アッサラームの話----------





8話.華やかなる都B





 石の壁も記憶も、簡単には風化されない。
 指先で白い壁の傷をなぞる。
 相変わらず、半分は補修され不自然に消えている傷。
 まだ、はっきりと赤茶色のシミが残るその場所を、彼女はしばらく見つめていた。





「とりあえず、宿を取りましょうか」

 気を抜けば、仲間の声さえも聞こえない広場で、ラゼリアが提案した。
 時が経つほどに、街は活気付いて来る。
 ここの住人が大半なのだろうが、
 旅人と思しき人や買い付けにきた異国の商人たちも目に留まる。

「宿が取れなかったら、お前らが消えたせいだからな」

 ブラウはストロフィスとクラムの方を面倒臭そうに見る。
 一瞬痛いところを突かれたように気まずい顔をするが、
 クラムはすぐに逆に彼を指差した。

「目を離したブルーの責任!」
「ガキみたいな揚げ足取りをするな!」

 そんな2人のやり取りを見ながらラゼリアが優しく微笑む。

「安心して。知り合いのところを当てにするから」
「そういやお前。ここの馴染みだって言ってたな」

 無益な言い争いを中断して、ブラウが思い出す。
 門番の自警団員も彼女のことを知っていたが、
 そういえば詳しく聞いていなかった。

「じゃあ、人が多いからはぐれないようにね」

 そう言ってラゼリアが珍しく先頭を歩くので、彼は思考を中断させる。
 彼女に続こうとするとクラムが出店の方に吸い込まれようとする。

「ほら、ふらふらするな」
「だって色々見たいんだもん」

 道ずれにしようとしていたストロフィスごとクラムを引っ張ると、
 彼女は不機嫌そうに頬を膨らませる。

「自業自得だろうが…」

 懲りない魔法使いに頭を抱えたい気分になるが、前を行く僧侶が助け舟を出す。

「じゃあせっかくだから宿をとった後、夜の街を歩いてみる?」
「うん!行く行く!」

 とたんに目を輝かせる彼女を、本来の道筋へ引き戻したそのとき。

「ラズ?ラズじゃない!」

 喧騒をかき分けて声が4人の歩みを止めさせる。
 ラゼリアが振り返る。
 釣られて3人も彼女の視線を追った。
 後ろから、明らかに僧侶の名を呼ぶ1人の人影が近付いて来た。
 驚いたようにこちらを―というよりもラゼリアを―
 見ていたのは金の巻き毛に大きく胸元の開いた服を着た20代後半くらいの女性だった。

「知り合い?」

 2人を見比べてクラムが訪ねる。
 彼女の問いかけに、金髪の女性が一瞬不思議そうに視線を3人に移した。

「ええ」

 ラゼリアが答えて、女性に会釈した。

「お久しぶりです。マロンさん」

 女性の方も表情を微笑みに変えて、彼女を迎える。

「2年ぶりかしら…元気そうで何よりだけど。
 立ち話もなんだしね。お店に来るといいわ。
 もちろんサービスするから」





「もうすぐそこだから」

 広場から離れても、活気は失われない。
 幾筋目かの通りに差し掛かるとテンポの速い音楽が聞こえてくる。
 何事かと辺りを探ると、物凄い歓声が鼓膜を叩き、思わず耳をふさぐ。

「すごい熱気だな」


 ストロフィスが呟き、1つの建物を注視した。
 煌々と明かりが灯っているのは他の建物と同じだが、
 そこのテンションは他と比べ物にならない。

「何がやってるんだろ?」

 クラムが背伸びをしたりして中の様子を伺おうとする。
 振り返って訊ねようとすると、何故かブラウが思わず目を逸らす。
 何をやっているか知っているらしい。

「ベリーダンスっていってね。
 この街の名物でもあるの」

 説明するのが嫌そうなブラウにあえて聞こうとしたクラムの目論見が、
 マロンの返答で霧散した。

「ベリーダンス?あれ、どっかで聞いたような…」
「防具屋のおやじが夜に行くって言ってたやつだろ」

 首を傾げた彼女にストロフィスが思い出す。
 店主は「ビビアンちゃん」に会うためにベリーダンスに通い詰めているらしかった。
 2人の会話が終わるのを待って、マロンが説明を続ける。

「要するに、ダンスショーよ。
 人気が高くてね。これ目当てでこの街を訪れる人も少なくないの。
 そういう人たちが街の施設を使ったり、買い物したりして、
 この街の華やかさは、ある意味これのお陰って訳」

 再び、肌で感じるほどの大歓声。
 クライマックスを迎えているのか、しきりに口笛や拍手が響く。

「単純に露出度の高い踊り子を見に行っている人も多いけれどね。
 技術的に見ても彼女たちの踊りは素晴らしいのよ。
 街外興行もしているみたいだし、
 毎年何人かどこかの国の王宮やお屋敷に
 専属踊り子として引き抜かれて行くくらいだから」
「ふぇ〜」

 クラムが気の抜ける声を出す。
 よほど感心したのだろう。

「1度見てみるといいかもね。
 何日滞在する気?チケットとってあげるわよ。
 あ、ここ。着いたわ」

 マロンは準備中の札が下がる店の1つを指した。
 いつの間に取り出していた鍵で扉を開けると、さっさと中に入ってしまう。
 ラゼリアも勝手を知っているようで後に続く。
 ブラウも無言で敷居をまたぎ、クラムはお邪魔しますと声をかける。

