海原の話----------
19話.赤い決意B
「ちょっと鍛錬に付き合え」
「は?」
勇者が最近愛用していた剣は、この島唯一の道具屋――というか万屋に、
刃こぼれや擦り切れた柄の革の修復の為預けられていた。
数日振りに手元に帰って来たその剣の状態を確認している時に、
突然ストロフィスに掛けられた声。
声の主は不機嫌が頂点に達したのが見た目で判断できる盗賊だった。
「しばらく魔物と戦ってない。身体が鈍ってる」
「勝手にやれよ」
「いいから付き合え。街の裏手」
まるで聞く耳を持たず、ブラウはそれだけ言うと背を向けて去って行った。
その態度で色々と察したストロフィスは深々と溜息を吐いた。
もちろん今まで1度も2人で鍛錬だの修行等と言ったものを行った事などない。
目的は憂さ晴らし以外の何者でもないだろう。
「鈍ってるじゃなくて、戦いがなくて鬱憤が溜まってるだろ。
あー…面倒な…」
何故八つ当たりに付き合わなくてはならないのか。
いっそ放って島を出れば良かったとすら思った。
けれども2人の女性が頭を過ぎり、彼は元々ぼさぼさの頭を更にくしゃっと乱した。
「抜き身の剣とその鞭でやるつもりなのか…」
指定された場所に着くと、ブラウが実戦で使っている鋼の鞭を手にしていた。
さすがに呆れて二の句が告げない。
今彼の頭には鬱憤を晴らす事が優先順位の上位を占めているのだろう。
他の事にまるで頭が回っていない。
アリアハンの魔物と相対していた頃のようなレベルの武器ではない。
下手をしたら相手を殺しかねないし、殺されかねないのだ。
「軽く打ち合うだけだ。
ちょっとくらいの傷ならラゼリアが治してくれるだろ」
「剣と鞭でどうやって軽く打ち合いすんだよ…」
そもそもどの面を下げて彼女に癒しを乞うつもりなのか。
げんなりと口にしてストロフィスは手にしていたものを放り投げた。
「借りて来た」
受け取ったブラウが不満そうな顔をした。
何の変哲もないひのき棒だ。
もちろんストロフィスも同じものを手にしている。
「鍛錬っつーか、どうせ実戦形式で戦うって言うんだろ?
俺はラズと違って攻撃の当たらない自信も
怪我させないよう適度に手を抜く技量もないし」
手を抜くと発言した所で、ぴりっと空気が音を立てる。
よほど頭に来たのだろう。
何も言わないが、ひのきの棒に殺気が込められた。
相変わらず、目の前の盗賊とは気が合いそうにはない。
それでも、リオレットの課題を受けろと言ったのは自分でもある。
この展開は身から出た錆でもあるので、文句を言う相手もいない。
「気に食わないなら気に食わないって言えばいいのに…」
ストロフィスはその日一番の溜息を吐いてからひのき棒を軽く構えた。
ブラウはやる気なく右手にひのき棒をぶら下げた勇者を見る。
本当に戦う気があるのかと問いただしたくなる佇まい。
魔物と対面した時もそうだ。
彼はこの勇者がそれらしく構えている所をほとんど目にした事がない。
そもそも前線で戦うブラウに、
いつも後方にいるストロフィスの行動など逐一見えるはずもないのだが。
それでも少しは何か思い出そうとしたが、具体的には思い出せなかった。
致命的な怪我などもなければ劇的な活躍もしていた記憶もない。
強いて言うなら時折魔法を使っているのが印象に残っているくらい。
魔物が向かって来てから動く。
仲間が動いてから動く。
何か言われてから動く。
根っからの怠け者。
この勇者は何かあってからしか動かないのだ。
だからこそ、印象に残るような働きもしていないのだ。
ブラウはそこまで記憶をなぞり、改めて現実のストロフィスに向かう。
案の定、自ら動く気配は一切ない。
速さには自信がある。
こちらが動いたから動くなんて悠長な事が出来ない内に、勝負を決める。
――武器がしっくり来ないのが残念だが…
「蹴りの一発くらい余計に喰らわせてやる」
心の声を小さく現実に出し、彼は全力で地を蹴った。
想い描いた通り、あっというまに距離を詰める。
ストロフィスはまだ動かない。
すべて予想の通り。
彼は自らの勢いを乗せたひのき棒を薙いだ。
けれども何にも当たらなかった。
それは完全に空を切っていた。
そこにいるのに当たらなかった。
一瞬意味が解らない。
彼の一撃は、ストロフィスのほんの少しだけ体を動かすと言う行為に阻まれたのだ。
あまりにも無駄な動きがなさ過ぎて、自らが目測を誤ったのではと思うほど。
