イシスの話----------
11話.魂を閉じるB
「右手を出して」
言われたままに差し出すとラゼリアがその手を取る。
袖を捲くり、曲げたり、触ったりしてから彼女は顔を上げた。
「痛い?」
「痛くはないけど、なんか変な感じ」
ストロフィスは釈然としないように答える。
痛みは回復呪文を唱えてもらってから感じていない。
しかしながらしっくり来ない感じはしていた。
「骨に異常はないけど、筋を痛めているわね。
痛みはもうないかもしれないけど、何日間かは安静にしなきゃ」
魔法は傷そのものを治すことしかできない。
例えば、流れた血は戻ってこない。
例えば、体の一部を失っても帰ってこない。
時間が経たないと本当の意味で癒されることはない。
ラゼリアは袖を直して労わるようにそっと腕を下ろさせた。
興味深そうにその光景を見守っていたクラムが彼らの側に来る。
「じゃあ、イシスにもう少しいるの?」
ラゼリアは頷いた。
「早く国境の封印を解きたいところだけれど、
こういう怪我は無理をしたら後遺症が残るから」
ロマリアまで戦わずに行くのはまず無理だろう。
彼女は少し窓の外を見て口を開いた。
「オルテガ殿のこともまだ聞き込んでいないしね。
もう少し情報と旅支度を整えましょう」
イシスは今日も暑かった。
強い陽射しも相変わらずだ。
しかし、そろそろ短い雨季に入るらしい。
ひょっとすると滞在中に雨と巡り会うかも知れなかった。
ピラミッドのミイラ騒動が王家の呪いに見せかけた陰謀だという噂は、瞬く間に国中へ広がった。
王宮から何か発表があった訳ではないので、
それぞれ出かけていったブラウとラゼリアが酒場や教会で吹聴したのが効果的だったらしい。
魔物などにつけ込まれた、国の弱さを嘆く人もいないではなかったが、
それでも女王や王家を直接非難する声はすでに影を潜めていた。
山積みになった本の影で青く光る銀髪が揺れる。
何冊目かに目を通し、彼女の右側、確認し終わった方に積んだ。
その左側に新たに数冊の本が置かれた。
「この辺りも参考になるかもしれません」
王宮の書庫によく響く声の持ち主はイシス王宮付きの学者だった。
そこそこ若そうだが、学者特有の落ち着きが青年を少し上に見せていた。
「ありがとうございます。
それにしても本当に質も量も豊富で、管理が行き届いていますね。
お願いしたのがとても急でしたのに、
すぐこちらのいう文献をまとめて出して頂けるなんて」
彼女は素直に関心していたが、学者は軽く首を横に振った。
「数年…6、7年前からになるでしょうか。
アリアハンが魔王討伐のため勇者を出しているので、
この国もそれを助けられる何かをしなければならないと、
陛下が国中の文献を調べるように申されたのです。
特に魔法や魔王に関する記述が少しでもあるものは、
収集してここに保管しています」
「女王様が…?」
どうやらこの学者もその頃に大々的に採用された1人らしい。
彼女は手元の本に目を落とした。
ちなみにそれは古い魔法書だった。
彼女がその本を右側に積むのを見て、学者が問う。
「気になるものはありましたか?」
問われて彼女は数冊取り出す。
「この辺りが」
言いながら、覚えていたページを探す。
開かれたページには擦り切れた鳥の絵が描かれている。
「ほとんど、物語として受け継がれている不死鳥の伝説です」
「不死鳥…ラーミアですね」
ラゼリアは頷く。
「ロマリアでも同じような記述を見つけました」
不死の精霊の使い。そして過去の魔王。
ストロフィスがエルフの女王から聞いたことを、彼女は歴史的な事実としてではなく、
風化された物語の中でその記述を見つけていた。
ロマリアとイシスで見つけたのは、お互い「似たような伝承」ではなく、ほぼ同じ内容であった。
「ラーミアと呼ばれる不死の鳥が魔王と渡り合い、その魂が砕け散ったと…」
学者は物語の流れを口にした。
それだけ聞けば取り立てて何ということはない物語である。
しかしそれがエルフを含め幾つもの国に伝わっているというのはどういうことなのか。
「これがどうやら、史実を基にしているようなのです」
彼女の言葉に学者は少し驚いたようだったが、馬鹿にしたりはしなかった。
彼が特に口を挟まなかったので彼女は続ける。
「不死鳥が、死んだのではなく砕けた、という表現が気になるのです。
この話の魔王が、今の魔王と関係あるかどうかは解りませんが
何か手がかりにはなるかもしれないので、もう少し詳しく知りたと思いまして」
彼女が言い終わると学者は開いた本を手に取った。
タイトルを確認して、ぱらぱらとめくる。
「私は、ここの本は一通り把握しているつもりです。
しかし、不死鳥に関する記述はここにあるものだけ…
この物語以外のものは特になかったと思います」
彼は考えながら、申し訳なさそうに言った。