 ストロフィスも彼らに続き最後に店の扉をくぐろうとする。

「…ればいい」

 ふと、どこからともなく聞こえた囁きに振り返る。

「え?」

 横に跳んだのは、完全に勘だった。
 言い知れぬ、不可解な感覚が彼を動かした。
 そして、それを裏付けるようにさっきまで彼が立っていた辺りに何か落ちて、
 いや、降りて来た。

「…っ!?」

 始めは何か解らなかった。
 少なくとも人間には見えなかった。
 のっぺりとした、笑っているような顔。

 それが――それの顔についているものが、お面だと解ったのは一瞬後だった。
 同時に、お面を被った何かがこちらに跳んで来ようとしているように察して、
 咄嗟に抜刀する。
 抜き去った剣に手ごたえはない。
 ただ虚空を薙ぐのみ。

 彼を飛び越えたお面は、音もなく彼の後ろに着地した。
 抜刀したまま勢い良く体勢を変えた頃には、その姿は闇に消えるところだった。

「何だ?今の奴は…」

 剣を戻しながら呟く。
 不快なざわざわが納まらない。
 皮手袋の下の手のひらが、今の一瞬で汗ばんでいた。

「勇者君?」

 なかなか入ってこない彼を、顔を覗かしたクラムが呼ぶ。
 現実に引き戻されて彼は今の得たいの知れないお面のことを話そうとした。

――のっぺりしていて、笑っているみたいな…
 悪魔じゃなきゃお化けか…

 関所の兵士が言っていたことが頭を過ぎる。
 開きかけた口で、彼は別のことを言う。

「いや、何でもない」

 首を横に振った彼は不思議そうなクラムを促して扉をくぐった。





 ストロフィスが店に入った後の通り。

「そうか…手段は選んでいられない…」

 熱に浮かされたような男の声が聞こえたが、すぐに夜風にさらわれた。





 ストロフィスが扉を閉める。

「お店任されておられるんですね」

 店の鍵を持ち、暗い店に明かりを灯すマロンにラゼリアが声をかける。

「んーまぁあたしもいい歳だしね。
 いつまでもきわどい格好で給仕はできないわよ」

 自虐的なことを冗談めかしていう。

 扉を入ったところは酒場だった。
 膨大な酒メニューと申し訳程度の軽食メニューが張り出されている。
 突き当りには階段があり、2、3階は宿泊者用と書いた看板。
 マロンはカウンターの後ろに入り、ガチャガチャと音を立てる。

「この前来た時は…と言っても1年近く前ですけど、
 入れ違いだったみたいで。
 私が来たときにはちょうど、マロンさん留守にしていたから」
「そうよね。あれはタイミングが悪かったわ」

 目的のものを手にしてマロンは顔を上げた。

「はい、鍵ね。2階の奥2つ使って頂戴」

 1つをブラウに、もう1つをラゼリアに渡す。
 ブラウはすぐに2階へ向かうが、彼女はその鍵をクラムに託した。

「先、行って開けておいてくれる?」
「うん、任せて!」

 まるで大役を仰せつかったといわん勢いで頷く。
 クラムの背を見送る彼女にマロンは呟くように口を開いた。

「あなたが仲間を連れているとは思わなかったわ」

 一瞬表情がなくなったように思ったのは彼女の気のせいだろうか。
 ラゼリアはしかしすぐにいつもの笑みを浮かべた。

「ちょっとした、心境の変化です」
「悪いことじゃないわ。むしろ良いことだと思う」

 彼女に席を勧めてからマロンはボトルを1本開ける。
 傾けて薄い色の液体をグラスに注ぐ。

「あなたももう18…19になるんだっけ?
 この街にチェスがつれて来てから10年か…私も老けるはずだわ」

 10年は長いようで短い。
 初めて会ったときには目の前の女性はまだ僧侶でもない、
 幼い陶器人形のような少女だった。
 それが今や、予想通り…いや予想以上にずっと美しく成長している。

「いえ、お変わりありませんよ。
 むしろ益々綺麗になられています」
「お世辞を言っても何も出ないわよ」

 その少女と始めてあったときは、まだ彼女自身は10代だった。
 今のラゼリアよりも若いくらいだったはずだ。
 自分はあの頃、こんな大人びた表情をしていただろうか。
 まだ少女と呼べる年頃だというのに。

 気の利いたことも言葉も思いつかず、マロンはグラスをあおる。
 潤んだ瞳を落とすと空になったグラスの底に、
 真面目な僧侶だったにも係わらず禁酒だけは守らなかった男の顔が浮かんだ。

「チェスが死んでもう5年になるのね」

 思わず唇からこぼれる。

「…はい。もうすぐ」

 習うかのように、ラゼリアもまた呟くように言った。
 確認などする必要はないのだ。
 しかし、彼女は口にしてしまう。
 5年前から、変わってしまったこの僧侶と会う度に。

「墓地には…」
「明日、行くつもりです」

 問い終わらぬ内に、彼女は穏やかに言った。
 あまりにも儚過ぎて、悲しくなりそうなほどの穏やかさで。





「あの馬鹿…」

 階段を昇っていった青い髪が見えなくなると、
 彼女はもはやこの世にはいない男に悪態を吐いた。










<back    dq3top    next>