しかも武器が振るわれ、攻撃の筋が決まってからというぎりぎりで。
状況を理解し動揺した次の瞬間、今度は何も捉えず振り抜かれたひのき棒を弾かれた。
しっくりこないと思っていた武器があっさりと手から離れる。
それも遅れてやる気のない構えから飛んできた攻撃だと思い至った。
更に遅れて追撃に気付く。
「くっ!」
完全に反撃出来るタイミングも手段も失い、そのまま後ろに反って攻撃を避けた。
けれどもそれも読まれていたらしく、空振った棒を引いて蹴り飛ばされた。
後ろに飛んでいた為多少ダメージが軽減されていたが、
それでも相当強烈な衝撃で吹っ飛ぶ。
受身を取って体勢を立て直そうとするが、続いて今度は右からの蹴りが襲ってくる。
まともに喰らって次は完全に地べたに張り付く事になった。
「くそっ!何で…!」
しばらく咳き込んだ後、拳を地面に叩き付けて叫ぶ。
その様子を、いつも以上に冷めた目でストロフィスは見下ろしていた。
「何でじゃねぇよ。ここまでやったら解るだろ普通。
それこそ何で俺が説明しなきゃなんないんだ」
彼は怒る訳でもなくただ呆れていると言った様子だ。
お前はその程度なのかと言われているようで、意味も解らず恥ずかしくなる。
ストロフィスは何でと言いながらも言葉を続けた。
「俺に勝つつもりしかなかったんだろうけど。
お前は…いつも見えるとこしか見てない」
ブラウは何も言えない。
ただ黙って聞いているしかない。
地面から立つことすら思いつけないでいた。
「だからいちいち迷うんだよ。
終わった後に、何で、じゃなくてさ。
もうちょっと先に色々想像しておく事あるだろ。
今だってさっさと追撃すれば速さで俺が上回る事なんてなかったのに」
決めているからこそ迷う。
半端な決意が思考する事を止めさせる。
――ダーマでも言われたんだった。
迷いばかりの者と。
「初めに選択肢を断つ事が偉いとでも思ってんの?
結局毎回立ち止まるのは、そう言う事。
リオがお前を旅立たせたくないのはまさにそれ」
必ず足手纏いになる、との姉からの警告が蘇る。
もうその意味も解ってしまった。
「お前がそこに這いつくばってるのが結果。
それは何でか。偶然か?運が悪かったから?
違うだろ?それは、自分が1番解ってるはずだ」
「俺は…」
それ以上言葉が出なかった。
解らないのではない。
今までもきっとそうだったのだ。
ただ、認めたくない。言いたくなかっただけ。
「続きはリオに言えばいい。
口に出したくないと認めないなら、お前とはここまでだ。
リオが旅立ちを許さないだろうからな」
勇者はそこまで言うと、あっさりとブラウに背を向けた。
アリアハンの勇者の背を地べたから見送って、彼はぼんやりとしていた。
少しずつ動き出した思考が、無意識に口からこぼれ出る。
「勝てるはずだと、思い込んでいたよ」
いつも初めから1つに決めていた。
負の可能性なんて考慮しない。
迷っている事すら認めなかった。
「あいつに負けるかもしれない…って事は
俺があいつよりも…弱いかもしれないって思う事だ」
彼に負けるのが嫌だった。
あんなに頑張っていない奴なのに。
何かに負けるのが嫌だった。
負けるのは弱い事だ。
自分が弱いという事が嫌だった。
強くなりたかった。
強くなりたいと言う事は、決して今強い訳じゃないというのに。
「馬鹿みたいだな。あいつにだけじゃない…」
自嘲気味に呟く。
「そうだ…俺はずっと」
ずっとずっとずっと。
あの日からずっと。
続けていたのは強がり。
「俺は臆病で弱い。そしてその弱さから逃げ続けてる」
ずっと解っていた事。
けれど認められなかった事。
彼は初めて、自らそれを口にした。
「ラゼリア」
青銀の髪を靡かせて名を呼ばれた美しい僧侶が振り返る。
学者を名乗る男から貸し出された資料をテラスの机に山積みにして、
彼女はその隙間から海を眺めていたようだった。
先程まで青を映していた彼女の赤い瞳は、どうかした?と問い掛けている。
ふと気付けば、この海賊達と再会してから彼女とはあまり会話をしていなかった。
平素まともな会話をする時間は一番多いはずだったが、
行き先など打ち合わせる必要がなかった為だろう。
何となく変な緊張感を伴って、ブラウは彼女の方へと近付いた。
彼女の全てを許しそうな優しい瞳が彼が辿り着くのを待っている。
「あのさ」
言葉を飾る必要はない。
「テドンに向かってもいいか?」
