――神の前ではないけれど。
純白の花嫁
「あれ?ウェル?」
通り沿いの喫茶店の店内に見知ったくすんだ赤髪を見つけて、アスィードは思わず呟いた。
普段実家に帰る以外はさほど寮から出ない彼だが、今日は珍しく休日を利用し別の街まで来ている。
まさかこんな所で見かけるとは思わなかったが、彼が1人で居る事を確かめてから、その店の扉を開けた。
「レマージュ?奇遇だな」
切れ長の濃灰の瞳をやや意外そうに瞬き、彼も偶然を驚く。
「何だ、同じ所に来るなら一緒に来れば良かった」
先日外出に付き合って欲しいと申し出ていたが、
予定が入っていると言う返事だけで引き下がってしまったのだった。
同じ寮室に住まう友人ウェルスト・トゥアトスは同い歳の学生だと言うのに妙に世慣れしており、
何かと言うと頼りにしている。
初めてくる場所でも治安が多少悪くても彼についていけば何となく安心出来るのだ。
「珍しいな、わざわざこんな所に出向いてるなんて。
シャレオちゃん絡みか?」
「会った事もないのに僕の妹を馴れ馴れしく呼ばないでくれ。
まぁその通りなんだけど」
妹の事になると人が変わると評価されるアスィードは性別を誤られる原因である大きめの紫の目を半眼にする。
贈りたかった書籍が入荷したと連絡を受けて居ても経っても居られなかったのだ。
「用は済んだ?出来れば一緒に帰りたいんだけど」
「まだ。人、待ってるんだよ」
待ち合わせ時間はとっくに過ぎてるけど、と面倒そうに呟いた。
そっか、と相槌を打って何となく彼の向かいに座る。
「また新しい女性?」
お茶を注文して一心地着き、特に目新しい話題も提供出来なかったので彼の用に矛先を向けた。
学内の数少ない女性とも付き合いがあるらしい上に、
夜中に寮を抜け出しては甘ったるい香りと供に帰宅するウェルスト。
待ち合わせと聞けば自然と女性だろうと自然と決めつけた。
「……いや、女だけど、むしろ古い?」
「女性に古いとか言っちゃ駄目だろ…」
「なんつーか、関係が…」
いつも女性絡みの話だと、必要以上に淀みなく余裕のある態度を取る彼が、
珍しくどう説明すれが良いのか決めかねるように口を開いた。
その反応に弱冠興味をそそられた矢先、ウェルストの視線が扉の方を向く。
「ウェル!」
紛れもなくウェルストの愛称を呼びながら、堂々とやって来たのは1人の女性だった。
ふんわりとしたやや灰がかった金髪に、青い瞳。
一見して上質と解る衣服に身を包んだ彼女は、どう見ても良い所のお嬢さんにしか見えない美人だ。
しかし一拍後に彼女が腰に帯刀している事に気付き、ちぐはぐな印象を受ける。
「リザ…。どれだけ待ったと思ってるんだよ」
当たり前だが彼が待っていた人物に間違いなかったようで、ウェルストは溜息を吐いた。
「この時期だしね、さすがに撒くのに時間がかかったわ。
…ってこちらは?」
そこまで話してようやくアスィードの存在を意識したらしい彼女が首を傾げる。
「同じ寮室のアスィード・レマージュ」
「あ、初めまして」
紹介されて慌てて頭を下げると、彼女は、心当たりでもあるかのようにああ!と声を上げた。
「あなたが!私はエリザよ。
ウェルがいつも世話になっているわね」
恐らく年上だと判断出来るが、その堂々とした物言いからしてやはり普段から人の上に立っている様な気配がする。
一体どういう関係?と目で問うと、まぁ昔馴染みだよ、と軽くウェルストは付け足した。
「そうだ、時間があんまりないの。
早速だけど、場所変えてくれる?
