――日々奏でるのは練習曲。
いつか、いつかのその日の為に。
題目だけの練習曲
プログラム ダケノ エチュード
魔法は有限の力。
不安定な人の力。
早くから魔法に頼らない技術の向上に努めた結果、大国ユーザではどこよりも早く魔法が廃れて行った。
帝国学院の魔法研究科などはもはや魔法を学ぶ所ではなく「過去にあったもの」を研究する場となっているほど。
そんな中、帝国で唯一明確に実践魔法を残す方向で存在しているのがここ、聖アストライア第一学園魔法学科だ。
魔法王国アルフガナの学園と違って、魔法を使用する能力がある者しか入れない特殊学科であり、
魔法使いと言う絶滅種を保護する場所になっている。
とは言うもののその実態は、魔法をアストライア教として確保する為だけの制度だ。
「学科」などと名は付いてはいるが、魔法を使える者を募り、普通科の授業に加え研究や実践に自由に使える時間を与えるだけ。
一旦入学さえしてしまえば自動的に神殿などに就職出来るとあって、真面目に授業に取り組まない者も多い。
終業の鐘が響き、選択科目の講義時間の終わりを告げる。
聖アストライア学園唯一の魔法学科学級の教室の扉を潜ってティート・エルビエスは足を止めた。
彼女の鮮やかな青い瞳は、本来彼女の席である椅子に座る人影を捉える。
「ああ、ごめん。席借りてた」
学友の1人、ユージン・ターランドが彼女に気付いて腰を浮かせた。
「構わないわよ」
ティートは左に束ねた緩く波打つ黒髪を揺らしながら応える。
そうは言っても彼は別の空席から椅子を引き寄せ座り直した。
彼女の後ろの席のアイルナ・カンザスとの話がまだ終わらないのだろう。
自分の席が空いたので腰掛けつつも、2人が囲んでいるものを覗いてみる。
手書きの地図に、なにやら文字や動物の様な絵がたくさん書き込まれている。
「ん?」
こちらの行動に気付いて、アイルナは顔を上げた。
彼女は光を浴びると黒に近い茶色だと言う事が解る髪の下からその緑の瞳を覗かせた。
今日も変わらず、額をすっかり隠す前髪や2つにくくった髪型も相まって3、4歳は幼く見える。
常にかけている分厚い眼鏡を外せば、もっと下に見えるかもしれない。
「アイルナ、また研究旅行?」
大きい文字で色々と書き込みを続ける彼女に問い掛ける。
視力が極端に悪いと言う彼女は、小さすぎると自分の書いた文字すら判別がつかないらしい。
きりの良い所で彼女は筆を置いた。
「うん、短い休みでも活用しないともったいないから」
にこりと笑う彼女を見て、ティートは新たな地図を作製しているユージンの方を向く。
柔らかそうな茶色い髪の彼は歳に似合わない穏やかな雰囲気を纏っている。
「ユージンも大変ね」
「僕が好きで付き合ってるだけだから」
黒い瞳を優しげに細めて、彼はアイルナと頷き合った。
この2人の関係も不思議だなとふと思う。
一見思い人にでも向ける様な言葉に聞こえるが、艶めいた気配は一切ない。
同郷だと言う2人はきっと幼馴染なのだろうから、家族に近い感覚なのかもしれない。
ぼんやりとそんな事を考えていると、今度はアイルナが問い掛ける。
「ティートもまた聞き込み?」
2年目の付き合いになる友人は、彼女の休日の過ごし方を知っている。
「短い休みは活用しないと、でしょ」
ティートは少し笑みを浮かべて先刻のアイルナの言葉を復唱した。
釣られたように彼女も微笑み、質問を続ける。
「何か手掛かりはあった?」
「…いえ」
何の進展も得られていない手前、見栄を張る事も出来ない。
「そっか。ホントに良いの?
出かけるついでに私も協力出来ると思うけど」
「大丈夫。こっちの事は気にしないで」
正直色々な情報が欲しい所だが、探し人を告げる訳にはいかない。
知られたくない、と言う訳ではない。
それによって友人達が何か事件に巻き込まれる可能性もあるからだ。
彼女の探し人は真っ当な肩書ではない。
「もし気が変わったら声を掛けて」
好意を断られても、アイルナは気を悪くする風ではなく、明るく告げた。
2人のやり取りを見守っていたユージンも、優しく頷く。
「ありがとう」
その気遣いに心が温かくなる。
ここへ来るまではうち解けて話をするような相手もいなかったのだ。
今は黙ってはいるが、そのうち行き詰ったら打ち明けてしまうかもしれないなとティートは自分の未来を予見した。
「それにしても今度の研究は何?
