――何気ない出会いは伏線への前奏曲
金も命も糸目はつけず
日給な前奏曲
ニッキュウ ナ プレリュード
とある街道を2人の男女が歩いている。
2人ともそこそこ大きな荷物を負い、男性の方は剣を、
女性の方は身の丈ほどの弓と小型の自動弓を携えている。
取り立てて特殊でもない、旅人の姿だ。
目を引くといえば、男性が長身である事と、女性がやたらと美人であることくらいだろうか。
街道から茂みの群が幾つか見えたところで、女性が突然歩みを止めた。
「何だ?」
男性が理由を訊いた。
女性は首を傾げて答える。
「血の匂いがする…」
「スィザナ…大丈夫?」
銀髪に髪と対照的な黒い瞳の少年が心配そうに覗き込む。
街道を少し外れた場所。
部分的に草木が茂り、道から死角になっている。
そこに座り込んでいる少女とそれを気遣う少年の姿があった。
スィザナと呼ばれたのは肩ほどで切りそろえられた茶髪に金色の瞳の少女。
「大丈夫です。私の荷物から緑の袋を出してもらえますか?」
彼女は左の二の腕を右手で押さえながら答えた。
押さえていても真っ赤な血が止まる気配はない。
少年は言われた通り袋を出す。
何度か見た事があるそれには簡単な救急用具が入っていた。
「心配しなくても良いですよ、ラクト」
そう言われても、ラクト――ラクナルトはまだ不安そうだった。
実際彼女の傷は軽いものではなかった。
鋭利なもので切り裂かれた傷口はぱっくりと開いている。
しかし、治療しようにも簡単な血止めくらいが限界だろう。
(たぶん縫わなくてはいけない…。腕、次の街に着くまでもつかしら)
まだまだ先は長いというのにこんなところで深手を負ってしまうなんて、どうしようもない失態である。
(しかも仕留めそこなった。撒いたとは思うけど、気は抜けない…)
予想以上に厳しい事態だ。彼女はラクナルトに気づかれないよう溜息を吐いた。
「すみません、その中から包帯と傷薬を…」
「大丈夫?」
唐突に澄んだ声が割って入った。
スィザナは弾かれたように振り返り、声の主を視界に入れようとした。
(怪我に気を取られていた?気配を感じなかった!)
かなりの焦りを感じながら体勢を変えたスィザナの前にいたのは、無防備な笑顔の女性だった。
予想外の登場人物に一瞬力が抜ける。
しかし、次の瞬間には思い直しラクナルトを背に庇いながら詰問した。
「何者ですか?あなた」
自分を気遣う声をかけてくれた初対面の人に対してあまりにも失礼な発言だったが、
音も気配もなく自分の背後に立った彼女をただ者だとは思えなかった。
目の前の彼女は特に気に触った風でもなく、腰に着けている小さな鞄を探った。
「一応、医者の資格を持ってるの。よかったらその傷診せてくれる?」
彼女が差し出したのは金の時計。
その文字盤は帝国公認医師の証。
そして、金が許されているのは医学の最高峰、帝国医学学院の卒業生のみである。
まさかこの様な場所で会うとは思えぬ人物だ。
予想できない展開に、スィザナは戸惑いを隠せない。
混乱したまま彼女の後ろを見るともう一人、背の高い男性がいた。
「あなた、達…何者ですか…?」
それでもスィザナはもう一度訊いた。
「私達はね、ギルドの傭兵」
優しく答えてくれる彼女は落ち着いて見るとちょっとやそっとではお目に掛かれないほどの美人だ。
外にはねた肩ほどの金髪に濃紺の瞳。背は女性にしては高い方だろう。
男性の方はその女性より頭一つ分ほど背が高く、細身。鈍い茶色の短髪、それよりは明るい茶色の瞳。
そしてその表情の読めない顔は…
「ギルドの…“閃光”!」
スィザナは思わず叫んだ。
「ファイの事を知っているの?」
