――その夜はあまりにも長かった。



レマージュ兄妹の長い夜 ―前編・黒く沈む暮夜―



 ユーザ帝国の西に位置するカルベルシュ領。
 その北東部、すなわち帝国自治領と帝国属国のバルジス王国に近接する街に、
 聖アストライア第2学園は存在する。
 消灯時間間際の寮の窓には、ぎりぎりまで明かりを使おうと言う生徒たちの影が映っていた。
 明かりが点いている窓の1つ、男子寮北棟の314号室も例外ではない。

「……レマージュ。何度言わせるんだ」
「え?」

 アスィード・レマージュは友人の言葉に意外そうな声を上げた。
 淡い金髪に大きな紫色の瞳、
 18歳になろうかというのにも関わらず未だに性別を誤られる美少女顔の少年である。

「いいか?これは手紙なんだ。
 日記じゃないんだから、こんな細かく書く必要がない」
「でも、僕としては出来るだけ…」

 手紙、と呼んだその紙にはびっしりと文字が並んでいる。

「読み難いだろ。この辺は省略。
 何段目で躓いたかなんてシャレオちゃんは知りたくないだろ?」

 目の前にある十数枚の紙の内1枚をぺしっと叩きながら言う。
 ただ、指摘されている本人としてはあまり心に響かない。

「そうかな…ってウェル。
 僕の妹を馴れ馴れしく呼ばないでくれ」

 アスィードはウェル――ウェルスト・トゥアトスに厳しい口調で言った。
 くすんだ赤毛に切れ長で濃い灰色の瞳、長身に整った顔立ちの彼は、
 アスィードとは逆に十代とは思えない様な艶のある少年だ。

「はいはい」

 もう何度目になるか分からないやり取り。
 ウェルストは妹を愛し過ぎる彼を慣れた様にあしらうと、再び紙束を指さす。

「後、いい加減お前の今日の食事の内容を書くのを止めろ。
 俺が受け取る側だったらこの辺でもう捨てるぞ。
 …て言うか、そもそももう終業式なんだけど。
 長期連休は当たり前だけど帰るんだろ?
 数日後には会うのに何で手紙が必要なんだよ…」
「毎日欠かさず送ってるものが来なくなったら、シャレオが戸惑うだろ」

 多分現在進行形で戸惑ってるぞ、と呟いている友人の言葉など耳には入らない。

「ほら、こっちが細かく書けば、
 向こうも細かく書こうって気になるかもしれないじゃないか。
 …なんでも今は魔法を教わってるとかで、心配なんだ」

 自分の書いた手紙は添削してもらっているが、妹から来た手紙はもちろん見せてなどいない。
 初耳だった学友は、ふと真面目な顔をして首を傾げた。

「魔法?今時珍しいな」
「なんでも、自称魔法使いとかいう老人が街に来ていて、
 子供を中心に魔法を教え始めたらしい。
 その中でもシャレオは才能があるとか言われて、夢中みたいなんだ」
「自称、な。詐欺とかじゃないと良いけど。
 子供なら、手品だって魔法使いに見えるもんだからな」
「やっぱり胡散臭く思うよな…。
 シャレオはそんな子供騙しに惑わされはしないとは思うんだけど。
 本物だったとしたらそれはそれで魔法なんて危険だろうし」

 帝国での魔法の衰退は著しい。
 他国、特に魔法王国と呼ばれるアルフガナあたりではいまだ受け継がれている技術らしいが、
 この国ではもはや物語の世界の話になりつつある。
 物語では杖を一振りすると炎が現れたり、
 池が凍りついたりいう描写で描かれはするが、
 一昔前は戦争の道具としての意味合いが強かったものだ。
 内戦も久しい現在帝国で魔法が現役なのは、
 魔物やならず者と日々渡り歩く傭兵たちの一部の現場くらいだろうか。
 なんにしてもあまり平和な印象はない。

「とにかく、シャレオが近況を伝えてくれるようにしたくて…」

 そこまで口にした台詞は、廊下をどたどたと走る音で中断された。





「アスィード・レマージュ!」

 扉前で呼びかける事もせずに部屋に駆け込んで来たのは2人の担任教師だった。
 何事かと構えていたアスィードと目が合うと、教師は勢いのまま告げる。

「君の…君のご両親が、亡くなられた!」

 あまりにも唐突な事で、言葉の意味が解らなかった。
 しかしながら、あまりにも単純な文法はあっという間に脳に浸透する。
 その瞬間、音を立てて全身の血の気が引いた。

