――驚きの出来事は
日常の延長に潜んでいる
とある昼下がり 青天の霹靂
「もう噂になってるぞ。あの毒蜘蛛を壊滅させたらしいじゃないか」
書類を渡しながらそう言っても、少年は書類を受け取っただけで何も反応しない。
それもいつもの事なので店主は気にせず続ける。
「観察者から連絡があった。
手続きが終了次第お前さんの階級を特級へと移行するらしい」
傭兵ギルドは階級制だ。高い階級ほどあらゆる面で優遇される。
基本的には第10階級から始まって、第1級まである。
そして仕事の受けた数や質、達成度などが考慮されて上がって行く。
しかしその制度に当てはまらない唯一の階級。それが特級だ。
特級だけはギルドの特殊な観察者と呼ばれる立会人が認めた者しか付く事が出来ない。
すなわち最低階級から一気に下剋上も可能な制度なのだ。
「なんだよ、ちったぁ喜んで見せなって。特級だぞ?
このギルドの最高階級だぞ?」
「報酬の高い仕事が回って来るだけだ」
「だけって…」
そう言うと、報酬の受け取りの書類を書き終わったらしい少年は席を立つ。
用はそれだけでしたと言わんばかりに、余計な事は一言も話さず店を出て行く。
その様子を見て店主は溜息を吐いた。
相変わらず愛想がない。
少しくらい子供らしくしても罰はあたらないはずだ。
「今の坊やが噂の閃光?」
店の片隅から女が店主に尋ねる。
胸元の大きく開いた服。一見して商売女だと解る派手さと妖艶さ。
店主が頷いたのを見ると、女は獲物を見つけた様ににやりと笑った。
「ふーん…」
「辞めとけよ」
「何よ、今更邪魔する気?」
彼女は仕事終わりの懐の温かい男をこの辺の支店で見繕って、金を使わせている。
それが1度食事を奢るくらいで済む場合もあれば、
長期に渡り高級な衣服や宝飾品を強請ったりと、嵌った男は痛い目を見る事になる。
「いや、お前さんの為に言ってんだよ。
今までカモにしてた相手とはちょっと違うぜ」
「あたしみたいなのに慣れてない方が、ころっと嵌ったりするんだから」
どうやら自信満々の様だ。
大金を持っている少年をたらし込んで、しばらく美味しい思いをするつもりなのだろう。
その後店を出て行った女が、どんな接触を計ったのかは解らない。
だが余程怖い思いでもしたのか、自信を喪失したのか、彼女はもうこの界隈に寄りつきさえしなくなった。
「これ美味しい!何て料理ですか?」
「残りもんで作ったただの賄だよ。そんなに美味いかい」
「すごく美味しい!」
そう言ってもらえると嬉しいよと愛想の良い笑顔で返しつつ、
その表情のまま彼は少女の隣に座る少年に顔を向けた。
登録されている歳で言うと17だが、見た目はもう立派な傭兵だった。
少年特有のあどけなさなど一切感じられない。
取扱いに注意が必要な刃物の様な気配を纏っている。
「……で、ファイ。このお嬢さんは誰だい?」
少し困惑を滲ませて、店主は訊ねた。
ここは帝都に居を構える帝国公認傭兵ギルドの支店の1つだ。
傭兵の登録、仕事の受付・斡旋、そして飲み屋業も兼ねている。
帝都にはもちろんギルドの本部が存在していたが、都に集中する傭兵達の管理の為、
幾つもの支店が同じ都内に存在していた。
その中でも特にこじんまりしたこの支店では、
支店長と入れ替わりにやって来る数人の従業員がすべての業務をこなしている。
先程からとびきりの笑顔で食事への賛辞を述べているのは見知らぬ美少女だった。
歳は少年と同じくらいだろうか。
無駄なくスラリとしつつも女性らしい体つきに非常に整った顔立ち。
その辺で頻繁に出会えるような玉ではない。
ファイと呼ばれた少年は、特に何の感慨もなく応える。
「レタリスの名で傭兵登録しておいてくれ」
そっけなく1枚の紙が差し出される。
帝国公認傭兵ギルドへの登録用紙だ。
言った通り、レタリスと言う名から始まり必要事項が記入されている。
「よ、傭兵になるのか!?このお嬢ちゃんが!?」
「その為の登録だろ」
抑揚のない声で返ってくる。
