――月は毎日同じように隣りにいて
     光は決して私を見捨てはしない



欠けてゆく月 輝かない光
   ―後編―



 彼女らが襲われた位置や山と森の状況からアジトの位置を検討付けてファイとレタリスは森に入った。

 日も沈みかけた頃、盗賊団の1人の姿が見えた。
 片手に袋を持ち、何やら足下を見ている。
 夕飯に使う山菜でも探しているようだ。
「単独で行動はしてないだろう。撃て。見えない奴らを誘き出す」
「わかった」
 彼女が弓を構える。
 そしてその彼女の表情にファイは一瞬見入った。
 レタリスの鋭く標的を見つめる姿は、信じられないほど先刻までと別人だった。
 例えるならば、それはあたかも月――同じもののはずなのに、まったく違うものを見ているような不思議な感覚。
 確かに今彼女に影が射したのだ。
 彼女の手から離れた矢は寸分違わず標的ののどを射抜く。
 声も上げることなくその場に伏した。
 異常を察した他の盗賊たちが2人左右の茂みから飛び出して来る。
「お前は右だ」
「うん」
 2人の盗賊が侵入者の存在に気付く。
 それと同時にレタリスの矢は右側の男の左眼から頭部に突き刺さった。
 そして、彼女がファイの方を向いた時には、左側の男の血液が首筋の傷から吹き出ていくところだった。
 返り血すら浴びに彼は剣を鞘に収めている。
「わぁ、ファイって足速いね」
 先刻の鋭い表情が嘘のように嬉しそうに話すレタリスを促して、ファイは更に山奥へと進んで行った。

 しばらくすると木々の密度が低い場所に出た。
 切り口の新しい切り株が乱立している。どうやらアジトが近いらしい。
 注意深く見渡すと大きい木の上に見張り台が造ってある。
 1人の姿が確認できる。
 そして、交代に来たらしいもう1人が見張り台に近づいて来る。
「どっちか1人、喋れるように仕留めろ」
「うん。じゃ、下の方」
 そう言うと、弓を引き矢を放つ。
 見張り台の男の胸に刺さり、男は唖然とそれを見つめた。
 続けざまに放たれた矢は顔面に刺さり、男は見張り台から落ちる。
 落ちてきた仲間に驚き背を向けて逃げ出そうとした男に、レタリスは素早く自動小型弓を向け、その引き金を引く。
 飛距離はないものの、この弓の長所は狙いを定める時間が少ない事だ。
 3歩も進まないうちに男の太腿辺りに突き刺さる。
 男は止まらず走り続けようとしたが、
「うわぁ!?」
 突然倒れた。
「矢先に即効性のある痺れ薬を塗っておいたの」
 意外と抜け目のない事をする…。
 倒れた男に2人が近づく。
「盗賊団の人数と人質の居場所は?」
 ファイは男の首に剣を突きつけて訊いた。
「はっ、そんな脅しで言うとでも…」
 男は顔面蒼白になりながらも強気な口調で言った。
「ならもういらない」
 ファイの剣があっさりと盗賊の首に浅く刺さった。
「ひぃっ…じゅ、12人だ!人質は1階の…奥の方の部屋!」
 そしてあっさりと吐いた。
「はい、ご苦労様」
 その男の口にレタリスが何かを放り込んだ。
 思わず飲み込むと、男は途端に眠り込んだ。
「手術の時とかに使う強力な睡眠薬。2,3日は眼を覚まさないよ」
 その男はその辺りの木に適当に縛っておいた。



 見張り台の奥は急勾配の斜面になっており、そこに木々と布を組み合わせただけの簡単な、しかし2階建ての建物が建っている。
 1階には扉が2つあり、手前は開いている。梯子が掛けてあり、2階には1つの扉がみえる。
 建物の外に3人の姿が確認できた。
「今まで5人に会って、あそこに3人だから…後4人が建物の中だね」
 男達は見張りの仲間が殺られた事も知らず、のんびりと飲み物を片手に雑談している。
 そもそもこの盗賊団、自警団もないような抵抗力のない田舎ばかりを狙うのが手口なのでこんなにも危機感がないのだろう。
「1階の奥の部屋に人質がいるって言ってたし…手前の部屋には誰もいないから、後は2階だね」
「ここで見てても仕方ない。外の奴ら一気に殺る」
「人質を盾にされたら?」
「その時はその時だ」
 かなり大雑把である…。
 2人は3人に注意を払いつつ建物に近づいた。
 次の瞬間、1人の男の側頭部に矢が突き刺さっていた。
 何が起こっているのか解らないまま呆気に取られていた男の頚動脈が切断されている。
 最後の1人だけは何とか声を上げられた。
「うわあぁぁぁ!!」
 それでも何の抵抗も出来ないまま、自分の血液の大半とこの世に別れを告げる。
「おい、何事だ!?」
 叫び声に驚いて、2階にいた盗賊が声を上げた。
「残りを仕留める。お前は村の奴等を何とかしとけ」
 相変わらず吹き出す血とは無関係にも見えるファイはレタリスに言った。
 レタリスは頷くと扉の方へ向かった。そして、慎重に鍵すら付いていない扉を開ける。
 部屋の隅にお互いしがみ付く少女が2人いる。
 扉が開いた瞬間、2人とも体を強張らせながら開く扉の方を見た。
「クラン、リクシィ。大丈夫?」
 レタリスはそう言うと、2人の方へ近づいた。
「来ないで!…何独りで助かってるのよ!?」
 少女が突然ヒステリックに叫んだ。
 思わずレタリスはきょとんとする。
「あんたが帰って来たせいよ…!あんたのせいよ!」
 もちろんそんな事に何の因果関係もない。
 しかし、何かのせいにしなければ気がすまないとでも言うように叫び続ける。
 すると今度はもう1人の少女が何とかといった感じで口を開いた。
「ミ…ミルハが…ミルハ、ころ…殺された、の」
 そう切れ切れに怯えた声で呟いた。
「く、口ごたえ、して…、怒っ、て…、れで…それで…」