女性が首を傾げた。
スィザナが何かを答える前にファイと呼ばれた男性が口を開いた。
「“片翼”だ」
女性は「あの?」とファイに問い返した。
「スィザナ…知っている人なのか?」
後ろのラクナルトが小声で訊いた。
「ギルドで…いえ、傭兵内で知らない者はいません。
“閃光”のファイ。何と言うか、まぁ、超一流の傭兵です」
少し緊張を解いた表情で答える。
傭兵として生きる者で、その存在を知らない人間はいないだろう。
長身に似合わぬ俊足。冷静。冷徹。冷酷。
傭兵の中の傭兵。それが閃光。
「一度だけ、帝都の集会で見かけた事があります」
そう短く付け足した。
1年に数度開催される帝都の傭兵ギルドの集会。
公認ギルドに在籍するには年に1度は出席の義務がある。
その時の光景を思い出し、そして美しい女性の方を見る。
「と言う事は、あなたが“弦月”のレタリス?」
今や“閃光”と聞けば思い浮かべずにはいられない名を口にした。
加えて噂通りの美しい容姿。確認するまでもないだろう。
「ええ。そう呼ばれる事もあるわ」
レタリスは彼女の方を向いて人懐っこい笑顔で答えた。
一見人畜無害な優しい美女。
しかし彼女は、寸分違わぬ精度で相手の心臓を狙い打てる射手。
敵であれば、油断など一切出来ない相手。
しかし…――
スィザナの聞いた噂によると閃光と弦月は違法性のある依頼は受けない。
違法性。すなわち「指名手配者及び正当防衛以外での殺人」。
(受けていたら私達はもう生きていませんね)
彼女は肩の力を抜いた。
「ええっと、スィザナ…ちゃん?傷治療しても良い?」
そう問われたスィザナは、今度こそありがとうございますと礼を述べた。
「それでは今、仕事は受け持っていないのですね」
「ええ」
帝国最高峰の名は伊達ではない。
手際よいレタリスの処置を受けながら、スィザナは問うた。
2人は仕事から仕事へ、転々と旅を続けているらしい。
仕上げの包帯を巻くレタリスの答えは、彼女にとって良いものだった。
それならと彼女はこの幸運に身を任せる事にした。
「突然で申し訳ないのですが、私からお2人に仕事を依頼したいのです」
「え?」
驚きの声を上げたのは頼まれた2人でなく、ラクナルトだった。
彼女はラクナルトの護衛を請け負っている。
その彼女が更に傭兵を雇うという事に動揺したのだ。
「内容と報酬は?」
それに対して驚きも感動もなくファイが単刀直入に訊ねる。
レタリスは治療を終え、自分の出番はないというように包帯をかたずけていた。
「ラクト、この子と私を目的地まで守って頂きたいのです。
道中の費用はすべて私が持ちます。報酬はそちらの言い値で構いません」
彼女はラクナルトの身元には一切触れず、要点だけを告げた。
「片翼からの護衛の依頼。しかも訳ありだからな。2人で1日毎に10枚」
ほとんど考える素振りもなく、彼は答えた。
それに倣うかのようにスィザナもまた即答する。
「解りました。では契約書を…」
彼女は荷物から紙を1枚取り出し、そこに必要な情報をさらさらと書き込んでいく。
事前に何か細かく文字が並んでいるところを見ると、契約の仕様書のようだった。
とんとん拍子に進んで行く話の展開に、ラクナルトは不安そうに彼女に身を寄せた。
「スィザナ…10枚って何が?」
「…帝国金貨です」
帝国ギルドでは帝国金貨以外が報酬に使われることはまずない。
傭兵では常識的なやり取りだったが、ラクナルトは悲鳴にも近い声を上げた。
「きっ!!毎日10枚!?帝都までまだ1ヶ月くらいかかりそうって言ってたじゃないか!?」
「はい、言ってましたけど…」
「単純に考えても金貨300だ!スィザナ、僕の護衛に前金の5枚しか貰ってないんでしょ!?」
