ノアニールの話----------
7話.愛の形A
「あの子に何て言ったらいいのかな…?」
「死んだって言うしかないんじゃないか」
再び森に戻って奥を目指す。
少女にアンのことを報告しなければならないのと、夢見るルビーを返す為。
「とりあえずこいつを渡すしかないだろう」
村の呪いがこのルビーを人間が盗んだせいだというなら、
これを返せば解れるかもしれないと考えたからだ。
短絡的な考えだがラゼリアとブラウのあの反応を見た以上、
この得体の知れない宝玉を持ち歩くことも、その辺に捨てることもはばかられた。
ストロフィスは問題のルビーが収められた箱を目の前にかざした。
中身よりもこの箱の方が重要なのだ。これに刻まれた文字の方が。
「ただ、女王が会ってくれるかどうかね」
ラゼリアがそう口にした時。
畏怖するが如くざざっと森が慄いた。
「それは我らが秘宝…」
女王の言葉が響く。
1度体験した感覚。
しかし、次の瞬間は誰も体感したことのないものだった。
「なっ…」
周囲の森が歪む。
森だけではない。
今ストロフィスの周りにいた仲間たちも霞がかるように消えていく。
いや、消えたのは彼自身だった。
エルフの術に包まれた彼は3人を残しいなくなった。
彼は1人森にいた。
先程までとは違う、もっともっと深き森に。
そして彼の目の前には1人のエルフがいた。
緑の髪には冠が載せられ、瞳には力があった。
威厳を湛えてたたずむのは初めて見る女王の姿。
「2度と来るなと申したはずだ」
女王は冷たく告げた。
そんな言葉にストロフィスは珍しくむっとする。
「あんたが入れたんだろ」
「ルビーをこちらに」
まったく彼の言葉を聞き入れず女王は命じた。
ほんの一瞬逡巡して、彼は箱の中の石だけ放った。
ラゼリアの忠告に従って、直視はしなかった。
あの時の2人を見ればそんな気は起きる訳もない。
何か術を使ったのだろう、女王は石を空中で静止させてから慎重に受け取った。
石を確認して、女王は彼を睨み付けた。
「これをどこで手に入れた。
まさかアン…いや奴に会ったのか?」
ストロフィスは首を横に振った。
そして箱のふたの部分だけをはずして同じように投げた。
女王はそのふたを怪訝そうにしながらも受け取った。
「それと一緒にあった…遺書だ」
彼がそういう前に、女王はそれに釘付けになっていた。
目を見開き、言葉はなかった。
刻まれた文字が信じられないといった彼女に、ストロフィスははっきりと言った。
「アンも、その恋人も死んだんだ」
死んだ。その言葉の意味を探すように女王の目が虚空を彷徨う。
「アン…私の可愛い娘…」
女王の唇から漏れ出る呟き。
私の娘。アンはエルフの姫君だったのか。
ストロフィスは種族間の事の重大さを知った。
「こんなもの…信じられる訳が…」
女王は震える言葉を隠せなかった。
それでも何とか虚勢を張ろうと試みていた。
そんな女王にストロフィスは言い放つ。
「あんた馬鹿じゃないのか?」
動揺していた女王の瞳に鋭い光が灯る。
即座に魔術でくびり殺されてもおかしくない状況で、彼は微動だにしなかった。
冷静に村で感じていた違和感を話し始める。
「村は魔物に襲われた形跡は一切なかった。
盗賊とかに襲われた跡もない。
けど、おかしくないか?
