 チェスから絶対にラズに話させないように言われたから」

 もちろん、ラゼリアからそんな話を聞いたことはない。
 彼自身も自分のことを話していないし、
 わざわざ聞いていないと言うのもあるが、考えれば可笑しな話だ。
 お互いをほとんど知らない4人がいて、
 誰もお互いの生い立ちを気にも留めていなかったのだから。

 改めて自分の仲間たちの不思議に気付いている彼には構わず、
 マロンの方は話を続ける。

「で、とにかく身寄りのないラズを引き取って、
 チェスがそのまま旅に連れて歩いていたわ。
 チェスは馬鹿がつくほどお人よしの奴でね。
 ここで僧侶の修行を終えた後は
 自分を必要とする人から人へ、旅をし続けていたの」

 1度食べ損ねた揚げジャガを口に詰めながら彼女の話を聞いて、
 ブラウの脳裏に過ぎったのは見たこともない男僧侶ではなく、
 いつも最後尾を守る青銀の髪をなびかせた女僧侶だった。
 後半のくだりは、まるで彼女のことを話していたのではいなかと思った。
 ぼやっとする彼を他所に、マロンももはや始めの問いを忘れ、思い出を語る。

「まぁ、そんな惚けた奴がラズみたいな美少女を連れ込んでた時にはあんた、
 とうとうそういう趣味に目覚めたのかと思いっきり誤解したわよ」

 彼女はその勘違いから、
 昔馴染みを法衣に血が跳ぶくらい殴ったのは伏せておいたし、
 呪文で癒したにもかかわらず、
 彼の口元にうっすら傷が残っていたことも思い出さないよう努めた。
 その代わり、必死に彼女を止める少女が甦る。
 いつも真面目に空回っているチェスナットの事を笑いもせず、
 まっすぐついて来た少女。

「優しい親の影響で、あいつのあの性格か。
 幸せなこった」

 思い出に浸る彼女にブラウが独りごちる。
 たまに見せる鋭い表情が気にかかるものの、
 ラゼリアはいかにも僧侶といった人物だ。
 私利私欲に走る訳でもなく、献身的に仲間に尽くしているし、
 行く先々で出会う人々への親切はこちらが呆れるほどだった。

 優しい養父に大切に育てられて、
 愛することの大切さを知っているといったところだろうか。
 にっこりと笑う僧侶が脳裏から消えず、彼はそんなことを思った。
 しかし、納得しかけた彼の耳にマロンの呟きが届く。

「優しさの行く先が幸せだとは限らないのよ」

 予想もしない台詞。
 その言葉がまるで憎しみがこもっているように響き、
 彼は彼女を注視した。
 それと同時に店の奥の階段が軋んだ。

「おい、上がったぞ…」

 ほくほくと湯気を浮かべてストロフィスが階段から顔を出す。
 風呂が空いたことを告げに来ただけの彼はしかし、
 カウンターの空気が張り詰めているのに首を傾げた。
 2人は彼が声をかけたのも気付いていない。

「あの子を救ったのはあいつ」

 マロンはどこも見ていない。
 ここにはいない誰かに言葉を吐く。

「でも、あいつがあの子を壊したんだから」
「は?」

 壊れた?ラゼリアが?
 何を言っているのか解らずにブラウが疑問符を浮かべる。

「一体何のことなんだ?」

 カウンターの側に来たストロフィスが、
 ブラウ以上に話についていけないようで思わず訊ねる。
 そこで初めて傍聴人がいたのを思い出したように彼女は現実に引き戻された。
 多少渋い顔をして彼女は言う。

「明日あの子の後、追ってみなさい。
 何か解るかもしれないわよ」





 傷はまだ消えてない。










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