ランシールの話----------
24話.青い勇気A
もしも、あの時こうしていたら。
もしも、あの日こうだったとしたら。
もしも、あの人に会わなければ。
もしも、あの人に会っていれば。
もしも、自分が自分でなければ。
何故人は、叶わなかった過去に囚われるのだろうか。
何故人は、ありはしない未来に捕われるのだろうか。
美しい幻は、その答えを知っているのだろうか。
何かを変える力を、持っているのだろうか。
空は嘘のように理想的な晴れ方をしていた。
朝早い為心地よく感じる程度の冷たい風が吹いている。
通りの店に並べられるものは生活に必要なものばかりで、
回復力を全面に押し出した煽り文句が付けられた薬草や魔物避けに必須な聖水はなりを潜めている。
通りから外れている為に武具屋は良く見えなかったが、
かろうじて見えた看板には生活刃物を扱っている旨が記されていた。
洗濯物を干しながら行われる主婦達の井戸端会議の内容に魔物の魔の字も出て来はしない。
「学校はどこって、ストロくんまだ寝ぼけてるの?」
不思議そうに首を傾げるクラムは、掃除用具を片付けた後、
身支度を整えストロフィスの隣に並んでいた。
「…寝ぼけてるのかもな」
適当に答えつつ、クラムの向かう先へ足を向ける。
まだ見覚えのある風景。
教会の方へ向かう通りだ。
当たり前のように人々が朝の支度をするアリアハンを歩いて行く。
大通りは区画整備され、主に間口の大きい店舗や人気の食堂で構成されている。
しかしその店々の間の道は奥に行くほど無計画に伸び、小さな住宅や飲み屋で構成されていた。
その1本の細い路地の間から見覚えのある銀髪の若者がふらふらと出て来た。
明らかに朝まで飲んでいたようですれ違っただけで酒の匂いがした。
するどい琥珀の瞳に世を拗ねたような色を滲ませている。
一瞬だけストロフィスと眼が合うが、特に興味もなさそうに通り過ぎて行った。
「あーゆー大人にはなりたくないよね!」
クラムはまったくの他人事のようにそう言った。
記憶の端にも存在しないまったくの初対面の人間を見た反応だ。
「大人と言うほど歳も変わらないだろ…」
クラムの反応を見つつ無難に応えた。
彼女は自分の意見に同意を取り付けるべく、言い直す。
「じゃ、あーゆー先輩にはなりたくないよね」
「先輩はなんかヤダな…」
後輩として続きたくはない。
ただそれ以上その話題は続かず、彼女の脳裏にさほど刻まれない出来事だったらしい。
「この通りの外れに教会があるでしょ?
学校はそのもう少し先だよ。
昨日も行ったはずなのに、ストロくん変なの」
人差し指で示した先にはまばらになって来た住宅の合間に十字が垣間見える。
「あ、教会と言えば!
最近ね、すっごい美人さんが来たんだよ。
運が良かったら見れるかも〜」
彼女が楽しげに話している間に教会に辿り着いた。
教会には朝の礼拝に向かう人々の姿が見られる。
その中には明らかに浮足だっている若い男の姿が多い。
前を通り過ぎながら教会の入り口に目をやると、
青銀の髪を垂らして人々に挨拶をする美しい僧侶の赤い瞳と眼が合った。
隣のクラムが元気良く挨拶をしたので、彼も軽く会釈をする。
それを受けて僧侶はすべてを包み込むような優しい笑みを浮かべる。
「ね、ね?素敵でしょ!?綺麗だよね!!
ストロくん好み!?何食べたらあんな感じになるのかな??」
「…本人に聞いてみたら?」
何故か胸倉を掴まれて振りまわされたので取り敢えず応えておく。
彼女の積極性なら教会の僧侶に話しかける事なんて簡単なはずだ。
けれども彼女は首を傾げた。
「ううーん、けどちょっと近付きがたくて、
まだちょっとした挨拶しかした事ないんだよねー」
そんなやりとりの間に、美しい僧侶は教会の奥へと姿を消した。
そこで初めて違和感は形になって表れて来た。
教会より先の道は行った事がない。
いつの間にか歩みを進めても風景が進まなくなっていた。
足を向けている先にあるのは初めて見る場所ではない。
永遠と同じ家々と樹々、石畳が続いている。
それでも隣の彼女は目的地に向かっているスタンスを崩さない。
「今更だけど」
ぽつりと、しかしはっきりと呟いてストロフィスは脚を止めた。
「…お前、誰なんだ?」
向けられた言葉に彼女ももちろん立ち止った。
「へっ!?急に何??あれだよ?クラムちゃんですよ?
