――血に連れられて鎮魂曲
    決して止められない戦いの終わり



無題の鎮魂曲
   ムダイ ノ レクイエム



――彼はただ、今この感触を受け止めているしかなかった。あまりにも生々しい感触を…
 まるで時の流れる早さが低下してしまったかのように、現実を理解するのに時間がかかる。



 彼女と彼が出会ったのは2年前。とある屋敷での事だった。
 彼女はそこの主に宝石の警護を依頼されていて、彼はその宝石の奪回を依頼されていた。
「噂は聴いた事あるわ。“漆黒”聴きしに勝る剣士ね」
 30分ほど攻防を繰り返した後、彼女が発したのはそんな言葉だった。
「“緋色の舞姫”まさか本当にこんな女だったとはな」
 結局決着はつかなかった。
 仕事をしくじった事がなかった彼の初めての失敗。



――生温かい液体が手首を伝う。慣れたはずなのに咽たくなるような匂いが鼻を突く。
 手で顔を覆いたかったが、まだ体が言う事を利かない。



 次に会ったのはその6日後、とある街での事だった。彼女は仕事仲間を探していた。
「私と同等くらいの腕の人を探してるの。あの依頼には最低二人必要らしくて。蹴るには惜し過ぎる仕事なの」
 “緋色の舞姫”の由来とも言えるその細い赤毛を弄びながら、歳相応の笑みを浮かべて彼女は言ってきた。
「何が言いたい?」
 遠回しのしつこい誘いを断りきれず、彼は渋々同行する。
 仲間。人を頑なに拒み続けていた彼にとって初めての経験。



――何がいけなかったのか。何も悪いものなんてなかったろう。
 考えているのかいないのか、彼の頭にはそんな事が浮かぶ。



 街で会って数週間。とある宿での事だった。
「人を信じるなんて出来ないわ」
 意外な言葉に聞こえた。
 彼女がそんな意見を持っていた事にというよりも、自分と彼女に共通点が在ったと言う事に驚きを隠せなかった。
「傭兵をやっていると言うこと以外、まったく正反対だと思っていたが」
 黒い髪の彼と赤い髪の彼女。
 そう言った彼に彼女は自分の眼を指した。そして彼の眼も。
 青い眼。それが3つ目の共通点。
 彼は思わず微笑んだ。何故だかよく解らなかったが…



――長くて一瞬。視界を汚しているのは彼女の髪よりずっと濃い赤。
 それを血だと思えないのは、まだ事実を受け入れていない所為だろう。



 2人でいることも自然になって数ヶ月、とある森での出来事だった。
 舞姫の名に相応しく、彼女の二刀流の剣技は踊りのように美しかった。
 そしてその魔法の繊細さも。
「私の家系は古の時空魔法を継承しているのよ」
 時間や空間を超越できる高度な魔法だと彼女は言う。
 魔法に詳しくない彼は適当に頷いていた。
「でも、何故急にそんな事を?」
 彼の問いに、彼女は首を傾げただけだった。



――動かなかった腕が急に行動に出た。無意識の内に。
 吸い付くようにピッタリと握り締めていた剣を引き寄せる。



 初めて会ってちょうど1年。奇妙な話を耳にした。
 街の若い女性達が次々とさらわれていると言う。
 そしてその中に彼の腹違いの妹が含まれている事も。
 犯人の目星はついていた。その地に神殿を構える邪神崇拝者である。
 その集団は邪神に捧げる為の生贄を求めていたらしい。
「ひょっとして一人で行くつもりじゃないでしょうね」
 真夜中、何も告げずに外へ出ようとした彼に彼女は言った。
 大袈裟な噂を省いたとしてもそこは決して安全な場所ではない。
 狂った信者達は何を仕出かすか解らない。
 2人ほどの使い手でも得体の知れない敵に挑むのは危険極まりなかった。
「お前を危険な目に合わせたくないんだ…」
 しょうがなく彼は本音を口にした。
 彼女の存在は彼の中であまりにも大きなものになっていた。
 しかし彼女は納得してくれず、結局二人で行く事になる。



――青い眼と眼が視線を交わす。血は更に…馬鹿馬鹿しいほど噴出した。
 それでも彼女の眼は、怒りを携えてはいない。



 翌日、悪しき神殿の中で。
 生贄としてさらわれた人々を助けたまでは良かったが、結果的に2人の脱出口が塞がれた。
 罠や敵を掻い潜ってきた無理が祟ってか、彼らは魔法を駆使する信者に追い詰められていた。
 次を喰らえば、即死とは言わないが致命傷は免れない。
 信者は呪文を唱えだした。
 その時…――
「あなたは…生き延びて…!」
 その意味を理解するより現実の方が早かった。
 彼女は何かを呟いて、光の珠を浮かび上がらせると、彼の体にそれを触れさせた。
 彼の視界が歪む。そして彼は思い出した。その時の言っていた時空魔法の事を。
 確か高度な魔法で…時間や空間を超越できるが体にかかる負担の為、1日1人にかけるのが精一杯だと…。
「馬鹿…!やめ――」
 気が付いた時、彼は神殿の外。いくら経っても彼女が戻って来る事はなかった。



