ノアニールの話----------



 時が止まったかのように。





6話.深く眠る街@





 エルフという種族がいる。
 ヒトと似ているが、その耳は長く尖っていて、髪は緑色の者が多い。
 高い魔力を持ち、数百年生き、時に宝石の涙を流すとさえ言われる。
 そんな神秘的な種族だが、歴史を紐解いても、その名はほとんど刻まれていない。
 なぜだろうか。答えは簡単である。
 その種族はどうしようもなく人間を嫌っているからである。
 彼女らは静寂を好み森深く住み、動物と語る。決して姿は現さない。
 人間への不可侵。
 それがこの種族の掟であり、同時に拒絶であった。





 幸いに雪の季節からは外れていた。
 しかし、それにしても肌寒いことには変わりない。
 冷たい風の中、思わず立ち尽くす。立ち尽くすよりしかたなかった。
 水気をまったく感じない足元が、乾いた音を立てる。
 大気も同じだった。声を出すために口を開いただけで、喉は渇きを覚えていた。
 それでも突っ立っているだけの体とは裏腹に、ぐるぐると廻る思考に耐えられず言葉を吐く。

「眠ってる?」

 目にして、口にして、それでも俄かには信じられない。
 思わず、風の冷たさも忘れてしまうほど。
 その眺めは、ある意味絶景だった。
 村人全員が、生活しながら眠っていたのだから。





「私なりに今後の旅のことについて考えてみたの」

 ラゼリアはミルクがたっぷりと入ったお茶のカップを一旦置き、そう切り出した。
 無事クラムの財布を取り返し、一行はシャンパーニの塔から引き返して、
 現在カザーブで休息をとっている。
 到着するなりロマリアの紋章を貼り付けた鎧を着た男達が彼らに群がり、
 塔から持ち帰った冠を受け取るや否や、
 狂喜乱舞していたという異常事態はさておき、概ね平和である。
 野宿と比べれば格段に優雅な午前のひと時。
 他に客のいない食堂で4人顔を突き合せてはいるものの、
 特に実のある話をしている訳でもなく、遠くではトンビか何かの鳴き声が聞こえた気がした。
 そんな時だったので、誰もがラゼリアの発言に注目した。

「オルテガ殿の後を追ってみてはどうかしら」

 誰も何も言わなかった。
 ブラウはあらかじめ聞いていたし、残りの2人は何のことかわからない
 ――もしくは、すぐに理由が添えられることを予期していたのだろう。
 彼女は続ける。

「彼は魔王に最も近付いた人物であると言われているわ。
 彼がどういう方法でそこに向かったかが解れば、
 私達も魔王の元へ辿り着けるかもしれない」

 魔王討伐。言ってみるなら簡単だが、それはあまりにも漠然とした道だった。
 今だ魔王の存在を信じていない人がいるのも、ひとえに魔王が姿を現していないお陰である。
 その道を確かにするものが、その手に落ちた英雄だというのは皮肉な話だが。
 彼女は言い終わると、まずストロフィスに目を向けた。
 ただ単に正面に座っていたからなのか、他に理由があったのかは解らない。
 彼女の赤い瞳に問いかけを見つけた彼に特に考える素振りはなかった。

「俺には反対する理由がない」

 何に動じる訳でもなく、彼はそう告げた。

「あたしもさんせーい!」

 それに続こうと、隣のクラムが腰を浮かせ、手まで上げて叫ぶ。
 彼女は机に乗り出したような不自然な格好、上げた手もそのままに静止いた。
 当然来るはずだった次の言葉が来ないのを疑問に思って、首だけを動かす。
 視線の先には珈琲をすすっているブラウ。

「あ?ああ、俺も異論ない」

 まったく油断していたので意表を突かれた。
 彼女にはとっくの昔に言い包められたので、彼が反対するはずはなかったが、
 それをクラムは知らないはずだった。
 満場一致にクラムは満足して席に戻り、
 一仕事終えた後のように晴れやかな顔でラゼリアに向き直る。
 この場合他に意見が何も出ないということが良いことなのかどうかは微妙である。
 ラゼリアは理解してくれた礼を述べる代わりに笑みを浮かべた。

「実はオルテガ殿はこのカザーブにも立ち寄っていたと聞いたわ。
 何年前だったかはっきり解らないんだけど、
 ここからノアニールに向かったという話よ」
「ノアニール?」