いくら箱入り息子だったとは言え、この旅を始めて金銭感覚も身に付けてきた。
この王子様にすら金貨300枚というものがどれほどの価値があるかということくらいは解る。
「まぁ、そうなんですけど、彼らを雇うのはこれくらいが妥当で…」
「そんなの完璧にスィザナが貧乏くじ引いてるじゃないか!!?」
自分が根源なだけに何とも納得できず、少年は叫んだ。
しかし、いたって冷静に彼女は応える。
守るべき少年が何故そんなに慌てているのか、彼女には解らなかった。
「いや、いいんですよ。蓄えも多少はありますし、借りる当てもあります。
それに私は別にお金を儲けるためにやってる訳ではないので」
「あー、でも!こうなんか…何か駄目!!」
「仲良いねぇ」
暇になってファイにもたれ掛かっていたレタリスは、そんな彼女らを眺めながらのほほんと呟いた。
「では契約完了ですね」
結果的にスィザナの言い分が勝り、契約は終了した。
隣にはとてつもなく申し訳ない様子のラクナルト。
品定めをするように2人の様子を伺っている。
しかし、いくら見たところで、彼には見た目以上のことが解る訳ではなかった。
精々、ファイの武器は剣で、レタリスの武器は弓だというくらい。
「ねぇ、本当にこの2人、そんなにすごい人たちなの?」
「ええ、先程もいいましたが、ファイさんもレタリスさんも帝国ギルドの中の…」
ほんの一瞬だった。
ファイとレタリス、2人の後ろに唐突に影が現れた。
ラクナルトはその登場を決定的に遅れて理解する。
自分の護衛に傷を負わせた暗殺者。
複数で攻められたとはいえ、片翼のスィザナに手強いと認識されているその敵。
2人は振り返りすらしなかった。
閃光は、左手の剣で薙いだだけだった。
抜刀が目に映らない速さだっただけで。
弦月は、自動小型弓の引き金を引いただけだった。
狙う先を見てもいなかっただけで。
ばたっと暗殺者達の体が地に付く。
1人は血飛沫を上げながら。
1人は鋭い矢を喉に突き刺して。
更に彼女は振り返り様に引き金を引く。
向けた先の茂みからは、短い呻きと何かが倒れた音がした。
「正当防衛、かな。どう考えても違法暗殺者よね」
特に何の感慨もなく、確認程度に呟いた。
手傷を負ってなければ、息も上がっていない。
「…特級。10段階あるどの階級にも属さない特別な存在。
間違いなく、ギルド所属傭兵5万人の頂点に立つと言っても過言ではない人たちです」
第2階級のスィザナは硬直していたラクナルトに言った。
「…何かとっても運が良かったような気がしてきたよ」
帝都の郊外で屋敷を持てるほどの額も、安い気がしてきた。
そんな少年の心変わりなど知らず、弓を下ろした美女は、くるりと2人の方を向いた。
「スィザナちゃん。目的地って先刻ラクナルトくんの言ってた帝都なの?
契約書の場所は違う場所になってるけど」
契約書の一文を指し、レタリスが訊ねた。
金額や期間などの他に、目的地や目的の項目が記されている。
「…最終的には帝都なのですが、取り敢えずはそこに落ち着くつもりです」
「皇室直轄領ではあったと思うけど、あんまり聞いた事のない地名。何でここなの?」
帝都の南東部、ラケビワ。
大きな都市もない、地図上でも森や湖の記号が目立つ地域だ。
「そこが世界で一番安全な所だからです」
「世界一安全な所?」
次に問い返したのはラクナルトだった。
彼女は堂々と頷きながら、どこか誇らしげに言った。
「ラケビワのファントム…私の実家です」
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