何年間も無防備にさらされた村が、
この時勢無事で居られるとは考えられない。
あんたが管理していたんだろう?」
眠りにつかされた村人。
時の止まった街。
しかし自分の娘、エルフの姫と秘宝が人間の手に渡ったと知れれば、
報復はそれだけで済んだだろうか。
そんなはずはない。
「あんたは知ってたんだ。
アンは騙された訳でも何でもなかったと。
でも認めなかった。認められなかったんだ」
人間などにエルフが心奪われたこと。
母である自分よりもたった1人の人間を選んだなどということは。
「あんたがやってたのは、アンの復讐じゃない。
ただの八つ当たりだ」
女王はその場に崩れ落ちた。
ルビーを抱きしめうなだれる。
ラゼリアは言った。この中には悲しみが凝縮されていると。
今女王は娘の悲しみを感じているのかもしれない。
「ああ…アン…許しておくれ…」
女王の瞳からこぼれた輝きが1粒、宝玉に溶け込んだ。
しばらく母の顔で彼女は娘を悼んだ。
次に上げた時には先程と同じ女王の顔。
少し疲れた気配を見せるものの凛とした瞳でストロフィスを見た。
「私の非は認めよう。
しかし私は許すことはできない。
娘の心を奪ったものを許すことはできない」
強く言い切った。
それに対して彼はたいして力も込めずに言う。
「許せなんて俺は言わない。言う意味がない」
しかも、ため息混じりにこの問題の根底を覆す。
「正直、エルフがどうとか人間がどうとか。
そんなこと俺にはどうでもいいんだよ」
「可笑しな男よの。
ではお前は何がしたかったのだ」
毒気を抜かれたように女王は問うた。
初めて目の前にいる人間に興味を持ったようであった。
その問いにストロフィスは少し考えてから答えた。
「「勇者」っていうのがやらなきゃいけないこと」
そして本来の目的を果たすことを思い出した。
「オルテガという男を知らないか?」
「……聞いたな。いつだったか…。
そう、ちょうど村を眠らせる前に門前払いにした男の名だ」
門前払い。その言葉を反芻してみる。
世界で勇者と呼ばれた彼ですら入れなかった場所。
自分は父が踏み込んだことのない地に立っているらしい。
「では魔王について何か知ってることは?」
「お主、魔に挑むというのか」
不思議そうに彼を見る。
そして少し黙してから、女王は言う。
「ない。いや、こればかりは我らの及ばないところ。
人間に係わらないように我らは魔にも係わらぬ。
だが…古い伝承ならば知らぬ訳ではない」
「伝承?」
まさか女王から情報が伝えられるとは思いもせず、彼は眉をひそめた。
「人の歴史には刻まれておらぬらしいな。
遥か…そう我らにとってすら遥か昔。
この地に今のように魔王と名乗る者が手を広げたことがあった」
「魔王なんて名乗りを上げる奴がバラモスとかいう奴の他にいたのか…」
どうでもいい反応の仕方をする。
「人の手には負えなかったそれは、
不死の魂を持つ精霊の使いによって深き闇に鎮められたという」
「その精霊の使いっていうのは?
不死なら今も生きているのか?」
事実なら有益な情報だ。
精霊の使いにまた活躍してもらえばいい。
そんな彼の考えをあっさり女王は無駄にした。
「その戦いで砕け散ったという」
「不死なのに…?」
素朴な疑問を口にする。
「伝承だ。私はそれ以上は知らぬ」
しばしの沈黙。
「なんでそんなことを俺に教えた?」
女王はあれほど毛嫌いしていた人間に情報を与えたのだ。
一体どんな企みだろうか。
「勘違いをするな。借りを返しただけのこと。
今度こそここには近付くな。村の人間どもにもそう伝えろ。
私は静かに娘の冥福を祈る」
話はそこで打ち止めだった。
それ以上訊いても、答えは望めないだろう。
しかし、女王は引っかかる物言いをした。
「寝てる奴らにどう伝えろって言うんだ?」
ストロフィスは最後になる質問をした。
女王は目を伏せ最後の言葉を発した。
「伝えられる。もう誰も眠ってはいない」
1人で森を進む。
「お兄ちゃん」
聞き覚えのある可愛い声が彼を呼び止めた。
「お前は…」
彼に洞窟のことを伝えたエルフ。
アンに帰って来てほしいと願っていた少女。
少女は晴れやかな表情で立ち尽くす彼の元へやってきた。
「お兄ちゃん、アンに会いに行ってくれたんだね」
少女は無邪気に言った。
しかし彼はその笑顔に応えることは出来ないのだ。
ただ正直に事実を伝える。
「行ったけど、いなかった。お前の願いは伝えてない」
気遣いをする気は、彼は持ち合わせていなかった。
1度言葉を切って、しかし残酷な1言を続けた。
「アンはもう2度と帰っては来ない」
自ら命を絶ってしまったから。
泣かれることを予想していた。
詰め寄られることを想像した。
しかし少女の反応は予想外のものだった。
少女は彼の言葉ににっこりと微笑んだのだった。
そして言った。
「帰ってきたよ」
鏡があったならかなり間の抜けた顔を見られたに違いないと思った。
少女が何を言っているのか解らない。
冗談を言っている訳でもなく、少女は続けた。
「アンの思いは帰ってきた。
お兄ちゃんがこの森に連れて帰ってくれた」
アンの遺書を持って来たことを言っているのだろうか。
「お母様は人間が嫌い。
でも少しは認めてくれた。
少なくとも、アンの思いは受け止めてくれた」
お母様。少女はそう言った。
女王の娘。そしてアンの妹。
ひょっとして少女は始めから、
姉が生きてはいないことを知っていたのかもしれない。
少女は初めて会った時のように彼の服の裾をひっぱってしゃがませた。
耳打ちは、今度は彼にしか聞こえない声で囁かれた。
「ありがとう」
背伸びしてそっと額に口付けた。
「わたしとアンからの感謝の気持ち」
ストロフィスはきょとんとしている。
どう反応していいのか解らないようだ。
そんな彼を少女は楽しそうに見つめた。
「さよなら、は言わないよ。
きっとまた会おうね。勇者のお兄ちゃん」
すれ違っていた心は今、静かに重なり合う。
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