「てんし」と棲む部屋



 実のところあたしにも、その奇妙にして珍妙な共同生活がいつ始まっていたのか解らない。
 ただ、気がつけばそれは当たり前のようにそこにいたのだ。





 ぱっと見は普通の人間だ。
 いや、その行動を見ても人間そのものだ。
 朝もだらだらと寝ているし、冬はコタツに入って蜜柑を食べている。
 ちなみに白い筋は取らない主義らしい。





「変な生き物」

 言い放ったあたしに、そいつは心外な顔をした。

「変なとは失礼な。この羽根が見えないのかい?」
「天使とでも言わせたいの?」

 自分の背中を示したそいつに、半眼を向ける。

「例えその羽根が白かろうと、コタツに入って蜜柑を食ってる奴を、
 あたしは決して天使とは呼ばない」





 そいつの背中に生えているのは、天使とも悪魔ともつかない微妙な色の翼。
 白や黒、ましてや灰色でもなく、紫とはどういうことだろう。
 多少なりとも深い色であればなんとなく悪魔を思わせたかもしれないが、爽やかパステルカラー調。
 ちなみに空を飛んでいるのは見たことがない。
 出て行く時は、きっちり靴を履いて玄関から。





「お帰り」

 あたしが家に帰るとまるで家族のように律儀な挨拶。
 男とも女とも言えない、絶妙に中世的な顔立ちで。
 女とも男とも言えない、絶妙に中世的な声で。
 しかも、

「僕にお土産はないの?」

 一人称は「僕」ときたものだ。
 お前は一体何キャラだ。





 空から降って来た贈り物か。
 夢オチ必至なファンタジック物語か。
 はたまた1人暮らしの孤独が生んだ妄想か。





 そういえば、長時間一緒にテレビを見ていても、チャンネル争いは起こった事がない。
 意外と趣味と笑いのツボは重なっている。
 だからかもしれないけれど、実のところそいつが何かって結構どうでもいい。





「君は僕が「本当に存在している」か、確かめないんだね」
「はぁ?」

 ある日突然そんなことを訊ねられた。
 何だか真剣だが、手は蜜柑の皮を剥いている。
 少し答えを考えて、あたしは何となく思い出したことを口にする。

「ティンカーベルはさ…」
「ん?ピーターパンの?」
「そ。ピーターパンの」

 頷いて、何を言おうといていたんだっけと一瞬考える。
 さっきの台詞の続きが出てきたので、会話を再開。

「ティンカーベルは、妖精なんて信じないって言われると死んじゃうんだって」

 遠い記憶だけれども、確かそんなの。

「だから」

 それで答えのつもりだったけれど、目の前の顔が不思議そうだったので、もう一言添える。

「あたしも何も言わないのよ」

 そう言って、あたしも蜜柑を1個手に取った。
 そいつはしばらくぼけっとこっちを見ていた気がする。
 変な沈黙。
 でも、時計が8時を指したのに気付いて、あたしは静けさを破り、そいつの肘の辺りを指差した。

「ほら、リモコン取って」
「10chでしょ?」

 何も言っていないけど、そいつはあたしの見たい番組にチャンネルを回した。
 リモコンを置くと、また蜜柑を剥き始める。
 心なしか指先が黄色く染まっている。

「あんた蜜柑食い過ぎだってーの」
「オレンジ色になるかもしれないじゃないか」

 そいつは可笑しそうに、背中を示した。





 コタツをしまって季節が変わる。
 けれどもそいつの羽根は、まだ紫のままだ。







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