ラゼリアは少し息を吐く。
期待していなかったといえば嘘になるが、そう簡単に見つかるとは思っていなかった。
しかし学者が続けた言葉は意味のあるものだった。
「ここよりも詳しいものがある書庫となると…ダーマぐらいでしょうね」
学者が出した名前はあまりにも有名な地であった。
そこには人生を変える神が奉られているという大神殿がある。
「転職の聖地ダーマですか。
ダーマは行ったことがないのですが書庫は一般でも入れるのでしょうか」
ダーマにここ以上の書庫があるというのは彼女には珍しく、初耳であった。
しかしダーマは職を変えたい者が集う場所。
新しい人生を始めるに当たって新しい知識も必要となる。
そこに膨大な書が収められているのも自然なことかもしれない。
「確か、手続きさえ踏めば入れるはずですよ」
「そうですか、ありがとうございます。
不死鳥に関する記述は、機会があればそこで探すことにします」
「お役に立ててなによりです。
あ、本はどれも持ち出し出来ないので複写用の紙をお渡ししますね」
今更ながらに思い出し、学者は足を備え付けの棚に向けた。
しかし、ふと足を止める。
書庫は本を陽射しから守るため、ほとんど窓がなかった。
それでも採光のために閲覧のスペースには窓が設けられている。
学者はその窓に目をやった。
そして口を開く。
「その昔、イシスは水源が豊富で緑豊かだったと言われています。
不死鳥が倒した魔王がいた時、この地にも凶悪な魔物が現われました。
その際、ここの地形や気候をも変えてしまうほどの
激しい戦いが繰り広げられたそうです」
突然語りだした学者の言葉に、ラゼリアは顔を上げた。
「イシスが涙降らぬ王国と呼ばれるようになったのは、
その戦いが多くの犠牲を強いるものだったため、
空すらも一生分の涙を流しきってしまったとも、
涙も魔物と共に封印してしまったからだとも言われています。
そして雨が降らなくなったと。
まぁ、それはあくまで伝説ですが…」
学者は窓から目を外し、彼女の方を向いた。
「その分野の学者仲間に言わせると気候が変わったのは確からしく
その時期が、この伝説の時期と概ね一致するようです」
そこまで来ると、ラゼリアも彼が言わんとすることが何となく解った。
軽い仕草で、続きを促す。
「事実が物語として受け継がれたのか、
事実を元に物語が作り出されたのかは解りません。
しかし、何らかの真実がどこかにはある。
きっと不死鳥の物語も真実につながっています。
あなた方が一刻も早く、魔王を倒せますように。
そしてその身の無事をお祈りします」
学者は柔らかく微笑んだ。
彼なりの、そしてこの国だからこその励まし。
それに応えるように、彼女も感謝の笑みを浮かべた。
――浅い、夢を見ていた。
光を越え、山を越え、森を越え。
更に砂の地を越えている自分。
何故そこを進んでいるのか。
そこには足跡が残っていたから。
足跡の主があちこち迷った挙句、見つけた進路を、彼は何も考えずに進んでいた。
いつしか足跡が新しくなっていて、そしてとうとうなくなった。
その代わり、靴がそこにある。
顔を上げる。
彼は足跡の主に追いついてしまっていた。
すぐ側にいるのに、何故か顔も解らないその主は、
自分を追い越そうとしている彼を見ると、そっと押し止めた。
静かに、しかし、微かな焦りを含んで。
首を横に振ると、彼よりも先に歩き出す。
彼には、何故足跡の主が躊躇いながらも歩き出すのか、さっぱり解らなかった。
――迷う理由があるならやめればいいのに。
彼には、さっぱり解らなかった。
時々揺らぐ水面の、そこに映る光のまぶしさで目を覚ました。
復興に慌しい街とは別の空間。
ストロフィスは珍しくクラムの誘いを断わり、王宮に来ていた。
文献を調べさせてもらうというラゼリアについてだった。
彼女は王宮の書庫で今も忙しく本のページをめくっているだろう。
しかし彼自身はというと、特に何をするでもなく、座り心地の良い長椅子で休んでいる。
今考えるべきことは、考えても答えの出ないことだ。
彼は再び眠る訳でもなく、目を閉じた。
軽い、足音が近付く。
彼が眠っていると思っていたのだろう。
振り向くと、黒髪の女性は少し驚いていた。
「起きて、いらしたのですね」
この国の女王は、王座に座っている時よりも幾ばくか柔らかい表情でそう呟いた。
「隣、よろしいですか?」
「オルテガ様がここにいらしたのは、魔王に繋がる情報を求めてのことでした」
特に前置きもなく女王が話し始めたのは、彼の父のことだった。
彼の方ではなく前を向き、女王は呟く。
「しかし、私はそれに何も応えることが出来なかった…」
何かしら有益な情報を与えることも、探す努力も。
イシスから協力者を出すことも、強い武具を捧げることも。
行き先すらも尋ねられなかった。