 クラムが首を傾げたので、彼女はカップをよけて地図を広げた。
 世界地図よりは縮尺の小さい大陸地図だ。
 指を落としたのは山々の絵に囲まれた記号。
 現在地のカザーブだと思しきそこから指を滑らせて、北の地を示す。

「ここから北へ進んだところよ。
 更に森深く入るとエルフが住む森があると言われているわ」
「エルフ!」

 クラムが目を輝かせた。

「本当?エルフに会えるの?」
「会える、とははっきり言えないわね。
 彼らは人間と交わるのを酷く嫌っているから」

 一応、といった感じで注釈を入れる。

「でもオルテガ殿は恐らくエルフの知識を得ようとしたのでしょうね。
 エルフは長寿で古代の伝承を多く持っている種族だから」
「うわぁ、会ってみたいなぁ」

 ラゼリアの言葉に、クラムがまだ見ぬ種族に思いを馳せる。

「で、そのノアニールに行けば良いのか?」

 自分で考える気ゼロのストロフィスがカップを空にして問う。
 しかし、彼に答えが返ってくるのをブラウが遮る。

「ノアニール…って言ったら。ちょっと待て。
 呪われているって噂が立っていたはずだ」

 沈黙を守っていた彼の言葉に、クラムとストロフィスの動きが止まる。
 お互い顔を見合わせ――呪いと言う言葉を噛み砕いているらしい――同時に口を開いた。

「ブルー、ひょっとして怖いの?」
「腰抜け」
「んな訳あるか!こんな時だけ同調しやがって」

 相手を舐め切った発言をする2人を鋭く睨みつけ、それでも彼は律儀に解説した。

「確か呪いの噂が立ってから、6、7年前から交流が完璧に途絶えているんだ」
「そんなに?誰か調べに行ってないの?割と近くなんでしょ?」

 クラムは不思議を顔いっぱいに広げてもう1度机上の地図に目を落とす。
 先程ラゼリアがなぞったラインは実際決して短い距離ではない。
 しかし商人や旅人が行き来していないほうがおかしい距離である。

「エルフほどじゃないが、ノアニール自体閉鎖的なところだからな」

 その点については何とも言い難い所ではあった。
 噂が本当だったとして、その呪いが性質が悪いものであったため、
 完全に見捨てられたという可能性もある。

「交流がないという不確定要素は気になるところではあるけどね。
 比較的近いし、エルフに接触できれば収穫があるかもしれないわ」

 場が落ち着いたのを見計らってラゼリアが発言する。
 この呪いについてももちろん了承した上での提案だったのだ。

「個人的に呪い云々のことにも興味があるのだけれどね。
 他に当てがあるなら別にこだわる必要はないのだけれど…」
「あたしもエルフって見てみたいから行きたいなぁ。
 ねぇ勇者君も見たいでしょ?ね?」

 休日に動物園に行きたいとねだる子供のようにお願いすると、
 ストロフィスはお茶のおかわりを頼みながら、何でも好きに見てくれと適当に答えた。

 かくしてノアニール行きが決定した。





 進路は北へ。
 気温の変化は嫌でも感じなければならない。
 冬でなかったことがまだ幸運だったが、
 ブラウやラゼリアに言われなければ防寒具さえ買っていなかっただろうことが、
 今更ながらにぞっとさせる。
 カザーブも高度が高く、涼しくはあったがこの辺りの寒さは本物だった。
 目に付く木々は、柔らかな線を描く広葉樹から鋭い針葉樹に変わっていく。
 この道を何年も前、顔も覚えていない人から伝え聞いただけの自分の父も通ったのだということを考えると、
 ストロフィスは不思議な気分になった。
 まるで透明だった父の像に薄く色がついたようだった。





 村はとても静かだった。
 無音という訳ではない。
 今も風が通り抜ける音とそれによって揺らされる木々の音が荒々しく響く。
 それでも、村は静かだった。
 一際強い風が吹きつけ、舞った木の葉がストロフィスの額に貼り付いた。

「立ったまま…」

 木の葉を取るついでに呟いてみる。
 いや、ただ立っているだけではない。
 見えるだけでも3人。
 手振りを付けながら話していたらしい若者。
 手にしたホウキを傾けている中年の女性。
 ボールで遊ぶ子供。
 皆、何かをしている最中に時が止まっているかのようだ。
 器用な体勢でぴくりとも動かない。ただ絶え間なく風が髪を掻き上げるだけ。

