海原の話----------
18話.海原の民A
もう10年も前の話。
珍しい場所まで船は流れていた。
貴族やそこに向かう商船を狙っていた彼らにとっては、
アジトからエジンベアまでの海域以外はあまり必要としていなかった。
しかし数日前から船を襲っていた嵐を逃れるように、
船は入り組んだその大陸の海岸まで入り込んでいた。
海の調子が戻ったら、すぐにでも出て行けるように待機していた船員達。
しかしふと、陽が落ちたはずの空が赤い事に気がついた。
見張り台に居た者は双眼鏡の視界に入りこんだものを見て、怪訝そうな顔をした。
まるで街中が火事にでもなっているような黒い煙が、激しく遠くで立ち上っていたのだ。
明らかに異常事態だった。
慌てた発見者は、彼らの主を呼んだ。
それはある街が地図から名を消した日の事。
「あれ…」
見張り台の上でマーコットが目を細めた。
抜けるような空の青と深い海の青の境目。
水平線に何かあるように見えた。
慌てて足元に転がっていた双眼鏡を拾い上げる。
そしてそこに映ったものを見て顔を青くさせた。
「…っ!?た、大変です、ブルーさん!」
「何だ?」
舵を扱いながら不満そうな面持ちのブラウは問うた。
何故非公認の愛称にさん付けまでされているのかが気に食わないらしい。
「何かいかにも怪しい船が近づいて来ます!」
双眼鏡の中で少しずつ大きくなるシルエット。
そこには黒地に白抜き髑髏印の旗が靡いている。
それを確認してマーコットは確信した。
「海賊船です!」
その宣言にブラウは自分も双眼鏡を取り出す。
覗き込んで見張りと同じものを確認する。
「…あ」
しかし、呟きは驚きや焦りではない。
渋そうな表情で溜息を吐いた。
「どうしましょう!?」
「いや…あの旗…」
彼が答える前に騒ぎを聞きつけた他のメンバーが甲板へ出てくる。
奥で食事の準備をしているラゼリア以外は海賊船を見ようと身を乗り出した。
肉眼でもある程度見えるところまで近付いている。
「へー、あれが海賊船。
ホントに髑髏描いてあるんだー」
双眼鏡を借りて、面白いものを発見したようにクラムは楽しそうだ。
見張り交代の為に睡眠を取っていたらしく、ベリィとネーブルは眠そうである。
「ありゃー。こんなご時世に元気なもんねー」
「姉さん、そんな落ち付いてる場合じゃないでしょう」
目をこすりながらも、焦っているのは見習い商人だけだ。
「けどまぁ、今更逃げられるもんでもないしね。
貴族船でも商船でもないし、盗るもんなかったら諦めんじゃない?」
「でも、凶悪な海賊だったら人攫いだってするって聞きますし…。
クラムさんとかラゼリアさんとか危ないですよ」
不安そうにする従弟に、ベリィは鋭い目を向けた。
「あんた今さり気なくあたし外したわね」
「き、気のせいですよ」
しまったというようにネーブルは目を逸らした。
そこに被さるように見張り台から声が上がる。
「このままだとすぐにでも追い付かれますー!」
「このメンバーなら戦っても勝てんじゃない?」
切羽詰まった警告にもベリィは緊張もしていない。
弟分は姉貴分の提案にびっくりしている。
「ものすごい力技…」
「…いや、多分大丈夫だ」
商人の会話に、ぼそりとブラウが割り込んだ。
「うん?勝てるって事?」
首を傾げたベリィに何故かげんなりした様子でブラウが言う。
「戦わなくても済むだろうって事」
「そこの船ー!止まれー!!」
海賊船が追い付いて来た。
野太い声が制止を求める。
こちらの船の倍くらいある大きさ。
矢を放つ為に設けられた窓。
はためく髑髏印。
何を取っても海賊船だった。
いかにも海賊ですという屈強そうな男達が武器を手にしているのが見える。
そしてとうとう船が並んだ。
「あなた達はもう逃げられないわー!荷を下ろす準備をなさーい!
