命がけで、恋をする。
浴槽の人魚姫
赤、黄、青。
細かい光の屑達。
眼下には街の灯しが宝石のように広がっている。
更に目線を遠くにやると、光無い、黒い海が見えた。
すべて飲み込みそうな夜の海。
「君は海に帰りたいと泣かないんだね」
その声に、ぱしゃっと音を立てて彼女は窓から目を離した。
高層マンションの眺めが良い浴槽から水が溢れた。
浴室へ入って来たのは、彼女の王子様。
その彼を見上げ、彼女は首を傾げる。
「あなたはあたしを愛してくれているのではないの?」
彼が彼女を高いビルの上に連れて来た。
なのに、何故か不満げに聞こえて彼女は問い返す。
彼は頷く。
「もちろん愛しているよ。
泣いたって海に何て帰しやしない。でも…」
不安そうに続ける。
「君は声を失っている訳でも、魔女の力を借りている訳でもない。
こうも簡単に手に入ると不安なんだよ」
物語の姫君はどれも枷を嵌められている。
それ故に、悲劇に見舞われるし、幸せにもなる。
では、枷のない姫君は?
彼女に幸せな結末は訪れるのだろうか。
「人間が空に憧れたように、あたしだって陸に憧れていたわ」
彼女はそんな不安など些細な事だと言うように、視線を窓へ戻した。
「ずっと、あの海を遠くから眺めてみたかった」
散りばめられた宝石の向こうに広がる、闇色。
その色がどこまでも深く広がっている事を、彼女は誰よりも知っている。
「イカロスは太陽に近付き過ぎた為に死んだ」
彼女の王子は不安を隠しきれない。
それでも海から来た姫君は妖艶な笑みを浮かべるばかり。
「切ない泡になんかならないわ。
すべてが――罪も死も美しい御伽噺とは違うんだから」
浴槽の淵に乗り上げて、吐息のように呟いた。
「あたしは、いつか陸で干からびて死ぬの。
そういう死なら本望よ」
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