 いつまでそうしていたか。
 真っ先にこの金縛り状態から脱したのは、長い髪を風に弄ばれているラゼリアであった。

「これが噂の呪い…ということなのかしら」

 呟くと、まるで自分達を出迎えるようにたたずむ男に近付いた。

「おい…危ないんじゃないか?」

 不安げに呼びかけるブラウの忠告には従わず、男を調べる。
 髪や衣服には埃がついている。
 風がなければもっと積もっていただろう。

「脈も呼吸もある。本当に眠っているようね」

 一通り調べ終わり、彼女は仲間たちを振り返る。

「一体どうなってるんだ…」

 口にしたところで誰も答えられないのは解っていたが、
 ブラウは溜息と共に言葉を吐く。

「こんな体勢で疲れないのかな…?」
「さぁな…」

 不思議そうに首を傾げるクラムに、男を覗き込んでストロフィスが気のない返事をする。
 顔を上げて辺りを見渡す。
 雑草が生い茂り寂れているものの魔物に襲われたような形跡はない。

「とりあえず、この辺りを調べてみましょうか…。
 何か手がかりがあるかもしれないわ」





 どこをどうみても、手がかりどころか起きている人間さえ見つけられない。
 時折物陰で眠りこけている人に驚かされるだけである。
 どの眠り人も薄着とは言わないまでもこの風のなかでは見ているだけで寒い。
 どうやら今よりも暖かい季節に眠ってしまったらしい。
 しかしこうなると、自分の心配をしたくなって来る。
 果たしてこの村で暖をとって休めるだろうか。
 いい加減野宿では風邪をひいてしまいそうだと、ストロフィスは身震いした。
 自然と足はまだ調べていない宿へ向かう。

 軋む扉を開けると埃が舞ったが、思ったよりもマシだった。
 薄暗い室内に足を踏み込む。
 案の定、宿の主人と思しき男性がカウンターで眠っている。
 その向かいには泊まり客らしい女性。
 主人は手元の何かを広げていた。
 白いページが目立つ、宿帳である。
 そこに名前でも書いておけば勝手に泊まったことにはならないだろう。
 今日はここで泊まることを提案でもしようと、彼は宿帳を覗き込んだ。

「これ…」

 宿帳には当然ながら宿泊客の名が記されていた。
 名前と日付。支払いが終わった者には印が打ってある。
 その連なる名前の一番下。つまり一番新しい客の名は…

「ああ!見て勇者君!!あれ?勇者君どこ〜!?」

 彼の思考は聞きなれた声に中断された。
 自分を呼ぶ声に、とりあえず宿帳のことは忘れて外に出た。
 思った以上に近く、声の主クラムは宿の前まで来ている。
 彼の姿を見るや否や飛んでくる。

「どうした?」
「あそこ、明かりが点いてる!っていうより点いたの!!」

 彼女の視線は自分で指さした方と彼の顔とを激しく往復している。
 そんなに首を振って目が回らないのかと問いたかったが、
 それよりも重要な情報を彼女は伝えていた。

「明かりが?」

 見ると外れの1件の窓から明かりが漏れていた。
 いくら不自然な格好で眠っているといっても、
 眠りながら火を灯すことはまず不可能だろう。
 しかも、今点いたということは答えは1つしかない。

「起きてる奴がいるってことか」
「何か聞けるかもしれないよ!」
「それに煙も出てきたし…あれは暖炉の火だな。暖が取れるかもしれない」

 この状況の説明よりも暖かい火を思って、彼は明かりの点いた家を目指した。





「すみませーん」

 扉を叩きながらクラムが叫ぶ。
 何度か呼びかけても返事はない。

「すみませーん…誰かいませんか?
 いるなら返事を…そこにいるのはわかってるんだ!」
「何故勧告…?」

 一応突っ込んで、彼は気配を感じて顔を上げた。
 隣でまだ良く解らない台詞を言っているクラムの首根っこを掴んで下がらせると、扉が開いた。
 そこから初老の男が顔を覗かせた。