言う事を聞かないと、命の保証はないわよー!」
聞こえた声は、先ほどとは全く違う高い声だった。
しかも若干のんびりとした声だ。
「女の、人?」
クラムが不思議そうに言ったその時、
その声の持ち主が颯爽とこちらに見える位置に現れた。
「さぁ、命とお金、どっちが大事?」
髪をかき上げ、恐らく決め台詞だろう言葉を高らかに言い放ったのは女性だった。
「お嬢!かっこいいですぜ!」
「お頭って呼んでちょーだい」
部下らしい男達がよ、世界一!なんて声援を送っていた。
その登場に誰も、何も言えなかった。
ただぽかんとしていた。
それは別に恐怖の為ではない。
そして海賊船に女性が乗っていたからではない。
そしてその女性がお頭らしいという事だからでもない。
その女性が何となく想像していた海賊像と違い過ぎた為だ。
歳は20歳ほどだろうか。
彼女は黄色いバンダナと赤いジャケットを着用していた。
しかしその端々に柔らかいフリルが付いており、
その下もふんわりとしたスカートだった。
黒い髪巻き毛は長く伸ばされており、華やかなコサージュが彩っている。
その顔立ちも浮かべる表情も、
船を襲うというよりは紅茶でも飲みましょうかという感じ。
海賊というよりお嬢様。
そのお嬢様が台詞を言い切った事で満足そうに海賊船でポーズを決めている。
一体どういう反応をするのが正解なのか。
向こうも何かこっちが反応をしないと動けないのか、変な沈黙が流れる。
その痛すぎる沈黙を小さ過ぎる呟きが破った。
「……姉貴…」
それは項垂れた盗賊の発言。
一斉に、その場の視線が彼に向く。
そしてその言葉の意味を仲間が尋ねる前に、絶叫が響いた。
「あねき!?
小さい時はお姉ちゃんって呼んでくれてたのにー!」
それは海賊にお頭と呼ばれた女性の発言。
その言葉に、色々聞きたい事があったはずだったが、結局ベリィは1つだけ尋ねる。
「えーと…あれ、お姉さんなの?」
「血は繋がってねぇ…」
話題の中心人物は顔を引きつらせながら答えた。
しかし、今までの衝撃など軽い方だったとすぐに知る事になる。
「ていうか久しぶり〜!ブラウちゃん!!
こんなとこで再会出来るとは思わなかったよ〜!」
さっきのショックはどこへやら、海賊の頭領は満面の笑顔で手を振った。
そしてその反応に、周囲の海賊達もこちらの船を覗き込んでくる。
「ああ〜!ホントだ、ブラウの坊ちゃんじゃねぇですか!?」
「うおぉ!お久しぶりっす!!」
「おおーい!お前ら!坊ちゃんがお見えだぞ〜!!」
わらわらと厳つい男達が増えていき、坊ちゃん坊ちゃんと手を振る。
なんだか異常にシュールな光景だった。
「坊ちゃんって…」
クラムが茫然としたまま呟き。
「ブラウちゃんって…」
ストロフィスも同じように呟いた。
呼ばれた本人は両耳を塞ぎ、完全に背を向けた状態でしゃがみ込んでいた。
「俺は何も聞こえない!!」
見張りから異常を伝えられた船の主は怪訝な顔をするしかなかった。
「何が起こってんだ…?」
厳つい顔立ちに大きな身体。
いたる所に歴戦を物語る傷や入れ墨等が目立つ。
貫禄のあるその男は海賊の頭領だった。
部下の1人が隣で意見を伺う。
「様子を見に行かせましょうか?それとも一旦船を離しますか?」
「どうすっかな」
頭領は赤く染まる陸地を眺めている。
恐らくその場所はテドンという街だったはずだ。
規模はただの火事だというレベルではない。
こちらまで影響のある何かなのか、原因を確かめておくべきか。
そこまで考えた時に新たに見張りからの報告があった。
「あ、お頭!」
「何だ?」
「誰かこっちに来ます!方向が、多分あの街の方からです」
それは証人か、それとも原因となった者か。
「武器の有無は解るか?」
「ちょっとお待ちを…あっと、武器はなさそうです!