単刀直入に訊いた。
彼の故郷に気付いていた彼女に、余計な前置きは要らないだろう。
「もちろん、何も収穫はないだろうし…。
なんせ情報源がいないからな。
あ、でも近くの教会とか、残ってるかもしれないし…」
どう言い繕っても何もないだろう。
不死鳥や魔王の情報等は望めない。
ただの遠回りになる事は目に見えている。
彼女はいつも滅茶苦茶に見える進路にも、情報の可能性を手繰り寄せていた。
逆に言うと、彼女が意味のない個所に向かおうとした事は1度もない。
彼女に拒否される可能性が1番高かった。
「いや、決定権はあいつにあるとか言うんだろうけど…」
ストロフィスには先ほどとは違う腹立たしさが残っていた。
まったく顔を合わせる気にはなれない。
それにそんな理由とは別に、彼女には伝えておきたいと思ったのだ。
自分が1つの決断をしたと言う事を。
もう迷ってばかりではないと。
ラゼリアはしばらく彼をじっと見つめていた。
ほんの少しの沈黙も彼の心音を早める。
その間に耐えきれず、思わず何か言葉を継ごうとしたブラウに、
ラゼリアはすいっと1歩近付いた。
彼女は何かを答える訳ではなく、彼の脇腹辺りに回復呪文を掛けた。
先刻ストロフィスに蹴飛ばされた所だ。
大した事ないつもりだったが、少し庇って歩いていたのがバレたらしい。
怪我の原因を問われるかもと、くだらない言い訳が頭を過る。
「いいの?」
「へ?」
訊いていたのはこっちだったので、返された質問の意味が解らなかった。
怪我の事でもなさそうで思わずきょとんとした彼に、彼女はもう一度言った。
「辛い事、思い出していいの?」
優しく、心臓を撫でつけられたような感覚だった。
彼女は自分の気付かないところすら、すでに辿り着いている。
「多分、それなんだよな」
ここでまた逃げてはいけないと、ブラウはラゼリアの瞳を受け止めた。
「忘れて、何も思い出せなくて。
でもそれが、忘れてる事が、ずっと引っかかってるんだ」
あの時忘れた方が良いと、身体が判断した事。
そして今まで無意識に思い出そうとしなかった事。
それはきっと、自分にとって苦しい出来事。
「あの日に向き合えなかった物が、そこにはあるんだ。
逃げていた物がその中に、俺自身の中にあるはずなんだよ」
彼女は彼が呼びかけた時から1度も目を離さなかった。
そして言葉が終わると静かに頷いた。
「あなたの決意に唱える異何てないわ。
あなたさえ良いのなら行きましょう、テドンに」
彼女は初めて彼から視線を外し、少しだけ遠い目でそう応えた。
その瞳の先は、確かに彼の故郷の方角を向いていた。
「お姉ちゃん」
「なぁに、ブラウちゃん」
出来たばかりの可愛い弟に呼んでもらえ、
当時12歳のリオレットは満面の笑みで振り返った。
けれども、次の台詞に少女の笑みはぴたりと凍りつく。
「まおう、っていうのが、テドンを滅ぼしたってホント?」
ちらりと彼女は見えない甲板に目をやった。
幼い少年に不用意な話を聞かせた船員に、
少女とは思えない鋭い視線が投げられた。
それでも、今更どうすることも出来ない。
リオレットは小さく溜息を吐いた。
「私も噂しか聞いてないから、本当の事は知らないの」
「まおうを倒すにはどうしたらいいかな?」
「ブラウちゃん…」
弟の真剣な瞳に、姉は哀しい顔をするしかなかった。
「どうしたらいい?」
「強く、なるしかない…かな」
その答えに、少年は「強く」と復唱していた。
「魔王を倒したいの?」
「だって、許せないじゃないか」
そして少年は口にする。
その後10年、彼の支えになる言葉を。
何かから背を向けた、その始まりの言葉を。
「ぜんぶ、ぜんぶ、まおうと魔物のせいなんだから!」
うたた寝をしていた。
遠い夢を見ていたリオレットは自然と目を開けた。
自室の窓からは見慣れた深い青の海が見え、嗅ぎ慣れた潮風が入り込んでくる。
彼女の産まれた時から何も変わらない、
彼女の弟が出来た時から何も変わらない景色。
変わったのはそれを見下ろす自分の体格や、映り込む人達の様。
そう、変わっていくのはいつも人間だけだ。
良い風にも、悪い風にも。
「姉ちゃん」
ノックの後に部屋に入った銀髪の弟の声。
決意を含んだ、大人の声。
「俺、テドンに行く」
その言葉に、彼女は開いた目をもう一度閉じた。
瞼の裏に刻まれた、か弱い少年の姿。
そして瞼の外側に立つ、今の姿。
――ああ、私の弟は。こんなにも強くなったんだね。