「何だてめぇ!?」
 2階にいた盗賊の1人はファイの姿と左手に持つ剣を見てすぐさま、大したことない高さを飛び降りた。
 一瞬の浮遊感に耐え着地し、襲撃者に襲い掛かろうとしたその時、その襲撃者の姿が見えない事に気が付いた。
 そして、自分の視界が傾いて霞んでいる事を。
 しかし、自分が飛んでいる時に移動していた襲撃者が、自分の隣で剣を振っていた事には気付けなかった。
「か、頭ぁ!!な、へ、変な奴がぁ!!」
 仲間の首から吹き出る大量の血に驚いて梯子の上にいた男が部屋の方に助けを求めた。
 ファイは事切れている男の短剣を拾うと、軽い助走と共に跳躍した。
 梯子に1度足を掛けると2階へ一気に跳んだ。
 そしてそのままの勢いで短剣を部屋の方に駆け込もうとしていた男の左胸に突き刺した。
 動きが止まる。
 邪魔だと言わんばかりにその男を押しのけると、男の体が地面に叩きつけられる。
「貴様何者だ!?し、下の奴らは何をやって…!」
 部屋の中には2人の男がいて、1人は自動小型弓をファイに向けていた。
 ファイがかまわず剣を握りなおすと、盗賊はその引き金を引いた。
 至近距離で放たれた矢を体を傾けるだけでかわして、間合いを詰める。
 慌てて盗賊が弓をファイの方へ投げつけた。
 避ける為に体勢を低くしたので首筋は狙わず、脇腹を斬る。
「ひぃっ!」
 斬られた男が搾り出すような声を出しているその時、後ろの男がファイに剣を振り下ろしていた。
 ファイは一旦後ろに跳び退いてから、その男に攻撃を仕掛けようとした。
 男はファイが床を蹴った瞬間、自分の脇腹を見て放心していた男をファイの方へ突き飛ばした。
「そんな、お頭…!」
 薄暗い室内でその速過ぎる剣閃は光のように尾を引く。
 今出来たばかりの死体を避けてファイは再びお頭と呼ばれた男に近づいた。
 それを見て男は苦い顔で後ずさった。
「聞いたことがあるぞ…ギルドの“閃光”…。
 1年か…もっと前、直轄領西方を牛耳ってた“毒蜘蛛”を独りで潰したっていう…」
 ファイは何も言わず、更に一歩前へ出た。
「くそっ!」
 頭は毒づくと、壁に体当たりして1階へ飛び降りた。
 そして、着地したそこにはちょうど、泣き喚く友人達を前に部屋に入って良いものか考えていたレタリスがいた。
 すぐに、頭はレタリスに近づく。
 レタリスは一瞬部屋の方を見てから、大人しく捕まった。
 後ろで1つに括った髪を掴れ、持ち上げられる。
「はっ!最後の最後で運が向いてきたぜ!」
 頭は心底嬉しそうに言うと、降りて来たファイへ剣を付き付けたレタリスを見せつけた。
「さぁ、閃光!武器を捨てろ!」
 高らかに叫ぶ。
「何で…?」
 何の動揺もない声で返す。
「な、何って…この女殺されても良いのか!?」
「殺られんのはてめぇだよ」
 その瞬間男の手元が軽くなる。
 頭の腕の先にレタリスはいなかった。
 彼女は男が握っていた髪を自分の矢で切ったのだ。
 重力に任せ、尻もちをつく格好で地面に落ちる前に、彼女はその矢を頭の脹脛に突き刺した。
 頭が平衡を崩す。
 たんっ、と踏出す音がした瞬間、
「あ…」
 鈍く光る刀身を見たのが最期、男の意識は永遠に閉ざされた。