てか子供です!子供が…あれは…逃げてんのか…?」
「子供が逃げてる?」
「追手の様なものは見えません!」
そこまで報告を聞き、頭領はよし、と決意した。
「状況を確認する。陸へ渡るぞ」
「了解!おい、誰か渡し板出せ!」
「おーい!」
部下の1人を子供に近づけた。
一応恐怖を感じさせないように船でも1番優男が選出されている。
「ちょっ、あっ!お頭、逃げられましたー!」
残念ながら必死に走っている子供を捕まえられなかったらしい。
結局見る者を一番脅えさせそうな頭領の元までやって来た。
大きい腕で、無理やり捕まえる。
「ほーい、止まれー」
「ひっ…!」
小さな悲鳴を上げて子供が腕の中で止まった。
銀の髪を煤で汚していて、転んだのか膝に擦り傷を作った少年だった。
ずっと必死に走っていたのだろう。
ほとんど酸欠状態で、それでも子供は逃れようとした。
「にげ、逃げなきゃ、はし、って、走れって」
「おい、坊主、何があった?」
「ま、魔物、いっぱい…魔物が…みんな、まも…」
「坊主落ち着け。ここならもう大丈夫だ。
ここには魔物はいない。もう安全だ」
うわ言のように魔物、魔物と呟く少年を宥める。
しかし、耳に入っていないようで足を動かそうとする。
「あ、かくて、赤くて…走らなきゃ、はし、らなきゃ」
「だからもう、走らなくていいんだよ。
それ以上走ったら海ん中にドボンだぞ」
そこで初めて少年はぴたりと止まった。
そして緊張の糸が切れたのかそのまま気を失った。
「街が魔物に襲われたみてぇだな」
「お頭、どうしますか?」
顔を上げる。
まだ街と思われる方向からは黒い煙が上っていた。
ふっとお頭と呼ばれた男は溜息を吐いた。
この少年以外誰1人逃げてくる影は見えない。
「どっちにしても、あっちはもう手遅れだろうな」
煙が上がってからかなり時間が経っていた。
ここからまた徒歩で移動した時に街を助けられる可能性は0に近い。
「まだ生きてる奴がいたら、悪いけどな」
もともと彼らにとって縁も所縁もない街だ。
危ない橋を渡る必要もない。
「むしろ引き上げてくるかもしれない魔物達と鉢合わせる方が不味い」
その頭領の台詞に、部下が頷く。
「では一旦船を少し沖へ移動させます。で、その坊主は…」
「せっかく生き残ったこの坊主を守ってやる事があの街への手向けだろ。
しばらくうちで面倒見るぞ」
「こんなちっこいのどう面倒見ます?
お嬢よりも小さいですけど、下働きとして入れたらいいんですかね?」
「そうだなー…」
気を失っている少年を見下ろす。
歳は7、8歳くらいだろうか。
確かにお嬢と言われた彼の娘より年下だろう。
その時、船の方から声がした。
「お嬢、むやみに降りると危ないですぜー」
その数秒後、その場に不似合いな高い声が彼を呼んだ。
「お父様〜。来ちゃいましたー」
「おー、リオ」
頭領の娘は、にこやかにやって来た。
海賊の子という言葉に似つかわしくない、可愛らしいドレスに身を包んでいる。
彼女は父の腕に抱かれている少年を興味深そうに眺めていた。
それを見て、彼は思い付くものがあった。
「お前弟か妹がほしいっつってたな」
「うん」
「じゃあ、これからこれが弟だ。思う存分可愛がれ」
「お頭…犬猫じゃねぇんですよ…?」
部下の忠告は聞こえていたが、娘のきらきらした表情に撤回はしなかった。
「わっ!やったー!」
喜ぶ娘の台詞が確定の合図となり、彼らの船に1人家族が加わった。
その後、風の噂でテドンの街を聞いた。
魔物に襲われ、生き残った者はいないという事だった。
「さっきはごめんなさいねー。
ブラウちゃんの船だって知ってたら、あんな事言わなかったんだけど」
ブラウが姉貴と呼んだ女性を中心に海賊船の数人が笑顔でこちらの船に移って来た。
逞しい男達に、若干トラウマのあるストロフィスが数歩下がった。
厳つい部下達に囲まれた女性は、おっとりとした口調で自己紹介をする。
「私はあの海賊船の頭領でリオレット」
名前はともかく、その肩書と本人の間にギャップがありすぎ、困惑が広がる。
そんな空気には全く気付かないようにリオレットは続けた。
「そしてブラウちゃんのお姉ちゃんでーす」
「だからブラウちゃんって…」
ストロフィスが呟いた言葉に、ブラウは両耳を塞いだまま聞こえない振りをし続けていた。
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