白魔法の外科医療への貢献がどうとかと言うのはもう終わった?」
思考を切り換えて再び彼女の手元に視線を落とす。
生き物の図が書き込まれた地図には、医療の気配は一切感じられない。
「そっちはまだ継続中。でもあれは協力してる形だから。
医学学院から要請があればまた行く事になると思う」
「医学学院?こないだは学園の医療施設からの協力依頼っていってなかった?」
アイルナは希少になった魔法の使い手の中でも更に珍しい白魔法を使用出来る。
瞬時に傷を回復出来るその能力は、常に周りが利用しようと躍起になっていた。
「んーと、ああ、それはまた違う話だね。
あれはどっちかって言うと美容とかに重点を置いてたから。
皺とか染みとか、あとティートみたいに顔に傷がある人とかが」
視線を彼女はティートの右頬へとやる。
ティートの頬には、鋭利なもので裂けた様な傷が斜めに走っていた。
もちろん古傷で、すっかり塞がっている。
だがその深さは決して何年掛かろうと自然に消えて行くものではない。
「わざわざその部分の皮膚を切り取って、新しい皮膚を再生させる、っていう療法。
もちろん魔法を使わないで行う治療は元々あるんだけど、
白魔法を使う事でより美しく皮膚が再生するんじゃないかって試みだよ」
彼女は何もない自分の頬を切り裂く様な仕草をする。
「でも正直、よほどの傷はともかく、
皺とか染みを消す為なんて、上層階級の道楽だしね。
貴重な白魔法をそういう方面に使用して行くのは
適切ではないって学園の方針で打ち切られたの」
すらすらと話す学友を、改めて立派だと思う。
きちんと学業を修めているだけではなく、社会貢献した上に、更に自らの足で新しい分野を常に開拓しているのだ。
到底追いつけるとも考えてないが、我が身を省みるくらいはしてしまう。
「アイルナは本当すごいわよね。
もちろんそれに付き合ってるユージンも。
私も私用にかまけてるだけじゃなくて、
ちゃんと学生の本分も果たさないといけないわ」
思わず溜息を吐いた。
講義をさぼっている訳ではないが、自主研究など求められない事を良い事に何もしていない。
しかし当の本人は首を傾げた。
「でも所詮は研究や論文だもの。
大層な表題を付けてるから立派に見えるだけだよ」
「僕に至ってはアイルナの提案を補助する形で動いてるだけだからね。
何もしてないのも同じだよ」
ユージンはそう言って謙遜するが、彼に至っては学科で唯一1年生で初級神官資格を取得している秀才だ。
左手が少々不自由らしいので身体を動かす講義は出ていないものの、それ以外は何でもこなしている。
「アイルナもユージンも、最終的に辿り着きたい境地でもあるの?」
一体どれほどの目的があれば、そこまで行きつくほどの努力が出来るのだろうか。
「んー、一番これがしたいって言うのはまだ見えないかな。
でも試したい事がいっぱいあるの。
今は何だろうね。色んな事を練習してる段階って感じ」
自分の中の何かを探すように、視線を宙に巡らせてから彼女は1人、何か納得したように頷く。
僕もそんな感じかな、とユージンもアイルナと同調した。
「で、今回は魔物について調べてるんだ」
そこでようやく、始めに示した動物の絵の話題に移った。
「魔物?また専門家が少なそうな分野に手を出しているのね」
昔は魔物と言えば驚異だったが、開拓が進んで街や村が整備されるに従って、
日常的に危険を意識する程のものでもなくなっていた。
「せっかくなら皆が知らない事を知った方が楽しいでしょ」
知的好奇心を押さえられないと言った風にアイルナが応えると、ユージンがそれに、と後を引き継ぐ。
「帝都の真ん中に居ると解らないけど、
今地方では魔物による死傷事件が急増してるんだよ」
「そうなの?いつも思うけどあなた達そんな事どうやって知っているの?」
「地方発行の新聞を取り寄せてるんだよ」
事も無げにそう告げられて、単純に驚く。
「そんな事出来るの?」
「もちろん当日には来ないけどね。
手続きを踏めば毎日郵送してもらえるよ」
「ちょっと興味はあるわ」
首都に居ながらにして他の地域の事が知れるのは、情報が少しでも欲しい身としてはとても便利だ。
思わず喰い付く。
「すぐに読むんじゃなくて良いなら回すから言ってくれたらいいよ」
「じゃあ少し読ませてもらって、興味があったら私も購読しようかしら」
そうすればいいよ、快諾されて礼を行った所で、話の腰を折った事を思い出す。