さすがに宿に置いて来たから」
あまり時間がない、と言う所から、ウェルストの用も長くないのかもしれない。
そう判断して待っていれば帰りの時間を合わせられるか訊ねようとすると、エリザがそれを遮った。
「お友達もせっかくだから来てちょーだい」
支度を手伝って、と腕をがっちりと組みウェルストだけ室内へと連れていかれ、
ついて来て良かったのだろうかと宿の廊下でしばらく待っていると、先に入った彼が扉を開けた。
招き入れられ、単純に驚く。
「どう?」
くるりと回って見せた彼女の足元では少し重たげに裾が翻った。
これ以上ないと言うくらい、潔癖なまでの白。
アスィードには到底理解できないきっと流行の最先端の形。
紛れもなく純白の美しいドレス。
どう見てもそれは花嫁衣裳だった。
「す、…すごく綺麗です」
言い淀んだのは別に世辞だったから等ではない。
花嫁衣装を着ている女性。
それの意味する所は1つ。
彼女は結婚を控えた身。
その相手が目の前のウェルストでない事は確かだろう。
彼女は、見本はあまりにも重かったから丈とか布の量を調節させた、
ここのレースは何の花をあしらって、とあれこれ説明をする。
そして傍らでよくこんなもん持って来たよな、と呟きげんなりしているウェルストをじっと見つめた。
どうやら彼にも意見を催促しているようだ。
「綺麗以外言いようがないだろ。オヒメサマ」
溜息をついて、芝居がかった様に告げる。
こんな思い切った格好をした女性に対してそっけない気もしたが、彼女は満足そうだった。
「うん、そうね。
飾りとか仕上げはまだなんだけど、持って来た甲斐があったわ。
やっぱり一番に見てもらおうと思ったのよね」
一番に見てもらうべきは新郎や親ではないのだろうか。
2人はひょっとして道徳的に問題のある関係では…ともやもやを膨らませているアスィードの心情を知ってか知らずか、
エリザはにこやかにほほ笑みかけた。
「じゃあ、レマージュ君。あなた、見届け人よろしくね」
「え?」
突然何かしらの役割を振られ、普通過ぎる疑問符を上げる。
そこからはほんの一瞬の出来事だった。
彼のきょとんとした視線の先で、エリザがドレスの重さを感じさせない軽やかな身のこなしでウェルストの首に飛び付いた。
首にぶら下がれたウェルストが思わず彼女の腰を支えたその隙を待っていた様に、彼女は彼に口付ける。
「うわあぁ!?」
その光景をしっかり見届けてから遅過ぎだが両手で目を塞ぐ。
友人の接吻を見てしまったと言う気まずさと、
結婚を控えた女性の背徳的な行為を知ってしまったと言う気まずさ。
どうして良いか解らないまま指の隙間から様子を伺うと、
ウェルストが抱えていたエリザを床に下ろしている所だった。
ドレスが汚れる、皺になる、と口付けにはまるで動じない彼の言葉などまったく耳に入れていないだろう彼女は、高らかに告げる。
「見届け人の前で花嫁に誓いの口付けしたんだから、ちゃんと誓いを果たしてよね」
動揺の中、とんでもない役割を振られてしまっていた事だけは解った。
道ならぬ恋の何の証人になってしまったのだろう。
「また勝手に何を誓わされてんだよ、俺は」
甘えるように縋るエリザとは対照的に、
アスィードと同じように意味が理解出来てないウェルストはしかし、
こういう状況には慣れているかのように乱れたドレスの裾を直している。
「別に無理だって解ってるから、永遠の愛なんて言わないわよ」
駆け落ちするとか言い出したらどうしようかと不安になっているアスィードの心を読んだかのように否定し、
エリザはまた立ちあがったウェルストをぐっと引き寄せる。
「あなたは私の事なんて生涯掛けるほど愛してないし、
いつかどこか私の知らない所で野垂れ死ぬんでしょうけど」
とんでもない未来予想にええ!?と思わず出て来た声を、アスィードは何とか喉で押し止めた。
さすがに口など挟めない空気だと言う事は理解出来る。
「その死の瞬間――あなたの人生の最後の最期のその瞬間に」
それはきっと彼が振りまわされて来たであろう中でもとびきりの我儘。
「想い浮かべるのは私である事」
通りを行き交う人々のざわめきが大きく聞こえる気がするほど静まりかえる。
「……善処する」
ほんの少しの沈黙を挟み、見つめられているウェルストは呟いた。
「そんな出来ない政治家みたいな答え、要らないわ」
ぷぅ、と膨れてみる彼女の頬を突いて彼は一瞬優しい表情を浮かべた。
その後それを苦笑いに変えて、完璧な所作で彼女の手を取り跪く。
「誓うよ」
友人は花嫁に短い言葉を捧げた。
荷物を結びつけた馬で颯爽と駆けて行ったエリザ。
貸し馬で見送りに行ったウェルストはさすがに目撃されると不味い、と比較的短時間で戻ってきた。
「エリザさん、大丈夫かな」
「見た目に騙されんなよ。
あいつ競技剣術の師範免許持ってんだぞ」
お前だって試合なら負け越す、と紹介するウェルストに、そうじゃない、とアスィードは頭を横に振った。
「君に結婚を止めてもらいたかったんじゃないの?」
勝気な中で、ふとウェルストに向ける切なげな瞳の揺れは、見間違いではないだろう。
しかし、彼は苦い笑みで否定した。
「レマージュ、女心ってのは、そんな簡単なもんじゃない時もあるんだよ」
あそこで止めたら引っぱたかれる、と想像する彼にアスィードは首を傾げる。
女心等解る気はしないが、特別な想いの異性に結婚前に会いに来るなんてそれしか考えられない。
「…そうかなぁ」
どうにも納得できなくて嵐の様な女性が姿を消して行った方角に呟いた。
アスィード・レマージュがウェルストの昔馴染だと言う女性と出会ったおよそ一カ月後。
彼は朝の食堂で届いたばかりの新聞を開いた所だった。
すぐに目に飛び込んで来たのは隣国であり帝国の属国であるバルジス王国の王女の結婚式を大々的に報道した一面記事。
美しい王女と彼女が身に纏うフリルまで精巧に描かれた純白であろうドレスの挿画を見たその数秒後。
彼は食堂中に響き渡る悲鳴を上げた。
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