「え…」

 咄嗟に出たのはその小さな言葉だけだった。

「早馬が着て、速達が…!」

 教師も突然の事で狼狽えており、思いついた単語から話しているようだった。
 これに書いてあってと、手にした1枚の紙を指し示す。

「君の叔父上から、葬儀の準備――が。今…」
「っ…!?」

 アスィードは無意識に担任が持っていた手紙を引ったくっていた。

 文面は簡潔だった。
 学園の名前とアスィードの名前。
 寮の部屋番号などは記載されていない。
 送り主の叔父はそこまでは知らなかったはずである。
 両親の名前。死亡した旨。原因は強盗の強靭。葬儀の日付。
 そして送り主の叔父の名前。
 明らかに女性的な優美さで綴られた本文に署名だけ荒っぽい筆跡の所をみると、叔母の代筆であろう事。
 そこまで理解した時点では随分冷静に考えられていたと思う。

 だがやはり、突然に目の前が真っ黒に塗り替わった。

――父さんと母さんが死んだ…。

 先ほど引いた血がまったく巡っている気がしない。
 身体はふらりと後方に傾く。
 いっそ意識を手放そうかと思った所で、肩をしっかりと支えられた。

「ちょっと持ちこたえろ」

 頭の上からした声に、一拍後れてそれがウェルストだと気付いた。
 同室の友人はアスィードが握りしめていた手紙をざっと見て、同情でも励ましでもなく淡々と告げた。

「シャレオちゃんの事が書いてない」

 その台詞は彼を覚醒させるのに充分だった。
 思わず何も書いてない手紙の裏まで確認する。
 毎日のように手紙を送っていた相手。
 嫌でも自分の部屋番号を知っていた者がいたはずなのに。
 何度見てもそこには妹の名も妹が知っているはずの情報も載っていない。

「…シャレオは!?シャレオは無事なんですか!?」
「シャ…!?」

 当たり前だが、そもそも生徒一人一人の家族構成など把握しているはずもない教師は、
 何を問われているか解らず、固まってしまった。

「レマージュの妹」
「いも…あぁ。いや、私もそこに書いてある範囲の事しか…」

 ウェルストが注釈を入れるが、もちろん教師もアスィード以上の事を知る由もない。
 首を横に振る教師を押し退けるように扉から出ると、彼は廊下を駆け出した。

「お、おい…!どこに!?」

 焦った教師の叫びと、騒ぎを気にして扉を開けている同級生達の戸惑いを背に、がむしゃらに走っていた。





 明かりもない馬屋の前でアスィードは派手な音を立てていた。
 押しても引いても動かない馬屋の扉を左右に動かそうと試みているせいだ。

「あぁ!もう、何で開いてないんだ!?」
「鍵がかかってるからに決まってんだろ。ほら」

 暗がりから聞こえた声と伴に放った銀の鍵が、放物線を描きアスィードの手に落ちる。

「何で君が持ってるんだ?」
「借りてきたんだよ。当たり前だろ」

 アスィードは何か言おうと思ったがそれどころではない事を思い出し、
 とにかく鍵を開けて馬屋に飛び込んだ。
 1番手前にいた栗毛の馬に無理やり手綱を付けて引っ張るが、彼の焦りが伝わってか馬は嫌がっていた。
 深夜の来訪者達に馬は興奮気味だ。
 そんな中、馬と格闘している彼の後ろをウェルストが通り過ぎた。
 彼は体躯の良い黒毛の馬に鞍を着けて外に出し、再び馬屋に戻ってくる。

「無理なのは解ってるけどちょっとは落ち着け。
 遠乗りに向いてる馬じゃなくていい。
 どうせ領都までの距離を走らせられる馬なんていない」
「でももう遅いし、馬車も走ってない…!」
「そんなもんで行く訳ねぇだろ。貸馬屋で乗り継いでいく。
 ここから領都ならそこそこの街があるから夜中でも借りれる」

 なんだか解らない顔をしているアスィードにウェルストは続けた。

「経路は頭に入ってるから、はぐれない様についてこいよ」

 そこでようやく理性が戻ってきた。
 一通りの台詞から、友人の行動を推察する。

「ウェル、一緒に来てくれるの?」

 その問いに、当たり前だと言わんばかりの溜息を吐かれた。

「お前、顔真っ白だぞ。
 そんな顔色の奴、独りで外に出せねぇよ」

 その言葉を聞いた瞬間、少しの安堵が胸を過り、
 衝撃が大きすぎて忘れていた涙が溢れそうになる。

「明後日の終業式を含めて俺らの欠席は伝えといたから。
 状況把握できたら休みの間に報告だけ入れとけよ」

 アスィードから栗毛の馬の手綱をもぎ取り、換わりに荷物の一部を押し付けた。

「後、制服持ってきたから着替えろ」
「え?」
「その格好のまま行く気か?」

 きっちり身支度を整えた気が利く友人に指さされた彼は、愛らしい縦縞の入った寝間着姿だった。





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