テドンの話----------





22話.緑の思い出A





「その代わりと言っちゃあなんだが、俺の頼みも1つ聞いちゃくれないか?」
「うん!僕に出来る事なら何でも!」

 その男が取り出したのは、この世のものとは思えないほど美しい珠だった。
 竜が絡みついたその緑に輝く宝玉に、幼いブラウはしばし見入られていた。

「これをな、どこかに隠してほしいんだ」
「…隠すの?」

 こんな綺麗なものをもったいないと思った。
 どこかに飾ってみんなに見てもらいたいと。

「すごく大切なものなんだ。
 旅をしていたら落としたり奪われたりするかもしれないだろ。
 心配で仕方がなかったんだ、だから」

 誰にも気付かれないような場所に隠してほしいと彼は言った。
 その真剣さを子供ながらに感じ取り、
 大人から頼られている感じがくすぐったくて嬉しく感じる。

「任せて!」

 自分にはとって置きの秘密の場所がある。
 ブラウが頷いた事で男はほっとしたようだった。

「いつまで隠しておけばいい?
 おじさんはいつこれを取りに来るの?」
「あ、いや…」

 ごく当たり前のように聞いた質問に、男は一瞬動揺を過らせた。
 しかしすぐにその色を消し、静かに告げる。

「…ひょっとして、俺は取りに来れないかもしれない。
 これからすごく遠くに行く予定だからな」
「え?」
「俺に返さなくても良いんだ。
 いつかお前さんが大人になって分別が付いたら
 本当にこれを必要とする奴に渡してくれ」

 正直難しくて解らなかった。
 けれども解らないなんて言うと格好悪い気がして、ブラウは再び頷いた。

「秘密にしておいてくれよ」
「うん、あそこなら絶対にバレないから!」

 自信を持った少年の言葉に、男は笑顔を作った。

「じゃあ、男の約束な。誰にも言わないでくれよ」

 男はそのごつごつした拳を前へ出す。

「…うん!男の約束!」

 握った拳をお互いこつんとぶつけ合わせて誓う。
 大きく手を振った後、ブラウは輝く宝玉を手に街の外れへと消えて行った。
 その後ろ姿を見守った後、男はぼそりと呟く。

「後はあれをやつらが本物だと思って俺を追って来れば…」

 そして覚悟を決めた様に歩き始めた。







 夜空に白いものが混じり始めた。

「夜明け…」

 少しうとうとしながら時を過ごしていたストロフィスだったが、
 反射的にそう呟いてはっと覚醒した。
 特に何の変哲もない他人の家。
 けれども今は何か違和感が生じている。
 どこがどうと言える訳ではなかったがある程度周りを見渡してから、
 ストロフィスは椅子に横になっていたクラムを揺さぶった。

「クラム、起きて」
「ん、んー…?駄目だよ…ゆーしゃくん。
 そっちスライムは食べれないよ?」
「どのスライムだったら食えるんだ…」

 完全に夢の世界から脱却出来ていない。
 久しぶりに揺れない地面で寝たので、ベッドでなくともぐっすりだったのだろう。
 これを起こしきるのは時間が掛かると踏んだのか、
 ストロフィスは寝ぼけ顔の彼女をひょいと抱き上げると有無を言わさず屋外へ出た。

「わっ?ふわぁ!?」

 さすがに驚いて完全覚醒したクラムが腕の中でもがく。
 しかしその瞳に映ったものに、その動きを止めた。

「街が、消える…?」

 テドンの街が、その平穏な街並みが昇る陽と反比例して薄らいでいく。
 少しずつ少しずつ崩れた屋根や枯れた地面が――滅びの爪跡が見えてくる。

「消えてるんじゃない。現実に、戻るんだ」







 朝日に照らされているのは平和な景色が嘘だったように、荒れ果てた街並み。
 しかしブラウの目には、そんな事は映っていなかった。
 彼が歩いているのは先ほどまでの幻と変わらぬ思い出の道。
 石の敷いた中央通り、そこを抜けた先の街外れの家々に繋がる細い道、
 時折山羊が横切る草むらの抜け道。
 それらを黙々と進んで行く。

