――月は毎日同じ表情ではいてくれず
光は決して私を導いたりはしない
欠けてゆく月 輝かない光
―前編―
鬱蒼とした広い森。
帝国の東北部に位置するこの森の奥には、かつて鉄鉱石の産地として栄えた町が在った。
しかしさらに大規模なものが帝都近辺で発見され、すっかり寂れて小さな村が残るのみ。
「私の名前はレタリス。あなたの名前は?」
寂れた村に不似合いな、麗しい女性が人懐っこい笑顔で訊いて来た。
濃紺の眼と後ろで束ねた長い金髪。服装は動きやすそうなもので、左手に弓を携えている。
「…ファイだ」
前に立つ男性はその女性とは正反対の無愛想さで答えた。
茶色い眼とくすんだ茶髪。背が高く、腰には中型の剣。そのいでたちは旅人のものである。
2人はまだ少年少女で通る年代ではあったが、その雰囲気が彼らを大人びて見せる。
レタリスは彼の剣を見て尋ねる。
「ファイは剣士なの?」
とてもにこやかに。
彼女はどんな状況でも、どんな相手にでも笑顔を向ける事が出来る。
「傭兵だ、ギルドの」
そっけない。
世のすべてに興味の無い彼は、何事にも無関心で、無感動でいられる。
彼と彼女はある意味、決して噛み合うはずのない存在だった。
この村には宿が無い。
弓をかたづけて彼女は自分の家の客間に彼を通した。
彼女は村長である父親と2人暮らしである。
「ついこの前までは帝都にいたのよ。帝国立医学院の寮に入っていたの」
帝国立医学院は医学学校の中でも最高峰で、そこを出た者は一生を保証されるようなものだと言われている。
実際、皇族や貴族の専属医師はほとんどそこの卒業生だ。
しかし同時に国内最難関で、入学の際に年齢規制がないにもかかわらず新入生の平均年齢は大体20代後半。
卒業出来るのにかかる日数は短くとも5年だと言われている。
「そこの卒業生がこんなところで弓射ってんのか?」
「えっとね…結婚しろって。お金持ちと」
確かに彼女は容姿、学歴ともにどこに出しても申し分ないだろう。
「医者の方が金入るだろ」
「ん、何かすぐ欲しいみたい。恋人の人にたくさん贈り物をしなきゃならないから。
しばらくいない間に家、随分貧乏になっちゃって」
と軽く言う。
本当に解っているのかいないのか。
「あ、そーだ。明日ね、苺摘みに行くの。お友達に誘われて」
にっこり微笑む。
「帰って来たら、苺を使ったお菓子作るから食べてってね」
そして次の日。
彼女達が森へ出掛けた直後、文を結わえた矢がこの村に突き刺さる。
朝早く、村の少女4人が苺摘みに森へと入っていく。
目的の野苺を見つけた彼女達は手にした篭に苺を入れていく。
「レタリーとこうやって過ごすのも、本当に久しぶりよね」
「4年だっけ?帝都に行ってたのって」
「うん。13歳からだから」
「でも帰って来たって事は、しばらくここにいるんでしょ?」
その問いに答えようとした時、レタリスの動きが止まった。
「どうかしたの?レタリー」
1人の少女、ミルハがそんな彼女に声を掛ける。
「嫌な感じがする…」
レタリスはそう呟き、そしてはっと友人達を振り返った。
「私達…!」
囲まれてる、と叫ぶ必要はなかった。
5人の男達が茂みから飛び出してきたのだ。
「何っ!?」
「きゃあ!!」
何が起こっているのか解らない彼女達を男達は無理やり森の奥へと引きずって行く。
あっという間に2人の少女がさらわれた。
「こいつぁ上玉だぜ!!」
レタリスを後ろから羽交い絞めにした男は歓喜の声を上げた。
レタリスは精一杯抵抗して、そして体の力を抜いた。
すると抵抗した分だけ隙間ができ、そこからすり抜ける。
「あ…っ!」
浮かれていた男は予想外の行動に驚いて平衡を崩した。
「おい!何やって…」
誰も捕らえていなかった男が慌てて駆け寄る前に、レタリスはすり抜けてしゃがんだバネを利用して、
足下のふらついた男の鳩尾に頭突きを喰らわした。
「ぐっ!?」
男が両手で腹部を抱え込む。
彼女は素早く体勢を整えると、そのままの勢いで折れ曲がった男の首に踵を落とした。
