テドンの話----------
その日、恋に落ち。その日、罪を知った。
21話.その日@
すべての記憶ではなく。
滅びの日の記憶だけではなく。
何故、失っていたのは7日間の記憶なのか。
その鍵は、彼女の存在だった。
脳裏に焼き付いた赤。
それは街を焼き尽くす炎の色。
それは真っ赤に溢れ出る血の色。
そして何よりも美しい彼女の瞳の色。
すべての欠片は揃い、記憶はぴたりと嵌り終えた。
「ラゼリア…」
彼が最初に呟いたのは、その瞳の持ち主の名前だった。
「勇者くん、どうしよ…」
途方に暮れるクラムはぼんやりと街の人々を眺めていた。
「ブルーはあんな感じだったし」
この街に立ち寄る理由の盗賊は混乱のまま失踪し、頼れる僧侶もいつの間にかいない。
更に問題なのは、ここが危険なのかも解らないところだ。
危険ならすぐにでもここから立ち去るべきだし、仲間を探しにも行かなければならない。
けれどもどちらか解らない以上、慌てる事もすぐには出来ない。
「放っておいても大丈夫だろ」
彼女のすぐ傍でストロフィスが応える。
クラムにがっしりと掴まれている彼は傍以外で応えようがなかった。
「ラズが向かったろうから」
彼の台詞にクラムはきょとんとした。
「ラズが?なんで?いつの間に?」
「多分だけど」
ブラウあたりはきっと信じないだろうが、クラムは知っている。
この勇者は彼なりに確信に近い事しか口にしない。
むやみに不安や興味を煽ったりはしない。
例えそれが推測でしかない事でも、勘だとしても、結果的に彼の言葉は正解に近いのだ。
だからこそこの時も、彼女は真実を聞くような気持ちで言葉の続きを待った。
「ラズはもともと…アリアハンに来る前から
ブルーの事を知ってたんじゃないかな、って」
クラムが驚きに目を見開く。
ストロフィスは数カ月間の2人を振り返った。
10年前のテドンの悲劇。
生き残ったブラウと失われたテドンの住民。
そこに居合わせたという隊商の人々。
10年前にラゼリアが「先生」と出会う事になった悲惨な事件。
家族を失ったというラゼリア。
符合する2人の軌跡。
そして、時々ブラウに向けられる彼女の瞳。
仲間を見守る様ではなく、ましてや恋焦がれる様でもなく。
あれはいつも遠い思い出を見るような瞳だった。
蘇った、たった1週間の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
その日はテドン滅亡の7日前。
大きな隊商が来るという情報は、ブラウの心を浮足立たせていた。
辺境の街に住む8つの少年にとっては、1人の行商人が街を訪れるだけでも十分刺激的なことだった。
彼らの語る見知らぬ土地の話。
手に汗握る魔物との攻防や危険な自然との闘い。
見た事もない宝物のような商品。
広げられる異国の香り。
どれもこれもが少年を夢中にさせていた。
それが大勢来ると言うのは、大変な知らせだったのだ。
普段商売が繁盛しそうにもない田舎にそんな大きな隊商が来る事はない。
ただ今回は、移動先で魔物に隊商全体が手酷いダメージを受け、
急遽休息と物資補給の為に立ち寄る事になったという事だった。
大変な人数が来ると言う事で、宿はもちろんの事、
ブラウの家を含めたほとんどの民家に商人達が間借りする事となっている。
「あ、おじさん!おじさんも来てたの!?」
噂の隊商が街に到着し、ブラウが始めに声を掛けたのは顔見知りの行商人だった。
何度かこの街に滞在した事があり、その時にブラウはすっかり懐いていた。
以前この街に来た時は1人旅をしていたはずだったので、隊商の中に居るその男性に驚いたのだ。
声を掛けられた行商人は人懐っこい笑みで少年の頭を撫でてやった。
「たまたま行き先も一緒だし
魔物相手も1人じゃ厳しくなってきたから、
しばらくこの隊商に世話になってたんだ」
魔物が近年凶暴になって来ているというのは、
平和な街に住んでいる彼にとっては現実味こそないものの耳に入って来る事だった。
「じゃあ、おじさんが今日から僕の家に泊まるの?」
「いや、俺は池向こうの爺さんとこに泊まらせてもらうよ。
百戦錬磨のここの商人達も、
初対面であの偏屈じいさんちには上がれねぇだろ」
行商人の冗談交じりの話に、ブラウも笑った。
「お前さんの家に世話になるのは、あそこの家族だ。
同じ年頃の娘さんがいて、良い話相手にもなるだろうしな」
彼が示した先には、若い夫婦とその娘が荷を下ろしていた。
行商人はその親子に近付いていき、こちらの方を示していた。
ブラウの事を紹介してくれているのだろう。
それに合わせて、少女はこちらを振り返った。
高級な陶器人形の様に白い肌に薄紅の唇。
水の様に流れる青銀の髪の間から深紅の瞳がブラウを捉える。
同じ年頃とは思えないほど凛とした気配と大人びた表情。