 その彼に手を引かれるラゼリアは、最初は驚いたもののすぐに目的が解った。
 10年前、同じ道を同じように同じ彼と進んだのだから。



 2人の目の前に現れたのは、朽ちているものの、恐らく今のこの街で唯一破壊を免れた建物。
 忘れ去られた牢獄だった。

「あの時は、夕方しか入れなかったんだ」

 記憶をなぞる様にそう呟き、彼は携帯ランプに火を灯した。
 幼い時は危険を理由に火を自ら扱う事が出来なかった。
 だからこそそこは陽が暮れる一瞬の時間しか入れない特別な場所だった。

 今はランプの明かりを頼りにラゼリアの手を引き牢獄の階段を地下へと下る。

「あの日…」

 振り向きはせずに彼が呟く。

「本当は見てもらいたかったんだ」

 階段を下りきり、壊れた鉄格子で囲われた部屋がいくつか現れる。
 迷わずその一番奥の部屋に彼は向かった。
 開きっぱなしの扉をくぐると、ラゼリアの手を離して代わりにランプを持たせた。
 そして自分は部屋の隅の床にしゃがみ込む。
 ほどなく床板の一枚を器用に外してしまった。

「8つくらいの子供にしちゃ、
 中々すごい隠し場所だったと思わないか?」

 そう少し自慢げに言って取り出したのは、
 片手で持ち上げるには大きい程度のブリキの箱だった。
 古くて埃だらけになったその箱を、
 彼は宝箱でも見るような眼差しでしばし見つめていた。

「ガキの頃は、どんなガラクタだろうと何でも宝物だったんだ。
 そこらに落ちてた鮮やかな色の鳥の羽とか、
 母さんからもらった壊れた耳飾に、
 池向こうの爺さんに作ってもらったガラスの人形も、
 誰も盗ったりしないのにこんな場所に…」

 幼い自分へ向けた台詞を呟いて、彼は10年前の思い出の蓋を開けた。
 そこはブラウ少年の宝物で溢れていた。
 予告通りの鳥の羽やガラス、一見何か解らない金属の一部分、萎れた木の実。
 その今となってはガラクタにしか見えないものたちの中に、一際輝く宝玉はあった。
 美しい竜の細工が絡みついた、緑の珠。
 奇跡のようなグリーンオーブ。
 それを手に取り、彼はラゼリアの前に掲げた。

「お前に見せたかったんだ」

 そして子供って現金だよなと自嘲気味に笑った。

「誰にも見せないって行商のおじさんと約束したけど、
 どうしても自分の宝物として見せたくってさ。
 誰にも秘密のものを共有するってだけでわくわくした」

 立ち上がり、その緑の輝きを彼女の手に渡す。

「君に、見せたかったんだ。ラゼリア」

 10年前、言えなかった台詞を彼は言った。
 その時は本当はその後に自分を旅に連れて行ってほしいとの言葉も予定していたが、
 旅路を供にする今となっては不要の言葉だった。

 宝玉を手にした彼女は、彼の瞳をまっすぐに見た。
 思い出の宝箱からこれを取り出してしまう意味を彼が気づいていない訳がない。

「良いの?」

 その台詞に彼は既視感を抱いた。
 すぐにその正体に思い当たる。
 ルザミの地で、このテドンに向かう意志を固めた時。
 彼女は彼に聞いたのだ「思い出して良いの」と。

「これを持って行ったらもう、ここにあの日の街は戻らない」

 街の幻を作り出しているのは間違いなくオーブだろう。
 あの時と同じくその短い言葉には、彼の覚悟が問われている。

「それでも…良いの?」
「良いんだ」

 迷わず頷いた。

「約束、だから」

 隠す事だけが目的ではなかったはずだ。
 必要とする者に、自分の目で見極めて渡してくれと記憶の中の男は言った。
 本当はその役目はきっとその男のものだったのだ。
 けれともどうにもならなくて、彼は藁をも掴む思いで頼りない少年に賭けたのだ。