「この容姿だったら、いくらでも傭兵以外に職があるんじゃないかと……」
接客業に付けば何処に行っても看板娘になれるだろうし、舞台女優でも売れっ子だろう。
そもそも働かなくてもどうとでもなる気さえする。
少年は白けた瞳で訊き返す。
「傭兵登録以外に、何でここに連れて来るんだ」
「出来た彼女を紹介でもしに来てくれたのかと……」
店主はそう言ってみたものの、本心ではない。
彼の中での可能性上位は、報酬のかたに攫って来た娘なので一番高く売れる所はどこかとでも訊きに来た、だった。
性別に係わらず他人に興味のないこの少年が、名を上げてから近寄って来た女達を一蹴しているのは何度も見ている。
妖艶な大人の女の色仕掛けも、腕利きの女傭兵の能力を生かし合おうという仕事の話にも一瞥もくれない。
正直こんな青春真っ盛りの歳に女に興味がないなど、何が楽しくて生きているのだろうかと余計な心配すらしていた。
しかし色恋ではなく金銭の回収の為だとするなら、
正直素人傭兵などにするよりもどこかに売り払った方が遥かに額は高いだろう。
少年の意図が全く解らない。
「そうだったとして何でギルドに紹介しなけりゃならない」
「冷たいな…俺とお前さんの仲じゃないか…」
「仕事に不要な個人情報をやり取りするような仲になった覚えはない」
確かに親しいとは言い難いが少年がこの支店で傭兵登録した時からの付き合いだ。
成長を見ていると多少思い入れもあるし、少しくらい懐いてくれてもいいのではないか。
「パンもふわふわ」
隣で繰り広げられている会話には一切口を挟まず、もぐもぐと少女は料理を食べている。
自分の事を話されているはずなのに、まるで気に留めていないようだ。
「あ、そうだ、ファイ。美味しいからファイにも1口あげるね」
そう言って匙で掬っていた料理を彼の口の前に差し出した。
思いもかけぬ少女の行動に思わず焦る。
過去の少年の行いから想像するに、その匙は無視をされるか下手をすると振り払われるだろう。
こんな可愛い女の子が傷付く姿は忍びない、と。
しかしながら少年はそれを何の躊躇いもなく口に含み、しばし租借。
飲み込んだ頃に彼女は一口大にちぎったパンも差し出す。
それも特に嫌がる素振りもなく、そのまま手から食べた。
「レタリス。お前の美味い、の基準は低過ぎる」
いつもと同じ冷めた声で告げる。
面倒そうな顔で、残りは全部食えと指示し、彼女はにこにこ食事を再開した。
ただあまりもの衝撃の展開に、店側は誰ひとりとして声を上げる事が出来ない。
従業員が思わず取り落とした木製の皿の音が、妙に店内に響き渡った。
連れだって2人の少年少女が店を出るのを確認してから、1人の従業員がすごい勢いで裏の書棚に向かった。
傭兵の既存の登録情報の乗った冊子を手に取る。
その目的はあの少年の――ギルド特級階級のファイの頁だ。
焦ったように該当の頁を開き、先程渡された登録用紙と見比べる。
「あ、登録してある連絡用私書箱の番号一緒っス。あ、報酬の振り込先も。
こりゃ完全に一緒にいるつもりじゃないっスか?」
まさに青天の霹靂。
予想もしない事態だった。
「いやー…女に興味ないのかと思ってたけど…」
従業員の男が店主の言いたい事を引き継ぐ。
「ただの面食いだったんスね。
確かにあの可愛い女の子は羨ましいっス」
そう言えば少年は、彼女と表現した時に否定はしていなかった。
「それにしても意外と極端な奴だったんだな」
まさか気に入った女の子と一緒に居る為に、
傭兵を辞めるのではなく、相手を傭兵にするだなんて思いもつかなかった。
まるで親戚の子供に初めて彼女が出来たような気持ちの店主の考えはあながち間違えでもなく。
「でも守る者が出来て、あいつも良い方に変わるに違いない」
しかしただ一つ、完全に想定もしていない事があった。
その少女がただの美しいだけの娘だけではなかった事。
次にこの支店に訪れた時にはもう、少年と同じ特級階級になっている事。
もちろん守る必要のない相棒を手に入れて、少年に優しげな変化も訪れなかった。
混沌の旋律top