今度は何の声も上げられないまま男が地に伏した。
「こっ、こいつぅ!!」
駆け寄ってきた男が腰の長剣を抜いた。
「こいつが目に…」
ミルハを捕まえている男も短剣を彼女に突きつけてその行動を抑制しようとした。
しかしレタリスは躊躇わず、一気に間合いを詰めると男の短剣を蹴り飛ばした。
「ミルハ!逃げて!」
すぐに長剣の男に襲われて、レタリスは叫んだ。
ミルハは動けなかった。
ただの村娘には怯んだとはいえ、大人の男の腕を解く事は出来なかったのだ。
ミルハを荷物のように抱えて男は走り出した。
「ミル…!」
追いかけたその時、長剣の男が手にしていた棒を彼女に投げつけた。
一瞬隙が出来、いつの間にか意識が戻っていた男と共に木々の奥へと姿を消した。
男達はもう完全に地理を把握した森と山を走っていた。
「くそっ!あの女が一番上物だったのに!」
後ろを振り返りながら悔しげに言う。
「質はこの際後だ!目的は達した!」
男達は更に奥へと進んで行く。
村に放たれた矢文はレタリスの証言で真実のものとなった。
村の大人達が村長の家へと集まる。
文の内容は簡潔だった。
――娘達の命が惜しければ帝国から贈与された星飾りの腕輪を渡せ
引き換えの日時は明日の正午きっかりだ――
「星飾りの腕輪!?」
かつてこの村が栄えていた頃、鉄鉱石の採掘量に関して帝国から直々に表彰されたことがあったらしい。
その時村に贈られたのが星飾りの腕輪で、数々の宝石を散りばめたそれは相当な価値があったといわれている。
しかしこの話は何十年も前の事でどこまで事実なのは知る者はない。
「村に贈られたなら村長のところじゃないのか!?」
その場にいた者の目線が一点を見る。
「い、いや…ないんだ、そんなものは」
全員の視線に射られて村長は慌てて言った。
「お願いです!うちの、うちの娘が…!」
さらわれた娘の母親が縋り付く。
「ほ、本当だ!ただの噂なんだ。
う、噂じゃなかったとしても家にはない!なんなら、家捜しでもしてくれていい」
その挙動はかなり怪しかったが、気が動転している村人がそれに気づくことはなかった。
「ないものを出せと言われても…どうしようもないじゃないか」
村長はそう言い切った。
「盗賊どもがこっちの言い分を信じるものか!」
「他のもので代用は?」
「そんな高価なものこの村にある訳ないだろ!」
「何とかならないのか!?」
その場には絶望の声が響き、泣き崩れる者もいた。
そんな中、扉の側に静かに立っていたレタリスの隣にファイが現れた。
「ファイ?」
「…報酬次第なら人質くらい助けてやる」
部屋の中央にいた村長に向けられた言葉に、部屋中が沈黙に包まれた。
「契約書だ」
「私も行っていい?」
動きやすい服装に着替えて肩当てをつけたレタリスが声をかけた。
ファイは何も言わず、彼女の方に何やら薄汚れた紙を差し出した。
「指名手配盗賊団…生死は問わず?」
紙に書いてある文字を読み上げる。
文字の下には似ているのか、いないのか解らない似顔絵がいくつか載っていた。
「帝都での指名手配犯だ。壊滅させれば、賞金が入る」
そもそもこの盗賊団が塒を移動させたという情報が、彼をこんな辺鄙なところに来させた理由だった。
人質救出は思わぬ小遣い稼ぎなのだ。
「人は殺せるのか?」
彼は自動小型弓と狩りに使う通常の弓を装備している彼女に聞いた。
「人は殺したことないけど…多分出来ると思う」
特に何て事ないという感じで彼女は答える。
「…能力的には問題ないだろ」
昨日彼がレタリスに出会った時、彼女はすべての矢を的の中心に当てているところだった。
様々な距離と角度から…。
「取り敢えず敵はすべて殺すつもりで撃て。それが条件だ」
「うん、頑張る」
状況に似合わぬ微笑みと供に、彼女は歩き出した彼の後に続いた。
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