「ありがとう」

 突然、彼女が放った言葉の意味が解らずきょとんとする。
 彼女は続けて言った。

「オーブを守ってくれて、ありがとう」

 その言葉に、ほとんど反射的に熱いものが込み上げる。

 何も出来なかったと思ったけれども。
 何も残せなかったと思ったけれども。
 結果的にたった1つだけ守れたものがあった。

――男の約束な。





「一体、どれだけの人が知っていたのかしらね」

 ブラウに宝珠を託した行商人は「池向こうのお爺さん」の家に世話になっていた。
 あのテドンで過ごした日々聞いたブラウ少年の言葉によると、
 その老人は凄腕の硝子職人だった。
 隠居していたものの、まだ時折工房を動かしていたらしい。
 色の着いた美しい球体を作ることは造作もなかっただろう。

 行商人は長老の家にだって何度も出入りしていなかったか。
 魔物よけの聖水を撒いたり火を灯すのは長老の指示の元だった。

 何より、魔物に襲われ続ける者を何の意図もなくあの大商隊が助けるとも思えない。
 あの集団が善良な勇気ある者達ではなく、
 商売根性で成り立つ根っからの商人達でしかなかったことは
 そこで生まれ育った彼女だからこそ良く解っている。

 まさか皆が伝説のオーブを持っていたとは知らなかっただろう。
 けれども行商人の男が何か価値のあるものを持っていて、
 それを匿おう――もしくは利用しようと、守っていたのだ。

 彼女の漏らした声に、涙を堪えるのに懸命なブラウが顔を向けた。

「何でもないわ」

 彼女は優しく首を振った。
 失われた今、すべては推測の域を出ないけど。
 1人の行商人の約束だけではなく。

――あなたは、たくさんの想いを託されていたのかもしれないわね。







 地下牢から地上へ出ると、高く上りつつある太陽が眩しかった。
 ブラウが眼を細めると、風が2人の間を通り抜ける。
 その風が甘い香りと供に白い花弁を運ぶ。
 街の裏手に立てられた墓石。
 その周りに咲き誇っていた名も知らない花の花弁。

 この花を1度意識して見た事があったのを思い出した。
 それはラゼリア所縁の地、アッサラーム。
 その墓地で、彼女が「先生」の墓前へ備えていた物。

――じゃああの墓は…

 何かに思い当たった時、一際強い風が吹き付けた。
 とっさによろけたラゼリアを支え、彼女の持っていたオーブも落ちないよう受け取った。
 それと同時に、今まで以上の緑の光が溢れ出し、ブラウは思わず眼を瞑った。

 どれくらいそうしていただろう。
 右手に感じるラゼリアの手の感触と、左手に感じるオーブの硬質な感触。
 それに安堵を抱きながら目を開ける。



 そこに街があった。
 廃墟ではなく、退屈過ぎる平穏な街の姿で。

 輝く緑に彩られた風景。
 長閑な動物の鳴き声。
 毎日変わらない人々の営み。

 その中を、小さな2人の影が駆け抜けた。
 銀の髪を短く刈り、琥珀の瞳を不安と期待に揺らす少年。
 靡く髪が水の様に煌めく、大人びた赤い瞳の少女。
 それは思い出にはならなかった、あの思い出の未来。

 平穏過ぎる住民たちとの会話。
 当たり前の様に出迎える両親。
 訪れた恋と言う刺激。
 自分の想いを懸命に伝えようともがく幼さ。

 すべてが愛おしく、すべてがもう戻らない。
 それが悲しく、すべてが悔しい。
 けれどもきっともう迷わない。
 自分も何かを守る事が出来るのだから。

「オーブを見てから、この幻は街への謝罪だと思ったのだけれども」

 愛しい思いでの中、唯一現実である彼女が彼の手を握って呟いた。

「う…」

 せっかくの景色がもう見えなかった。

「自分を守ってくれたあなたへの、感謝だったのかも知れないわね」

 溢れだしたものを止める事はすでに出来なかったから。
 柄でもないと思ったけれど、格好悪いと思ったけれど。
 けれどももう、自分の感情から逃げはしない。

「うぁ、うあぁぁ…」

 左手に幼き約束を。
 右手に幼き初恋の温もりを。
 その2つを握り締めて彼は声を上げて泣き続けた。

 決して戻らぬ思い出が目の前から消えてしまう、その時まで。















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