――優しい眼でこちらを見る。彼女の眼に現実は映っていないのだろうか。
 そして力なく倒れこんだ。



 更に一年後。とある酒場での出来事だった。
 彼と同じく2つ目の名で知られる傭兵、“閃光”と“弦月”に出会った。
 この1年、ろくに仕事もしていない彼だったが、その2人の受けた依頼内容に興味をひかれる。
「邪神崇拝者達の動きが過激になってきた、その原因を見つけ次第潰せ。だとさ」
 “閃光”は抑揚のない声で教える。何事にもあまり感情を出さないタイプらしい。
 意識をしていた訳ではない。気が付けば同行を願い出ていた。
「かまわないわよ。心強いわ」
 人懐っこい笑みを浮かべて“弦月”は言った。



――剣を捨て彼女の体を腕に抱く。
 今まで押し殺していた感情が胸の中で膨らんでいるのを感じた。



 そして今日――再び悪しき神殿で…
 恐らくその神殿で一番広いだろうその広間で彼と彼女は再会した。
 しかしその時、彼女は彼女ではなかった。邪神崇拝者達の手によって“邪神”を降臨されていた。
 彼女は器にされたのだ。
『何を言っても無駄だよ。この子の意識はもう出てくる事はないだろう』
 彼女の姿をしたそいつは言った。
「やばそうなのが出てきたな…、まぁ叩き斬れば良いだけの事か」
 至極当然のように剣を抜く“閃光”に掴みかかった彼を止めたのは“弦月”だった。
「わかっているわ。大切な人なんでしょう?」
 それに答えようとした彼の言葉は“彼女”の攻撃によって遮られた。



――何と言って良いのかすら解らなかった。
 ただ頬を熱いものが流れている。



 攻撃は広間を滅茶苦茶にしてから終わった。
 “彼女”は塵1つ被らずに立っている。
 今ので足をやられてしまった彼は瓦礫の破片を押しのけながら“彼女”を見つめていた。
 唯一無傷の“閃光”はいつの間にか、まともに攻撃を喰らった“弦月”の傍にいる。
「人に構うからそういうことになるんだ。乗っ取られているんだろ、助けようがない」
「でも…彼女の意識は死んでない、よ。…大切な人を、殺された気持ちって…」
 そう言った“弦月”に“閃光”は違和感を覚えた。
 思わず注意を“邪神”から逸らす。
 彼の耳に何となくそんな2人の会話が届く。
 その時、
『そ…んな、…そんな力が残っていたのか…』
 誰にでもなく“彼女”は呟いて、そしてその場に崩れこんだ。



「…して、殺して…、あなたを…殺すくらいなら…、殺せば“邪神”も…」
 搾り出すようなか細い声は確かに彼女のものだった。彼はその声で我に返った。
――殺せるわけない。しかし、それは彼女も同じなのだろう。
 それに、彼がここで殺されても、彼女も長くは持たないのは明らかだった。
 彼は何か思い立ったように立ち上がった。その手に剣を握り締めて。
「解った…」
 傷ついた足を引き擦りながら彼女のもとへ向かう。
『やめろ、何故…』
 必死に意識を振りほどき逃れようとするが、彼女の方が勝っていたらしい。
 彼は全ての感情を殺して身をよじる彼女を貫いた…。



――彼は、これが涙だとはっきりと意識した。



 そして、今。彼は彼女を抱きしめて泣いている。
「ごめ…ん、ね…」
 彼女は息も絶え絶えに囁いた。
「何で…何でお前が謝るんだ…」
 彼も呟くように言う。
 何かよく解らないままに事の成り行きを見ているしかなかった“閃光”と“弦月”の2人はそこで異変に気が付いた。
 建物全体が揺れている。恐らく先刻の攻撃で重要な柱が折れたのだろう。
 天井がひび割れ、落下してくる。
「崩れる…。…早く、逃げないと!」
 その警告に彼は少し顔を上げただけだった。
「もう放っておけ。逃げたきゃ逃げるだろ。お前が巻き添えを喰うぞ」
 “閃光”は“弦月”を引き擦るように連れて行った。



 そこには彼ら2人だけ。
「早く…逃げて…」
「怪我してるんだ。もう無理だよ」
 崩れる建物の騒音の中にいて、何故かお互いの声ははっきりと聞こえた。
 彼女は何かを呟いて手を彼に触れさせようとした――1年前と同じように。
「あなた…だけ、は…」
 光を宿す前に彼はその手を握り締めた。
「嫌だからな…俺だけが生き残るなんて…」
 彼女の眼に一瞬悲しそうな色が浮かぶ。
 しかしすぐに精一杯の笑みを携えて言った。
「…ごめ…ん、ね…、ほ、んと…は、私…傍に…い、て…ほし、い」
「言われなくても…。ずっといる…、ずっと…」



 激しい音を立てて全てが崩れる。
 壁に貼られていたタイルや装飾品が床に落ちる。
 全ての音がまるで鎮魂曲のように、2人を包んでいった。





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