――いつか終わるものだと知っていた。
黄昏の逢瀬
「ウェル」
名を呼ばれたので声の方を向くと、見慣れた女性がこちらを見上げていた。
ふんわりとした灰がかった金の髪に、青い瞳。
深窓のお嬢様しか被らないような花の飾られたつばの広い帽子をかぶり、
フリルのついた衣装をまとった美しい少女だった。
「リザ」
取り敢えずウェルと呼ばれた少年が彼女の名を呼ぶ。
鈍い赤色の短めの髪に、切れ長の濃灰色の瞳。
少年は背も高く鍛え上げられた身体とその落ち着いた瞳の色で15歳という年齢よりも随分大人びて見える。
なんでこんな所に居るんだと続けた問いに、彼女は答える。
「あなたのおばあ様に訊いたの。
最近のお気に入りの場所なんでしょ?」
彼女の見上げているのは樹の上だ。
この森の中でも特に大きくて立派な広葉樹は、腰掛けて本を読むのに丁度良い枝の付き方をしていた。
そこまで言ってから、彼女は両手を腰に当てて、少し頬を膨らませる。
「それにしても酷いじゃない。私が来るのに迎えもないないなんて」
そんな事を言われても、彼には怒りを向けられる原因がなかった。
「…連絡なんてなかっただろ」
「ちゃんと手紙を出したわよ」
記憶にないな、と思った所で彼女はすぐに続きを発した。
「ひょっとしたら追い抜かしちゃったかもしれないけど。
3つ隣町で出して、護衛を撒いて馬で駆けて来たから」
「何の為の手紙だよ」
彼女らしい行動に呆れると供に、彼女の護衛達に憐みを抱いた。
彼がげんなりとしたのを見て彼女は何だか満足そうにした後、私もそっちに行くわ、と登り始める。
馬で来たとあって足元は編上げのブーツだしスカートも膝を隠す程度の長さだったが、
フリルのたっぷり付いた衣装で気軽に女性が樹に登る光景も普通ならば非常に珍しいものだった。
しかしながら今更そんな事では驚かない彼は、もう登りきろうという彼女に一応手を差し出す。
彼の手を取り登りきった彼女は、有無も言わさず樹木に伸ばされた彼の脚に座った。
そこまでされてもまったく動じない彼は、彼女が落ちないように均衡を取ったのを確認してから本の続きに目を落とす。
「学校に入るって聞いたんだけど」
本に向けられた視線の端。
3つも年上とは思えない子供っぽい不満声で、彼女は訊ねて来る。
「ああ、全寮制だから、もう連絡なしに来てもここにはいないからな」
適当に返事をして頁を捲ろうとしたら、その手を無理やり下ろされた。
膝上に乗った彼女が睨んでいる。
「そもそもお前ももうこんな風に来れないだろ。
婚約者が決まったんだから」
とは言っても彼女はこれまで幾つもの婚約を、まだ早いと言って蹴って来ている。
今回も同じように破談にするのか、18という年齢的にさすがに結婚まで行くかまでは聞いていなかったし、聞く気もなかった。
「それとウェルの寮生活とは関係ないでしょ」
挑むような瞳で問い掛けられたので、素直に答える。
「関係ないな」
「……関係ありなさいよ」
彼女の婚約話にもっと落ち込めと言いたいらしい。
「我儘だな…」
彼は呆れたように呟くが、彼女のこう言う所も今に始まった訳ではない。
気ままで奔放。女性としての魅力に溢れた少女。
彼女のこう言った所が、より美しさを際立たせていると言う事は良く知っている。
さてどう答えようかと彼が思った時に、彼女はころりと表情を変えた。
「ね、ちゅーして」
あまりにも突飛な発言に、思わず半眼になる。
「さっきからお前は俺の読書時間を何だと思ってるんだよ」
「目の前にこんな美少女が居るのに、失礼だなと思ってるわ」
そう言うと、彼女は彼の持っていた本を取り上げてしまった。
「あ、おい」
そのままぽいっと、樹木の下へ放り投げる。
結構探し回って手に入れた本の扱いに衝撃を隠せない彼に構わず、彼女は眼を閉じて唇を突き出した。
「ん」
まるで引く気のない彼女を見て軽く溜息を吐いてから、彼女の腰を少し引き寄せた。
薄く紅をのせた彼女の唇に自分の唇を重ねる。
軽く済ませるつもりだったが、あっという間に彼女の腕が首に回って固定されてしまった。
しばらく角度を変えて幾度か口付けると、彼女は満足したのか唇を離した。
その美しい海の様な潤んだ瞳が、彼を至近距離で見つめて来る。
「私の事、好き?」
「そうだな…」
並みの男なら蕩けてしまいそうな質問。
でもこれも別に初めての事ではない。
「泣いて連れ去ってくれって言われたら、叶えてやろうかな、って考えるくらいには」
けれども何も言っていない彼女を連れ去ろうというほど好きではないのかもしれない。
そう、これがいつも決まった彼の言葉。
幼馴染の様なもので、積極的な彼女は彼にとっては色んな1番だった子だったが、それは恋と呼ぶものではない気がしていた。
それとも彼の家柄の枷が、それよりも重かったのかもしれないけど。
「私は、好きよ」
彼女は彼の鼓動を聞こうとでもするように、身を寄せた。
「あなたが私を颯爽と連れ去ってくれないかな、って夢見るほどには」
けれども自分から泣いて彼にすがるほどでは好きではないのかもしれない。
そう、これがいつも決まった彼女の言葉。
お姉さんぶって彼の手を引いていたが、漠然とした自由への憧れと恋の区別が上手く付けられなかったし、
何よりも本気になっているかもしれない事も怖かった。
それとも彼女の家柄の枷が、それよりも重かったのかもしれないけど。
しばらく見つめあった後、今度は強請りもせずに彼女は自ら口付けた。
時々隙間から吐息をもらしながら、何度も何度も、唇も抱擁もより深く。
「…って、いつまでやってんだよ」
あまりにも強く首を引き寄せられ、思わず彼は彼女を自分から剥がした。
彼女は少し息を吐いてから、熱の籠った瞳で見上げる。
「いつまでも、よ」
思わず漏れ出た声があまりにも永遠を望む様で、彼は少し驚いた。
自分でも驚いたらしく彼女は誤魔化すようにまた口付ける。
「あなたがこれから女の子に同じ事をする度に、
必ず思い出すくらい、私を刻み込むんだから」
今度は先程よりもずっと冗談めかせて囁いた。
その意志を組むように、彼もまた苦笑交じりに応じる。
「今までだってそれなりに思い出さされてるよ」
「それなりなんて、許さないから」
そう言って美しいお姫様――現バルジス王国王女にして未来の王妃になるだろう彼女は、日が暮れるまで彼を離さなかった。
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