「あ、で、魔物がよく出るって話だったっけ」
「そう。おかげで最近は帝都を拠点としてる傭兵も地方出稼ぎ状態らしいよ」
「傭兵…ね」
「討伐数なんかも載せてる記事があったよね。
簡単には死なない様な珍しい魔物も出て来て、懸賞金がかかってるんだって」
アイルナがそう言って、地図に描かれた生き物を指差した。
「そういう変わった魔物を主に、
魔物の発生分布図が作れたら面白いかなってやってる所なの。
ある程度まとめられたら過去の発行物も取り寄せて、
時間経過による増加が体感ではなく実際にあるかも見たいんだけど…」
その説明を聞いて改めて地図を見ると、なるほどと納得する。
印が多い所ほど、今は危険な地域と言う事だろう。
「魔物の発生傾向とかが解る様な地図が作れたら売れそうよね。
旅行者とか行商人とかに需用がすごくありそう」
思わず現金な発想をしたが、アイルナはさほど食いついては来なかった。
「んー、確かにそうかも知れないけど、まだ考える事もいっぱいあるから。
結果を元に魔物の発生の仕組みとかそう言うのを調べて行く方向に行くか、
新種と思しき強度のある魔物を、どうやって魔法で倒すかという実践の方向に進めるか。
どっちが寄り達成の可能性や汎用性が高いか…」
根っからの研究者気質なのだろう。
お金の話なんて全く耳に残ってないように、独り言と供にと思考し始めてしまった。
いつもの事なので、現実に戻って来るようユージンが名を呼べば、ふと我に返ったようだが、
その代わりアイルナはその大きな瞳でティートの整った顔立ちをじっと見つめた。
「ティートも、学校がどうっていうよりも勿体ないとは思うよ」
「え?」
突然の事に単純な疑問符しか返せなかった。
しかし彼女はこちらの戸惑いなどお構いなしに続ける。
「せっかく魔法って言う有益な力を持ってるのに、
それを使って行こうって言う気がないんだもの」
「使うって言っても、今は有事でもないし…」
魔法が戦力として重要だった時代はもうすでに終わっている。
国家間の戦争も終えて久しいこの国で、魔法戦が行われているようなのは闘いの日々を送る傭兵達の間くらいだ。
「魔法をただの飛び道具として考えてるからだよ」
しかし彼女はちょっとだけ怒ったような表情を作った。
小柄な彼女がまっすぐ上目遣いでこちらを見ると、ますます幼い印象になる。
「例えば神話時代、何て言われるほど昔には当たり前の様に日常に魔法が溢れてたらしいよ。
空を飛んだり、建物を作ったり、新しい生き物を生み出したり、時空を操ったり…。
政治を取り仕切るのも、より高い魔力を持った人達だったとか」
「でも神話、って要はお話でしょ?」
彼女が知っている魔法は、それこそ飛び道具としての魔法しかない。
もちろん暗がりを灯すのに、火の魔法を使う、何て事もしようと思えば出来なくはないが、
それこそ構成を組んで魔力を消費するよりも、燐寸でも擦っていた方がずっと楽だ。
最近は蒸気機関何て言葉も一般人の耳に入るようになり、
いつかはそれで馬よりも速く遠くまで移動出来るようになると言う。
現代の生活は、魔法などよりも余程便利なのだ。
否定的に首を傾げたが、アイルナはまったく無からの話って逆になかなかないよ、と笑う。
「もちろんこの地に神が居て、世界を作った、何て思わないけど、
魔法が溢れていた世界だったのは確かだよ。
例え話ならもっと身近な話の方がいいかな」
ええっと、と記憶を探る。
「2、300年くらい前には、
魔法に秀でた悪魔達が世界を乗っ取ろうと大きな戦があったらしいし」
「それも、伝説でしょ」
数百年と悪魔と言う単語で十分現実離れしていて全く身近な感じがしない。
じゃあ、と更にめげずにアイルナが続ける。
「妖魔大戦は、意外と最近だよね。
発端は100年近く前なのかもしれないけど。
首謀者ゾウスは一流の魔導士で、
魔法の権威を復活させ、魔法による国づくりをして行こうって理想を掲げてたらしいよ。
まぁその工程で当時の国々を滅ぼそうとするって極端な行動に出たみたいだけど」
動機なんかの詳細はともかく、その戦争くらいはさすがに教科書に載っている範囲だ。
雷を落として街1つ壊滅させた等とさすがに誇大ではないかと言う表現で一般の歴史書にも魔法の事は書かれていた。
「50年前の混乱期だって、
ゾウス一派の生き残りだって名乗る者達が、