自分を見ている事に気付いたのか、彼女は優しく彼に微笑んだ。
その美しさと笑みは彼の心を鷲掴みにした。
それは完全なる一目惚れで、今から思えば初恋というやつで。
とにかくただでさえ浮足だった彼の気持ちは空高く舞い上がってしまった。
彼女は両親から離れ、一足先に彼の元へやって来た。
「短い間だけどよろしくね。私はラゼリア」
鈴の音のような涼やかな声で彼女は自己紹介した。
「ブ、ブラウ!」
彼女の落ち着いた物腰とは正反対に、自分の名前すら噛みながら何とか告げる。
そんなみっともない振る舞いにも、彼女は馬鹿にする訳でもなく優しく続ける。
「ブラウね。私の事はみんなラズって呼ぶわ」
その台詞にブラウは突然閃くものがあり、思ったまま口を開いた。
「僕はラゼリアって、そのまま呼んでいい?」
――みんなと一緒じゃなくて、特別になりたい。
とはさすがに言えず。
「ラゼリアって響きがすごく綺麗だから」
告げた理由に彼女が断る訳もなく、ありがとう応える。
空を飛んでいる彼の気持ちは当分着地出来そうになかった。
「パンに挟むならどんな食べ物?」
「舟って乗った事ある?」
「好きなスープの具は何?」
「今まで行った中で、一番大きな街ってどこ?」
「何色が好き?」
何の脈略もない矢継ぎ早な質問にも、彼女は嫌な顔一つせず答えてくれる。
それが益々彼を舞い上がらせた。
「うちのヤギはすごく立派なんだ!」
そう言っては自分の家のヤギを見せに連れて行き。
「ここから見る夕日が一番綺麗!」
そう言っては高い丘を登らせ。
「僕は3つも年上の隣の兄ちゃんより足が速いんだよ!」
そう言っては目の前を駆けて見せた。
ラゼリアはどんなくだらない彼の自慢でも、水を差すことなく優しく応えてくれた。
「すごいわね」
その笑顔が見たくて、ブラウは話題を探し続けた。
「秋の収穫祭の時には結構盛り上がるんだ!
別の街からも人が来て、賑やかなんだよ!」
いつもの通りこの街を好きになってほしくて、彼は数少ない大きなお祭りの話をしていた。
彼女はいつも通り、優しい笑みでそれに応えてくれていた。
「そう、それは見られないのは残念ね。
いつか秋に訪れる時がくればいいけど」
その台詞にはっとする。
彼女は秋どころか、数日後にはこの街にはいないのだ。
そして、2度目に訪れてくれる保証など何もない。
大隊商の少女との恋などブラウにとっては一生に何度もある訳ではない貴重な体験でも、
旅を続ける彼女にとっては辺境の街の素朴な少年との出会いなど、それこそ数え切れないほどあるだろう。
草を食むヤギが立派な事も、
秋祭りが盛り上がる事も、
水辺に大きな渡り鳥が時折やって来る事も、
池向こうの爺さんの作るガラス細工が綺麗な事も、
隣のおばさんが焼くパンが美味しい事も、
きっと彼女をこの街に引き留める事には繋がらない。
――どうすれば。
彼女は彼の事を忘れずにいてくれるだろうか。
彼女に自分を好きになってもらえるだろうか。
どうすれば、彼女とこの先ずっと一緒にいれるだろうか。
数日間高く舞い上がり続けていた彼の気持ちは、一気に地べたに両足を付けてしまった。
彼は早くも恋の苦しさを知ったのだ。
それはテドン滅亡の3日前の出来事。
10年前の姿の部屋に、10年分成長した少女が立っている。
「何で…黙ってたんだ」
ブラウは、何とかそれだけ言った。
駆け巡る記憶に押し潰されそうだった。
そしてもはや確認するまでもなく、彼女はそのすべてを知っている。
ラゼリアはそっと目を伏せた。
「辛くて、忘れていたのでしょ?
それを私の勝手で思い出される訳にはいけないわ」
確かに彼女は決して嘘を吐いていた訳ではない。
むしろ彼がどこまで覚えているのかはっきりと探っていた所すらあった。
――テドンっていう街の側なんだけど。
――好きなスープの具、程度の話がしたいかな。
――辛い事、思い出していいの。
それに気付かなかったのは、単に彼が彼女の存在ごと記憶を閉ざしていたからだ。
「テドンが滅んだ事は確かに辛かった…。
両親や知り合いが全部死んだだろうって事も、
見てもいないのに当時はだいぶ堪えたよ…」
目にした事実は忘れていても、風聞として耳に入ってくる以上、
その辛さは忘れる事は出来なかった。
「けれども、俺が全部忘れてたのは…お前のせいだ」
彼女はまっすぐ彼の瞳を見た。
彼の今にも泣き出しそうな瞳には、明らかな動揺が見て取れる。
「ラゼリア」
初恋の想い出ごと消し去ってしまわなければいけない理由。
どうしても乗り越えられなかった事。
ずっと逃げ続けていたもの。
「お前、どうして…生きてたんだ?」
それは、幼い恋故の罪。
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