えっと、同じ教室になってから、ずっとお友達で…」
「それにここは何だ?」
何かしら答えている彼女の言葉を半ば聞き流し、続けて質問する。
「ここ?ここは東通りで…。
ここって、アリアハンの城下街の事聞いてるの、だよね?」
動揺して彼女も何を答えたら良いのか解らないと言うように返す。
「いや、まぁ、クラムに見えたし、
どう考えてもアリアハンだったけどさ。
けど、やっぱり違うんだよな」
「ち、違う…?」
戸惑う彼女に彼は頷く。
「要はこの世界は「魔王が居ない」アリアハンなんだろ」
「そうだよ?魔王なんていない。危険なんてない。
あたしも、ストロくんもどこにもいかなくていいの。
ずっとここで、同じ楽しい毎日を過ごせば良い」
「クラム」は迷いのないまっすぐな目で言った。
「魔王がいなければ親父は死なないだろうし、
俺も最低限学校とか行ってただろうし、
ブルーともラズとも出会わないだろうけど」
それはそれできっと「平和」な自分の日常なのだろうけれども。
「出会ってなかっても、それぞれの人間は変わってないはずだろ。
ブルーはもっと世の中を斜めに見てるし、ラズの笑顔はもっと柔らかい。
あ、いや……そもそも、アリアハンにくるような事になってないか」
魔王がいなければテドンは滅びておらず、ラゼリアの隊商も存続していただろう。
ストロフィスもまた、まっすぐに「クラム」を見た。
「何よりも――クラムは、絶対にそんな事言わない」
どこにも行かない。
危険など冒さない。
ずっと毎日同じ日々を過ごしたい。
それはクラムの口からは絶対に出て来ない台詞。
冒険譚を愛したクラムは、かつて危険を冒してでも世界を見たいと語ったのだ。
クラムではないと言われた彼女は、ただ絶句していた。
先程まではクラムに見えていた彼女も、表情を失くしてしまった今では、
外見もまったく別の何者かに見えた。
彼女は表情を消したまま、それでも彼に語りかける。
「あたしはあなたの知っている「クラム」ではなかったかもしれない。
けれども、この世界の「クラム」はあたしなんだよ」
自分は魔王がいない世界のクラムの在るべき姿だと目の前の彼女は主張する。
けれども彼は首を横に振った。
「クラムなら、魔王がいない世界だって外の世界に憧れたよ。
なんせ、今だって魔王は観光のついでなんだから」
魔王なんていなくても、誰か腕の立つ人物を探して
――ひょっとしてその時もストロフィスになっていたかもしれないが――
魔王など倒さない観光旅行に連れ出しただろう。
「お前は、クラムじゃないよ」
その言葉に、彼女はしばらく黙っていた。
そして何かを切り換えるように笑顔を作った。
「…でも、この世界で生きて行く事も出来る。
こんなストロくんの人生もあるの。
大変な訓練なんてしなくていい、普通のお友達がいる暮らし。
家に帰れば両親が普通に出迎えてくれて…」
そこで言葉を区切った彼女は、すべてを見透かす様な遠い目をしていた。
「いつ終わるともしれない旅に出る事もない。
旅先で大きな怪我をする事もない。
エルフやホビットと出会って、種族間の溝を目の当たりにする事もない。
仲間の動向に心を砕く事もない」
その言葉に蘇る印象深い旅の風景。
辿り着けない魔王。
足跡の見えない父親。
影を落として歩く悪魔。
もちろん単純に疲労し、そして解らない事だらけの現実。
「そんな世界に、行きたいと思わない?」
甘く、彼女から言葉が告げられる。
ふと、目を閉じてみる。
最初に思い浮かんだのは、不思議な事に「アリアハンの風景」ではなかった。
意外と心を深く浸食していた事に驚きつつ、彼は目を開けた。
「自分にこんな人間味があるとは思わなかったな…」
「…?どう言う意味?」
驚いているらしい彼に彼女は首を傾げる。
彼の方はその間に、今起こっている事への整理を付けた。
そもそも迷いなどは始めからない。
必要なのは目的を達成する事だ。
「戻って、なかった事に出来るのか?
もう、そう言う面倒な事は経験してしまったのに」
すでに出会ってしまった。
この旅で起こったすべての事に。人に。
あの街で育った、すべての思い出に。
「すべて、忘れてしまえば良いわ。
過去など、変えてしまえば良いの」
彼女はお菓子を勧めるような声音で手を差し出した。
その手を取れば、それがすべて可能だというように。
ストロフィスはその手を強くはない程度に振り払った。
「そんなに嫌なら、現実でだってとっくに行く先を変えてる。
今更自分だけ架空の世界に生きる気はない」
このあるかもしれないという架空の故郷に。
「何を言われても俺はこの世界に魅力を感じない」
そして、きっぱりと宣言した。
「ここは俺――「アリアハンの勇者」がいるべき場所じゃない」
目の前の「クラム」はとても哀しい顔をして、けれども哀しいまま笑顔を作った。
それと同時に、目の前の見慣れた風景が粉々に砕け散った。
触れられないガラス細工のように美しい「幻の思い出」の地。
けれども自分まで細工の様になる気はなくて。
「それにしても、偽物でもクラムにあの顔されるの堪えるな…」
直前の光景を思い出し、彼は少し苦い顔をした。
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