魔法で生み出した魔物で国を乗っ取ろうとしたりね」
「だから、いくら文化としての魔法が廃れて来たからと言っても、
魔法を学んだ事によって、国を滅ぼしてまで証明しようとしてた人達がいるほど、
魔法という力はとてつもない可能性を秘めていると言う事だよ」
アイルナの言葉をユージンが補足した。
彼女はそれに頷いて続ける。
「過去に出来ていた事が、今再現が不可能だとは思わない。
空を飛ぶと言う移動手段も、何かを生み出す事も、また一瞬で奪う事も、
壁の向こう側を知る事も、決して朽ちない命も。
それ以外のありとあらゆる人間としての願いが」
まるで、それ自体が魔法のように、強い言葉。
「ティート、あなたの魔法で叶うかも知れない」
アイルナの大きな瞳が、強い光を帯びた気がした。
いや、あるいはそれ以外が翳って見えたのか。
息の詰まるような一瞬の沈黙の後、アイルナははっと我に返る。
「ごめんね、別に真剣な話のつもりじゃなかったんだけど」
思わず真顔になったティートに彼女は謝罪した。
「遠回りな話し方、癖だよね」
隣ではユージンが苦笑している。
魔法が絡むとむきになってしまうと言う彼女は恥ずかしげに、けど話を止めなかった。
「だから、自分の希望や願いを基準に、魔法で可能かどうか追及していけば、
学問的にも有効だし、自分にも利があって良いんじゃないかと思ったの」
そう言えば話題の起点は自分の学生としての研究の話だったか。
「…そうね。確かに人捜しに役立ちそうな魔法があればいいなとは思うわ」
魔法で研究と言えば、攻撃に使用される事くらいしか考えた事がなかった。
人捜し、なんて漠然とした魔法はなかったとしても、移動手段に仕える魔法や、
離れた人に情報を伝える魔法、何てものが使用出来たなら、彼女の目的の達成にも繋がるだろう。
「興味持ってくれた?」
アイルナは目をきらきらと輝かせた。
どうやら、彼女が求めていた方向にティートは流れたらしい。
「まだ手が付けられなくて理論の構成段階なんだけれども、
良かったらティートの研究の材料にしてもらえそうなのが…」
少し興奮気味に幾つもの紙束を引き出しから取り出そうとする。
しかし慌てていたのか、掴み切れなかったそれらは派手に床へと散らばった。
「っと、あー。ごめん」
アイルナとユージンがしゃがんで拾っているので、ティートも自分の近くに落ちた用紙を集める。
案の定というか、当たり前のように小難しい文字が並んでいるのが見えた。
「これ全部研究途中の題材?」
「ありがとう。うん。興味のある話題を書き出しただけのもあるけどね」
「本当、良くやるわよね」
本日何度目か解らない感嘆の溜息を吐く。
ここまで来たら研究機械だ。
彼女の中に挫折や行き詰まりはあるのだろうか。
「全部上手く行ってる訳でもないよ。
ティートが今持ってるそれなんて、国外まで足を運んで聞き取り調査とかしたけど、
学園として発表させてはもらえないみたいし。没みたいなもんだよ」
「全部没?」
一体何を書いたらそんな事になるのだろうか。
思わず中身を確認する。
「現代における邪神信仰?」
すぐに飛び込んできた文字を思わず声に出した。
人々を破滅に導くと言ったような物語の悪者くらいの印象しかない口伝まで扱うとは。
「因みにそんな重苦しいものじゃないよ。
邪神信仰って復讐とかアストライアでは否定されている死者の蘇りとか、
とにかく死に絡んだ願いを持った人たちが縋っているもの、だけどね。
でもそれって基盤となるのは「悲しみ」だよね。ちょっと寂しい信仰だよ」
しかし聖アストライア教は厳格な一神教を掲げている。
邪なる神に傾倒するような者が存在する様な書き方をすればもちろん大問題だろう。
少しでも面倒な事になる前に、なかった事にしておきたいと考えるのは体制に属する者なら当たり前の行動と言える。
「結構面白い題材だと思ったんだけどね」
1年くらい調査もしてアルフガナやサーレンまで足を運んだのに、とちょっと困ったように彼女は言った。
「今はまだ表題で左右される小手調べみたいな研究しかできないし。
生活が魔法で溢れる様な日常も、
聖なる教徒が邪なる者を語れるほどの大きな改革も、まだまだ先になりそうだよ」
分厚い眼鏡の向こうで、級友は先程までと変わらない笑みで呟いた。
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