それは嬉しいや悲しいなんて単純な感情ではなく、胸を締め付けるような想い。
「ずっと逃げてたんだよ」
彼はちゃんと宿題を解いてきた。
彼女はその解答を聞き届けなくてはならない。
「俺は認めたくなかった。
故郷を置いて1人で逃げ出して来た…自分の弱さ」
搾り出すように言葉にする。
「そして都合のいい事だけ忘れてる自分の甘さを」
甘さ。弱さ。
言葉にしてしまったら、何と簡単な事だろう。
けれどもそれを突きつけられるのは辛い。
情けなくて格好が悪い。
「俺は…ずっと格好付けて、弱い自分を認められなかった。
それに怖かったんだ。
恐ろしい思い出を思い出して、弱い自分をさらけ出すのが」
だから10年間、彼は故郷の地を踏まなかった。
もう滅んだから意味がないと。
言い訳ばかりして、向かい合えなかった。
「だから…魔王を倒したかったのは、弱さから目を逸らしていたからだ。
大きな目標を掲げる事で、憎しみに身を投じる事で、
ずっと…俺は自分自身を省みなかった」
見つけた答えに彼女は小さく頷いた。
彼女も解らなかった彼の迷いの理由。
異国の勇者が気付いていた彼の欠点。
弟は少しだけ、ほんの少しそれを克服しようとしている。
「強くはなれないかもしれない。
けど、ちゃんと向き合ってくる。出来たら、思い出して来る」
迷いを全て捨てさっている訳ではない。
けれども、行く先は見つけた様に、彼女の弟は晴れやかだった。
「うん、行って来て。ブラウちゃんが本当に辿り着きたい所に」
彼女はそう言うと、赤いオーブを差し出した。
「それですっきりしたら、魔王でもなんでも倒して来て」
「簡単に言うよな…」
彼女は弟の突っ込みも気にせず、ただ優しく笑っていた。
「ブラウちゃんなら出来るよ。だって私の自慢の弟なんだから」
その言葉に、ブラウは受け取ったオーブを強く握り締めた。
この赤い宝玉は、今日の彼の決意の証。
彼女の想いに応えないといけないと強く思った。
「ブラウちゃん」
血の繋がりは一滴もない。
けれども彼女は家族以外の何者でもないというように、優しく彼の名を呼んだ。
「いつでもどこでも、ブラウちゃんは私の弟だからね」
優しい優しい彼の姉は、自分より背の高くなった弟をギュッと抱き締めた。
10年前。それが当り前だというように船に迎え入れてくれた。
生きる糧を与えてくれ、生きる術を教えてくれた。
彼女とその父親がいなければ、自分はここまで来る事は出来なかったのだ。
本物の両親と同じくらいの時を過ごした。
決して正しい生き方をしている人達ではないのだろうが、
彼にとってもまた、自慢の家族だった。
「姉ちゃん…」
改めて色々な思いが込み上げて来て、
ブラウもまたいつの間にか見下ろすほどの身長差になった姉を抱き返した。
海賊達、そしてベリィと弟分達とはルザミで別れる事となった。
「あんたの姉さんからすごく面白い話を貰ったのよ」
まだ他の国と文化交流をした事がない大陸に、街を作るという。
途方もない話だが、この商人は夢だけで生きるようなタイプではない。
恐らく、現実的な可能性を十分に考慮した上での決定だろう。
いつもは頼りなさげなネーブルとマーコットも、
何か使命を帯だ様な精悍な顔つきをしていた。
「海沿いの街を発展させるにはやっぱり貿易じゃない。
その為には魔物が減って、交易船が大量に行きかわないといけないからさ」
「勇者様の魔王討伐は大前提なんです」
「期待してます」
代わる代わる平和を祈ってではない魔王討伐を願う。
願われる勇者は面倒そうに口を開く。
「するのは勝手だけどさ」
「大丈夫だよ!だって勇者君は勇者様なんだから!」
そしてクラムはそんなストロフィスの腕を取り、
根拠の感じられないお墨付きを与えた。
「まぁ、どれだけ掛かるか解んないけど、
ちょっとびっくりさせて上げたいからさ、いつか訪ねてよ。
魔王とかオーブの事も出来る限りは調べとくし。
リオに連絡つけてくれたら、街の場所は解るから」
そう示されたリオレットは変わらぬお嬢様な格好で、にっこりと笑った。
「ストロちゃん、ありがとね」
自分自身に何かをしてもらった訳ではないのに、自分の事よりも感謝に満ち溢れた言葉。
こんな人が姉だったら幸せだろうと、ストロフィスは柄にもなく思った。
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