「旅人も随分と久しぶりなんでな。
 空耳かと思ってしまったよ」

 辺りを見回して男は寒さに身震いした。

「あんたたちだけかい?
 良かったら中に入っていきなさい」





 木と煉瓦で出来た室内は良く温まっていた。
 ブラウとラズも呼んで、4人は男の家でくつろいでいた。
 ちょうど人恋しくなっていたという男の好意に甘え食事をとっている。

「何でこんなところに留まり続けているんだ?」
「私はここの長だ。ここをほおって他には行けんよ。
 それにしても、さぞや驚いただろう?何しろ皆眠っている」

 彼が言ったことはまさに話の核心だった。
 クラムがすかさず問う。

「どうして皆こんななっちゃったの?呪いって本当なの?」

 彼は寂しげに下を向き、呟くように語りだした。

「すべては、許されぬ愛の産物だ。
 そう、彼がアンという娘をここへ連れてきたときから…」





「この村にある青年がいた。
 彼はある日恋に落ち、また彼女もその青年を慕い、彼らの愛は深まった。
 そして当然のように2人一緒になりたいと望んだ。しかし…」

 深い溜息を吐く。

「周囲はそれを許さなかった。
 引き裂かれそうになった2人はとうとう駆け落ちしてしまった」
「安物の恋愛小説か?」

 ブラウが気だるげに言った。
 皮肉のつもりだったのかどうかもわからぬそれを、村長は首を振って否定した。

「それならまだいい。
 物語なら困難を克服しいつかは周囲も祝福してくれたかもしれない。
 だが、現実ではそれはあり得ないことだった。
 何をどうしても決して許されることはなかった。
 相手の女性は…エルフだったのだ」
「エルフ!」

 熱心に食事をしていたクラムがその言葉に反応した。

「人間とエルフは昔から折り合いが悪かった。
 エルフは人間が唆したのだと激怒した。
 そしてエルフの怒りの矛先はこの村に向いた」

 皆がいっせいに窓の外を見た。
 しかしここからは誰も見ることは出来ない。

「2人が消えた後、ここにいた住民はすべて眠ってしまった。
 私はたまたまその日留守にしていた。帰ってきたら、この通り」

 今現在もそこかしらで眠る人々。醒めぬ呪い。

「もう何年も、このままだ。エルフの怒りが収まらぬ限り。
 しかし奴らは耳を貸そうともしない。
 下手をすると今よりももっと悪い状態を引き起こすかもしれない…」

 長い説明を終え、もうどうすることもできないのだと、彼は最後に言葉にした。
 静寂が辺りを包む。
 暖炉の中で薪が弾ける音すら大きく聞こえた。

「1つお訊きしたいのですが…」

 静かに言葉に耳を傾けていたラゼリアが沈んでしまった男に問う。

「この村にオルテガという男性が訪ねて来たことはありませんでしたか?」
「オルテガ?はて、聞いた名だな…」

 一同固唾を呑んで見守る。
 しかし、彼は首を傾げてしまった。

「はっきり思いだせん。
 そうだな…この村に滞在していたなら宿の者が覚えているかも知れん。
 しかし今やすべての者は夢の中。訊いたところで答えてはくれんがな」





「どうするんだ?」

 そろって暖かな家を後にした。
 今夜は宿を間借りすることにする。
 向かいながらストロフィスが誰にという訳でもなく訊いた。

「エルフに会いに行こうよ」

 クラムが真っ先に言葉を発した。
 彼女らしい台詞。ただ彼女の瞳は初めてその話題が出たときのように楽しげではなく、
 どこか複雑そうな色を携えていた。

「そうだな。駄目でもともとだ」

 悲しいことに無駄な行動に慣れてしまったブラウも消極的に賛同する。

「ここの呪いを解かないとオルテガについても訊けそうにないしな。
 わざわざここまで来た意味もない。
 まぁ偏屈なエルフが簡単に解くとも思えないけど」
「何もしないでここを立つと目覚めも良くなさそうだしね」

 ラゼリアも頷いた。
 宿はもう目の前だ。

「行く先々で面倒ごとに巻き込まれるな…」

 道端で眠る犬をまたぎながら、ストロフィスは溜息を吐いた。





 恋物語は終わっていない。
 最後のページを破り捨てられたから。

 この犬も、人々も待っているのかもしれない。
 深き眠りに包まれながら、物語の完結を。









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