 アジトの裏手に彼女はいた。
 見ただけでは死因が分からない。
 良い死に方ではなかったのだけは一目瞭然だが。
「ミルハ…」
 かつて友だったものを前に彼女の声に何の感情も含まれてはいなかった。
「やっぱり涙、出ない…なぁ」
 誰に言うともなくレタリスが呟く。
「たくさん人を殺しても、患者さんが死んでも、友達が死んでも、母さんが死んでも…」
 言葉を切って振り返る。後ろにいたファイと眼が合った。
「悲しいとか解らないの…涙、出るはずなのに」
 懺悔のようにただ、呟く。
 彼はそれに対して彼は慰めるわけでもなく、問い掛けた。
「…解りたいのか?」
 彼の言葉に、彼女は一瞬驚いたようだった。
 そして曖昧な笑みを浮かべる。
「どうだろう…それも解らないや…」
 真っ赤な返り血と月光を浴びた彼女はとても美しく、しかしそれ故に空っぽだった。



 うるさいので取り敢えず薬で眠らせた村娘と物言わぬ少女を運んで、ファイの仕事は完了した。
 村に戻ってしばらくすると何人かの村人が集まった村長宅の応接間に呼ばれた。
「全員でなかったのは非常に残念だが、仕方ない。礼を言っておく…これが報酬だ」
 村長はそう言ってファイに皮袋に入った貨幣を渡した。
 ファイは中身を確認する。
「今日中にという契約だったから苦労したんだ。村中の金を掻き集めてだな…」
 何故か村長は恩着せがましく言葉を続けていた。
 そこに、
「足りない」
 ファイが唐突に声を発した。
「え…?」
 思わず村長の言葉が止まる。
「契約書…帝国金貨って書いてあるだろ。
 ミフェスト領の金貨の質は帝国内でも最低だ。現在2倍程度の価値の差があったはずだ」
 村長の顔から一気に血の気が引いた。
「あ…た、確かに…。で、でもこれの倍払えというのか?
 金貨の質が低いというのはここの生活水準が低いということでだな…」
「承諾した契約書に書いてあった事だ。金で払えないなら等価値のもので払ってもらう」
 あっさり言い放つ。
「等価値と言われても…土地でもこれほどのものは…」
 村長がしどろもどろに言い訳をする。
 ファイは視線を部屋に巡らせて、目的のものを捜した。
 ちょうどお茶を持って扉から入ってきたところだった。
「こいつ、もらってく」
 彼は隣を通ったレタリスの腕を掴んで、引き寄せた。
「はぁ?」
 村長と村人達は一瞬意味が解らず疑問符を口にした。
 レタリスはファイの顔を見ただけだった。
「報酬以上の価値はあるだろ」
 その場にいた全員が息を飲むような気配がする。
 そして、その事に関してはその場の誰も反論しなかった。
 若く美しいレタリスは誰の眼から見ても高く売れそうだった。
「む、娘に身売りをしろとい、言うのか!?」
 大声でファイに詰め寄った村長の焦り方は父親として焦りなのか、金蔓を失う事の焦りなのかどうかは解らなかった。
「娘には婚約の話も…!」
 しつこく喋る村長を無視してファイが言う。
「本人の同意があれば罪にはならない」
 福祉や人権問題に重点をおいた政治をした前皇帝、マクル=カル=セドニー時代に成立した人身売買に関する法律だ。
 本来ならば全面禁止が理想だったようだが、身売りによって生計を賄う人口が少なくないと言う事実に
“本人の同意なしに”とつけたした。
 父親が娘の方を見る。その場にいる他の人々も彼女を見る。
「じゃあね。父さん」
 彼女はいつもの微笑を浮かべ、実に爽やかに言ってのけた。



 簡単に身支度を済ませ、部屋の前で止めようと待ち構える父親を避け、
窓から出てきたレタリスと玄関から出てきたファイは村外れ――彼らが出会った場所で合流した。
「賞金はどうなるの?」
「今日の仕事は予定通りだった。明日の朝にでも調査員が入って口座に支払われる」
「そっか…」
 彼女はそう言うと何となく村のほうを振り返った。
「ねぇ、ファイ、訊いていい?」
 ファイがレタリスを見る。
「あそこに…私の居場所ってあったのかな?私を…私自身を必要としてくれた人っていたのかな?」
 彼女の問いに彼はいつも通りの抑揚のない声で答える。
「そんなことはどうでもいい。レタリス、お前はもう俺のものだ」
 その言葉にレタリスはにっこりと微笑み、大きく頷く。
 そして、今初めて出ていることに気付いたかのようにはっと上を向いた。
 空に浮かぶ月は先刻と変わらない。
 空に浮かぶ月に照らされる彼女の横顔は今までとまた違って見える。
 彼女がそれから村を振り返ることは無かった。



 その後、閃光の名が出れば、同時に弦月と言う女性をも連想されるようになるまで1年もかからなかったらしい。





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