「王座の重圧に慣れぬ上、増えていく魔物に対応もできない。
その時の私には外のことを考える余裕はありませんでした」
彼女は瞳に影を落とす。
「このイシスを守ることしか頭になかったのです」
胸につかえる塊を吐き出すような言葉。
「情けないことです。
少しくらい成長したつもりだったのですが、
私はまったく変わっていませんでした」
それは謝罪だろうか。懺悔だろうか。
「アリアハンは偉大な国です。
魔物が蔓延る中、国を守る要となるあなたやオルテガ様のような方を
世界のために国外へ旅立たせるなんて…。
私は協力するどころか、あなた方の手を煩わせてしまいました。
もしこの今が、天の与えた試験ならば、私は確実に落第です」
留まる沈黙。
涼しさを提供するため人工的に作られた池の水面だけが揺れる。
「よく解らないけれど」
間をおいてストロフィスは口を開いた。
本当に解らないことばかりだった。
女王が何のために彼の隣に座っているのか。
今回の謝罪ならば、ピラミッドから帰還した際にいくらでも聞いたというのに。
彼女は何を求めているのか。
解らないが、思ったことを口に出す。
「アリアハンだってそんな大したとこじゃない。
偉大に見えるのは単にアリアハンの魔物が弱いままだったからだ」
スライムやフロッガーくらい、街の腕自慢でも追い払える。
「勇者」の旅立ち。
それだって、世界のためではない。
あくまでアリアハンのためだ。
アリアハンの名を世界に誇示するためだ。
先に立ったオルテガがどんな立派な意志を抱えていたかは解らない。
しかし、その後旅立った勇者、ストロフィスの理由はただ、そう決められたから。
お世辞でも立派とは言いがたい。
「しかしオルテガ様は本当に素晴らしい方でした。
私はオルテガ様を輩出したアリアハンという国を尊敬しています」
話題が変わったためか、先程までよりも明るい表情で彼女は語った。
そしてやっと、彼の方を真っ直ぐに見た。
「もちろん、あなたも素晴らしいです。ストロフィス」
彼女のような美女にそんなことを言われたなら、普通の男は赤面ものだろう。
しかしあまり普通ではないのか、
それとも身近な美しい僧侶が感覚を狂わせたのか、彼は違うことに気取られた。
今の言葉は適当に受け流す。
「…どこが、とは聞かないよ」
彼女が社交辞令で言っている訳ではないのは解った。
彼はついでに彼女がストロフィス個人と話すことを望んだ理由も、少し理解できた気がしたのだ。
彼女は強くなりたいと願っているのだろう。
何事にも動じない、迷わない、強い自分でありたいと願っているのだろう。
だからこそ、1つの目標に向かう「勇者」を眩しく思っているのだ。
「国を治めるっていうのは、難しいと思うよ。
国民の幸せを考えて、税のことを考えて、守りのことも考えて…。
それで迷わないなんて無理なことだし。
勇者なんか要は、魔王を倒すことだけ考えてればいいんだから。
それよりずっと、もっと単純なことだ」
その魔王がどこにいるか解らずに困ることもあるが、それは言わないでおいた。
「あの堅苦しい椅子に、ちゃんと座ってるだけでも立派なんじゃないか?
俺は、誰かの真似を頑張ってしなくてもいいと思う」
正直、アリアハンのあの王を尊敬する必要なんてないと彼は思っていた。
オルテガだって志半ばで失敗したのだから、いい例ではない。
彼は故郷に対する皮肉を言ったつもりだったが、イシスの女王は別の意に汲み取った。
「…あなたは、優しいですね」
ストロフィスはその言葉に、その後の変化に、少し驚いた。
音もなく、黒い瞳から光るものがこぼれる。
気付き、慌てたように彼女はそれを拭った。
「知っていますか?
涙降らぬ王国、というのは色々な解釈があるのですが、
王のことを指すこともあるのです。
一国の王たるもの、弱さや情で泣いてはいけないという戒めとして」
そう言って、彼女は人差し指を唇に当てた。
「だから、今のは秘密です。
見なかったことにしておいてください」
女王の小さな願いに、彼は頷いた。
それで彼女の言いたいことは終わったようだった。
彼女は王座にいる時の凛とした表情に変えた。
「魔法の鍵が少しでもあなたの、あなた方のお役に立つと良いです。
この先も、この国に出来ることがあればいつでも訊ねてください。
それがすぐ先でも、いつか平和になった後でも…」
数日後。
イシスを出て、一行は砂漠を再び歩き出す。
砂に残した足跡はすぐに風の流れに消えていく。
ラクダを引きながらストロフィスが振り返る。
イシスの空に雲が広がっていた。
皆、何かを見つけるために歩いている。
今、封じられた涙を流すことは、静かに眠る魂も許してくれるのではないだろうか。
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